「小さな幸せ」を見つけるための、とても身近にあるサイン
幸せとは何か? を常に考えている人がいます。何かしらの大きな成功を手に入れたり、理想のパートナーと出会って満たされた生活を営むことであったり。高級車や高級バッグ、海外旅行に豪邸、クルーザー、セレブとの社交パーティ……といった、わかりやすい豪華絢爛な物の所有や体験が幸せの原風景だ、と感じる人もいることでしょう。
「幸福感」とは、文字通り感覚です。言葉で表現できない個人の生理的な反応であり、体で感じ取るものです。そして感覚は、過去の体験の「インパクト×回数」でできた思考プログラムに左右されます。幸せは個人の「過去」と深い関係がある以上、他人がどのようなことで幸せを感じるのかは、自分の幸福感の下敷きにはなりづらいと言えるでしょう。
他人と比較するのではなく、自分の過去と比較して「より成長している」と感じることができれば、幸福感を得られるとも言えます。以前できなかったことが少しずつできるようになった。そのことで、小さな幸せを感じるようになるものです。
●過去できなかったことが、できるようになる
というのは、特殊な技能であったり、高度なスキルの取得を指しています。英語力を身につける。簿記の試験を合格する。高度情報処理の資格をとる……等がよい例でしょう。しかし、こういう技能や能力は、そう簡単に手に入りません。それなりに時間と労力がかかります。そうではなく、
●過去やっていなかったことが、やれるようになる
を意識しましょう。「やれないことをやれるようになる」のではなく「やれるのにやっていなかったことをやれるようになる」ということです。
そこで私は、日々、自分がしている「言い訳」に注目したらどうかと考えています。頭ではわかっているけれどもできない。ついつい言い訳をしてしまう……。とても身近な存在である、この「言い訳」を、ひとつひとつ潰していく生き方です。小さな幸せを見つけるために、です。
「私には難しいです」
「そうは言っても無理」
「忙しくてできません」
「数字は苦手なんで、やれません」
「もう年齢も年齢だから、新しいことをやれと言われても……」
「それって私がやることなんでしょうか?」
何気なく言っていた「言い訳」の数々。頭ではわかっている。できない理由などないのに、ついつい「やれない」「私には無理」と言ってしまうこの悪癖を一つひとつ克服していきます。たったそれだけのことでも、良い生理的な反応を得られるはずです。
玄関の靴をそろえる。読んだ本はすぐに棚へ戻す。朝寝坊せず毎日決まった時間に起きる。1日15分読書する。日記をつける。毎朝犬と散歩する。30分早く出勤する。夜11時には寝る。夜食はしない……。
周囲の人から、「もっと毎日運動したら?」「もっと早く起きたら?」「もう少し本を読んだら?」「後片付けをちゃんとしたら?」「もっと机の上を整理したら?」と言われるたびに「そう言われても忙しいんだって」「私の性格では無理だ」「夜食べるお菓子がたまらなく美味しいんだよね」……などと言い返す「言い訳」を自ら消去していきます。
言い訳を一つずつ減らすことで、ねじれていた思考がまっすぐになっていきます。血の巡りがよくなり、表情が明るくなるのと同じ。思考がまっすぐになることで素直になり、他愛のないことであっても、自分の成長を実感でき、「小さな幸せ」を感じ取ることができるようになると私は考えます。
人生に一度か二度あるかどうかの、ドでかいことを成し遂げて、大きな幸福感を手に入れる、というのもロマンがあっていいです。しかし、未来の至福のために毎日を犠牲にしながら生きるのも大変です。たとえ小さくてもいいから、ささやかな幸せを感じとりながら生活していきたいものですね。自分の口から出て、自分の耳に入る「言い訳」を、小さな幸せを得られるサインだと受け止めてはいかがでしょうか。「言い訳」をするたびに、まだまだ自分はいくらでも幸せになれる、と思えることでしょう。
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