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「名球会打者」内川聖一獲得のB-リングス、「オール大分」体制でペナント奪取へ。その裏側に迫る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
山下新監督、森慎一郎球団代表と臨む内川

独立リーグ、ヤマエグループ九州アジアリーグの大分、B-リングスは、ソフトバンクなどで活躍した内川聖一の獲得を発表した。既にGMに元巨人の岡崎郁、新監督として、元近鉄の山下和彦を招聘しており、地元出身者で固めた「オール大分」体制で、リーグ発足以来2シーズン連続の最下位からの脱出とリーグ制覇を狙う。

2年連続の最下位と低迷を続ける大分にビッグニュースが飛び込んできた。NPB通算2186安打、侍ジャパンの一員としてWBC3度出場を誇る内川聖一の入団が発表された。

2011年のソフトバンク移籍以降、チームの黄金時代現出に貢献してきた内川だったが、2017年以降はケガもあり、年々出場試合数を減らし、チームが日本シリーズ4連覇を果たした2020年には、ついに一軍出場なしに終わってしまった。翌2021年からはヤクルトでプレーしたが、往年のバッティングは蘇らず、チームの連覇の一方、4安打に終わった今シーズンをもってヤクルトを退団した。

しかし、内川自身はこの退団を「NPB引退」としており、他カテゴリーでのプレーに含みを持たせていた。

実のところ、内川の大分入団は「既定路線」だった。地元・大分工業高校からプロ入りした内川はまさに「地元の英雄」。父親も地元校・国東高校の監督を務めており、内川自身、「最後は故郷・大分に恩返しがしたい」という希望をもっていた。父親を通じて内川の希望を耳にしていた森慎一郎球団代表は昨年時点ですでに「現役の最後は大分球団で」という受け入れ方針を非公式ではあるが内川サイドに伝えていた。今回の内川の「NPB引退」をもって大分球団は正式に内川に獲得オファーを出し、今回の入団となった。

先月初めにはGM岡崎郁、監督山下和彦の新体制を発表していた。
先月初めにはGM岡崎郁、監督山下和彦の新体制を発表していた。

「オール大分」で勝てるチームを目指す

一方で、「勝てるチーム」に向けての体制作りも大分球団は進めてきた。

元中学教師が設立したスポーツNPOが母体となった大分球団は、中央球界とのパイプのなさに苦しめられてきた。選手獲得も後手に回り、球団のトライアウトで獲得するのは他の独立リーグ、球団のそれに落ちた者が大半という中で、実業団チームを母体とした火の国サラマンダーズ、元NPBのスター選手を監督として迎えた福岡北九州フェニックスの後塵を拝する結果となっていた。

その中で、大分球団は地元出身のNPBの大物OBの招聘に成功した。新たにGMとして迎えたのは、平成初めの巨人黄金時代の三塁手として活躍した岡崎郁である。現役引退後はコーチ、二軍監督、スカウトも務めた岡崎のフロント入りは、NPBとのパイプをより強固にし、スカウト来訪の回数を増やすことを期待させる。このことは当然、好選手の獲得にもつながるだろう。今シーズン終了をもっての岡崎の巨人退団に伴い、高校(大分商業高校)時代の先輩である森代表が声をかけての「一本釣り」となった。

そして新監督に迎えたのも、やはり大分出身の山下和彦。1989年の近鉄バファローズ優勝時の正捕手だ。ちなみに岡崎とは、この年の日本シリーズで対戦している。地元の強豪、柳ヶ浦高校卒業後、新日鉄大分に進んだ。その後プロ入りし、近鉄の他、日本ハムでプレー、現役引退後は、横浜、近鉄、楽天でコーチを務めた。また、地元大分のスポーツ専門学校での指導経験もあり、独立リーグの指導者としてはうってつけの人物である。

「地元の英雄」2人が指導者、フロントスタッフとして入ることは、球団の認知度を高め、ファンの盛り上がりも増すことだろう。

内川は背番号としてWBCでもつけた24を選んだ
内川は背番号としてWBCでもつけた24を選んだ

「最後は地元球団」の流れを

内川は来シーズンのプレーについて、ホームゲームを中心に出場の予定だと語っている。おそらくはすでに生活の拠点を築いている東京でトレーニングし、大分での主催ゲームに出場するということだろう。指名打者中心の起用になるとは思うが、今シーズンも終盤までファームの試合には出場しており、技術、体力面の心配はなく、「戦力」として十分貢献してくれるものと思われる。なによりも地元九州のNPB球団、ソフトバンクのスター選手だった内川の加入は苦戦していた観客動員への貢献にプラスに働くに違いない。内川自身、そのことも含めての「大分への恩返し」と考えていることだろう。第一線を退いたとは言え、独立リーグレベルでは彼の力は他を圧倒しているはずだ。

このような、NPB退団、地元独立球団で現役引退という流れは、今後独立リーグ界の活性化、ひいては野球界の底辺拡大に期待をもたせる。

国外に目を向けると、中南米カリブ地域ではこのような事例は珍しいことではない。

その代表例は、ロサンゼルス・ドジャースで一世を風靡したフェルナンド・バレンズエラだ。メキシカンリーグからメジャー入りした彼は、メジャー「引退」後も、母国メキシコのウィンターリーグ、メキシカンパシフィックリーグでプレー。最後のプレーは、メジャー「引退」後、10年近くたった2006年、彼が46歳の時だった。

また、「地元」ではないが、韓国野球のレジェンドのひとりであり、韓国リーグの後、オリックス、メジャーへと移籍したク・デソンは、韓国リーグの古巣、ハンファ・イーグルスで「現役」を終えた後、家族でコリアン・コミュニティのあるオーストラリア・シドニーに移住。ウィンターリーグのシドニー・ブルーソックスに加入して、さらに5シーズンプレーしている。オーストラリアでの彼は、悠々自適の生活を送りながら、地元クラブチームでの「草野球」と並行して、プロチームであるブルーソックスにも参加。普段はチーム練習にはほとんど参加せず、リリーフ投手ということもあって、毎回試合直前に球場入りするも、マウンドでは圧巻のピッチングを披露し、リーグのレベルアップに貢献していた。

自分自身で納得いくかたちで「引退」を決めることのできる選手はほとんどいない。内川にしても、いつの間にか出場機会を奪われ、自らの力の衰えを自覚させられて「NPB引退」を決めたが、やはり心のどこかには、不完全燃焼を抱えているに違いない。そのもやもやを故郷の独立リーグチームで完全燃焼することは、プレイヤーとしての彼自身のためにも、地域活性化と上位リーグへの選手送出という2つの命題を抱えつつも、その注目度のなさゆえの運営の困難さに苦しんでいる独立リーグにとってもプラスに働くことは間違いないだろう。

近年、独立リーグを「ゆるやかなセカンドキャリア」への移行の場として選ぶ元NPB選手が増えてきている。トップリーグであるNPBでの限界を突きつけられても、野球選手としてはなおアマチュア球界を含めたピラミッドの頂点に近い位置にいる選手の存在は、球界にとっても貴重なものである。その彼らが、気の済むまでプレーできる場として、独立リーグの役割は今後クローズアップされていくことだろう。

(写真は全て大分球団提供)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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