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映画『マネーボール』でブラピが演じたビリー・ビーンが野球界を離れてヨーロッパ・サッカー界に挑戦

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
松井秀喜と握手をするビリー・ビーン(三尾圭撮影)

 これまでの野球観を大きく覆すマネーボール理論で野球界に大きな革命を起こしたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーン上級副社長。彼が与えた影響は野球界だけでなく、ビジネス界やエンターテイメント界まで広がり、2011年に公開された映画『マネーボール』ではブラッド・ピットがビーン役を演じた。

 低予算チームのアスレチックスはスカウトの主観ではなくセイバーメトリクスと呼ばれる統計学的手法を用いる独自の選手評価システムで、プレイオフ常連チームを作り上げた。 

 野球界では多くのホームランを打つ打者が高額年俸を得るが、アスレチックスは2000年代初頭に誰もが見過ごしていた出塁率に注目。他球団からは「欠陥品」の烙印を押された高出塁率の選手を安く集めるチーム作りで、スーパースター揃いの金満球団に対抗していった。

 アスレチックスの成功を見た他の球団たちもマネーボール理論を取り入れ、高出塁率の選手の年俸が上がってくると、ビーンは主力選手を放出して、見返りに得たマイナーリーガーを育てる手法にシフトチェンジをしながら、今季もチーム総年俸はメジャー30球団中25位ながらもアメリカン・リーグ西地区を独走して、3年連続でプレイオフに導いた。

マネーボール理論を象徴する選手で、映画ではクライマックスで劇的な本塁打を放つスコット・ハッテバーグ(三尾圭撮影)
マネーボール理論を象徴する選手で、映画ではクライマックスで劇的な本塁打を放つスコット・ハッテバーグ(三尾圭撮影)

 現役を引退した翌年の1990年からアスレチックスのスカウトに転身して、97年にジェネラル・マネージャー(GM)に就任したビーンは、93年から98年まで6年連続で負け越していたチームを立て直し、2000年から4年連続でプレイオフに出場しただけでなく、この間に2度もシーズン100勝以上を記録。

 しかし、他チームがアスレチックスの手法を真似したために独自の選手発掘が難しくなり、2004年から11年の8シーズンはプレイオフ出場が1度だけと低迷。この期間中にチームを再建させ、2012年から14年は3シーズン連続でプレイオフに出場。2015年から17年の3年間は再びチーム再建期間に当て、2018年から今季までは3年連続でのプレイオフ出場と、過去20年間のアスレチックスはジェットコースターのようなアップ&ダウンの激しいシーズンを繰り返してきた。

今季も低年俸チームながら地区優勝をして、3年連続でプレイオフに出場したアスレチックス(三尾圭撮影)
今季も低年俸チームながら地区優勝をして、3年連続でプレイオフに出場したアスレチックス(三尾圭撮影)

 2011年に公開された映画版『マネーボール』ではブラピ演じるビーンが、金満球団のボストン・レッドソックスから超高額でGM職をオファーされるが、悩んだ末に「金によって人生を左右されたくない」との理由でレッドソックス行きを断り、アスレチックスに留まるシーンで幕を閉じる。

 レッドソックスのオーナー、ジョン・ヘンリーがビーンに5年総額1250万ドル(当時のGM職としてはメジャー最高年俸)の契約を提示したのは2002年のオフシーズン。ビーンは一度はレッドソックス入りを決断して、アスレチックスもビーンを失う覚悟を決めたが、ビーンは数日後にヘンリーに断りの電話を入れた。

 アスレチックスに残ったビーンは2005年に2012年までの契約延長に合意すると共に、球団の株も与えられてオーナー・グループの一員となった。2015年にはGM職をアシスタントGMだったデビッド・フォーストに譲って上級副社長に昇格したビーンだが、野球界では限界も感じていた。

 新しい挑戦を探し出したビーンの興味を引いたのがサッカーだった。

 オランダ人メジャーリーガーで、2006年WBCではオランダ代表の監督を務めたロバート・エーンホーンが、2014年にエールディヴィに所属するAZアルクマールのジェネラル・ディレクターに就任すると、2015年にビーンを特別アドバイザーとしてチームに迎え入れた。(アスレチックスと兼務)

 2017年にはイギリスの2部リーグに所属するバーンズリーFCの株を10%持つ共同オーナーにも就任。今夏にはAZの株5%を取得している。

アスレチックスでできることはやり尽くした感があるビリー・ビーンは、サッカー界に新たな挑戦を見出した(三尾圭撮影)
アスレチックスでできることはやり尽くした感があるビリー・ビーンは、サッカー界に新たな挑戦を見出した(三尾圭撮影)

 そして今回、ビーンが共同責任者を務めるベンチャー企業のレッドボールが、レッドソックスのヘンリー・オーナーが率いるフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)との合併を模索していると経済紙のウォール・ストリート・ジャーナルが報じている。

 FSGはレッドソックスだけでなく、プレミアリーグのリバプールFCも傘下に抱える国際的なスポーツ企業。

 2002年にはヘンリーの誘いを断ったビーンが、今度こそはヘンリーと手を組むのかと世界のスポーツ界が注目しているが、ビーンがヘンリーと手を組んだ際には、アスレチックスを退任してヨーロッパのサッカー界の革命に集中することになる。

 レッドボールはFSGの株を約25%取得する予定だという。また、ビーンがFSGの株を取得した場合には、MLBのルールによってアスレチックスの株は手放さないとならない。

 

 アスレチックスでビーンの右腕的存在だったポール・デポデスタは、ビーンよりも一足先に野球以外のスポーツ界に転職している。

 2004年にアスレチックスを離れて、ロサンゼルス・ドジャースのGMに就任したが、2005年シーズン終了後に解任された。その後はサンディエゴ・パドレスとニューヨーク・メッツのフロント入りしたが、2016年にNFLのクリーブランド・ブラウンズに引き抜かれ、最高戦略責任者としてブラウンズのトップを務めている。

 2002年シーズンを最後にプレイオフ出場から遠ざかり、長い低迷期を過ごしてきたブラウンズ。2017年には0勝16敗と不名誉な勝ち星なしのシーズンとなったが、18年には7勝8敗1分と躍進。デポデスタのNFL界での挑戦は正しい方向に歩み始めている。

 メジャーリーグを大きく変えたビーンは、今度はヨーロッパ・サッカー界に革命を起こせるのか?

 サッカーのプレー経験のない元メジャーリーガーに、サッカーのなにが分かるのか?コアなサッカー・ファンはそう思うかもしれない。

 だが、ビーンは元選手や元監督の「ユニフォーム組」が大多数を占めていたメジャーのGM職に革命を起こし、今では野球経験のない超エリート・データ分析者がGMに抜擢されることは珍しくなくなった。経験者の主観ではなく、データが示す客観を重要視して、野球界の考え方を変えてみせた。

 サラリーキャップのないサッカー界で、豊富な資金力も持つビーンがどのような手腕を揮うのか。サッカー界と野球界だけでなく、世界のスポーツ界がビーンの動きに注目している。

野球界の常識を覆したビリー・ビーンは、サッカー界にどんな改革を起こすのか?(三尾圭撮影)
野球界の常識を覆したビリー・ビーンは、サッカー界にどんな改革を起こすのか?(三尾圭撮影)
スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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