神戸フェルメーレンが、バルサとアーセナルで乗り込えた日々...日本に辿り着くまでの異色のキャリア
彼は、どんなキャリアを歩んできたのだろうか?
ヴィッセル神戸に所属するトーマス・フェルメーレンが、J1初得点を記録した。明治安田生命J1リーグ第14節セレッソ大阪戦で、後半アディショナルタイムに左足のシュートでネットを揺らした。土壇場で勝ち点1をもたらす貴重なゴールだった。
フェルメーレンのこれまでの道のりは決して平坦ではなかった。
ベルギー出身のフェルメーレンだが、15歳でオランダの名門アヤックスの下部組織に入団している。2004年に19歳でトップデビューを飾ると、ヴァールヴァイクへのレンタルを経て、2005-06シーズンからアヤックスの主力として活躍した。
■アーセナルへの移籍
2009年夏、アーセナルがフェルメーレンに触手を伸ばす。アーセン・ヴェンゲル監督が、彼を欲しがった。移籍金1000万ポンド(約15億円)が支払われ、コロ・トゥーレが背負っていた「5番」を引き継ぐ形でアーセナル加入が決まった。
「アーセナルは偉大なクラブだ。世界的に有名な監督がいて、素晴らしいスタジアムがあり、能力の高い選手が揃っている。次のシーズン、僕の人生は大きく変わるだろう。トップクラスのゴールゲッターと対峙するが、恐れはない。自分自身を懸けて戦う」とは当時のフェルメーレンの言葉だ。
アーセナルでは、5シーズンを過ごした。公式戦150試合に出場。2010年には、プレミアリーグの年間ベストイレブンに選ばれ、2014年にはFAカップのタイトルを獲得している。
そんなフェルメーレンに、バルセロナが目を付けたのは2014年夏だった。アンドニ・スビサレッタ当時スポーツディレクターが「即戦力の補強だ」と評したフェルメーレンの獲得に際して、バルセロナは移籍金1900万ユーロ(約24億円)を支払っている。
スペインはレアル・マドリーとバルセロナの2強時代だった。そんな中、ルイス・エンリケ監督の下では出場機会に恵まれず、一年間ローマにレンタル移籍したのち、バルセロナに復帰した。ジェラール・ピケ、サミュエル・ウンティティ、ハビエル・マスチェラーノに次ぐ4番手のセンターバックという立ち位置であったが、エルネスト・バルベルデ監督は色眼鏡で選手を判断する指揮官ではない。
「フェルメーレンはフィジカルが強く、きちんとトレーニングをする。私は常に彼を評価していた。難しい試合でも、チームにコミットしてくれる。ビッグマッチで良いプレーを見せて、私というよりファンを納得させたね。私は以前から彼のプレーに納得していたから」とはバルベルデ監督の弁である。
2014-15シーズンには、負傷で長期離脱を余儀なくされた際、主将のシャビ・エルナンデスから黄色いTシャツがフェルメーレンに贈られた。
そこには”muchos ánimos Thomas(ムーチョス・アニモス・トーマス)”と記され、全選手の署名があった。「がんばれ、トーマス」というメッセージだった。「あれはサプライズだったし、すごく力をもらった」とのちにフェルメーレンが明かしている。
■僥倖と贅沢
2018-19シーズン終了後、アンドレス・イニエスタの後を追うように、バルセロナからヴィッセル神戸に移籍した。
アヤックス(獲得タイトル数5個)、アーセナル(1個)、バルセロナ(8個)と多くのタイトルを獲得してきた。2015年には、バルセロナでチャンピオンズリーグ優勝を経験している。また、2014年のブラジル・ワールドカップと2018年のロシア・ワールドカップに出場しており、現役のベルギー代表選手でもある。
先日、イニエスタが神戸と2年の契約延長を行い、話題を呼んだ。イニエスタのプレーが、引き続き日本で見られる。それは僥倖である。加えて、フェルメーレンのプレーも見られるのだから、我々にとっては贅沢な話だ。