「はね殺すつもりでやった」名古屋駅前自動車暴走事件「だれでもよかった」の犯罪心理
■歩道に車突入:名古屋で13人重軽傷「殺すつもりだった」
<名古屋・車突入>「家庭内にトラブル」容疑者供述毎日新聞 2月24日
「そんなことする子じゃない」名古屋駅暴走日本テレビ系(NNN) 2月24日
アクセル「べた踏み」で突入=駅前暴走の大野木容疑者―愛知県警:時事通信 2月24日
■通り魔的集団殺人の心理
「誰でもよかった」という集団殺人未遂事件が名古屋で起きてしまいました。詳細はまだ不明です。安易に、「ひきこもり」状態の人を危険視することなどないようにしなければなりません。
一般的にいえば、通り魔的な、「誰でもいいから殺したかった」といった集団殺人事件は、次のように考えれるでしょう。
無差別大量殺人を狙う通り魔的な事件は、絶望感による犯罪だと考えられます。普通の犯罪のような自分の利益も逃亡も考えていません。
よくあるパターンが、自分には能力があるはずだと感じている人が、それなのに人生が上手く行かず、自分は最低だと思い込む。こんなはずではなかったと思い込む。その思いが行き着く先が、「世の中が悪い」です。
彼らは、自分らしさを見つけることができず、一歩ずつ逆境を乗り越えることができず、一発大逆転的な犯行に至ります。
特定の誰かを恨むほどの人間関係もできていない人が、誰でもいいから殺したかったといった犯行を実行します。
自分を嫌い、社会全体を憎み、自分の人生もこの世界も終わりにしたいという思いです。
無職、引きこもりといったことが(これらの人がみんな怖いわけでは決してありませんが)、
現実感覚をさらに失わせ、世の中への恨みの感情を高め、天誅を下す、正義の鉄拳といった感覚で犯行に至らせます。
最後に、オレの力を思い知らせてやると言った感覚です。
「自動車」は、鉄の鎧で自分を守ってくれる物です。刃物よりも、自分は安全な場所にいて、攻撃できる「武器」になるでしょう。
今回の事件では、そんなことをすると思えない人と言われていますが、普段から乱暴な人は、たいていこのような犯罪は起こしません。ストレスを小出しにできず、思い通りにならないストレスを溜め込むことが、爆発的犯罪につながります。
今回は、家族のトラブル、家族がみな引越し1人暮らしを始めたと報道されています。これが、彼の絶望感を引き起こしたのかもしれません。おそらく、家族にはやむにやまれぬ事情があったのでしょうが。
■無差別殺人の恐怖と防止策
通常の殺人は、人間関係のもつれや、金目当てなどが、動機です。そうであれば、自分は狙われる危険はないと思える人たちも多いでしょう。しかし、通り魔犯罪的な、「誰でもよかった」といった事件は、誰が狙われるかわかりません。
事件は、しばしば駅前などの繁華街でおきます。その地域の人にとってはなじみのある場所です。
もしかしたら自分も被害にあっていたかも知れないと不安になります。誰もが被害者になる可能性がある。しかも、動機がよくわからない不気味な動機である。だから、このような無差別な犯罪は、私たちに恐怖を呼び起こします。
犯罪の防止としては、刑罰が考えらます。しかし、自分が死んでもいいと思っている大量殺人や、ストーカー殺人は、死刑も犯罪抑止にはなりにくいでしょう。
殺人にブレーキをかけるのは、コミュニケーションではないでしょうか。殺意を持っている人を孤独にさせないこと。そのような困った人を抱えている家族を孤立させないことです。
泥棒で生計を立てているようなプロの犯罪者とは違って、追い詰められた素人だからこそ恐ろしい犯罪を犯してしまいます。でも、プロではないからこそ、実行にいたる途中で、何かがあれば、犯行を思いとどまる事はできたかもしれません。
今回は、レンタカー店を再訪問するなど、かなり強い殺意はあったようですけれども。
続報を待ちたいと思います。被害者の皆様の回復を祈りつつ。
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秋葉原無差別殺傷事件の犯罪心理学:事件直後の記事
これも、車でつっこみましたね。
秋葉原無差別殺傷事件の犯罪心理学:事件5年後の記事
『誰でもいいから殺したかった!:追い詰められた青少年の心理』碓井真史著 私もあの日の午後秋葉原にいました。