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学校のブラック化解消を「小池劇場」ばかりに任せてはいけない

前屋毅フリージャーナリスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

3月9日、東京都西東京市の市立小学校の新任女性教員が自殺したのは「公務が原因」とした東京高裁判決について、被告の地方公務員災害補償基金は上告しないことを決めた。高裁判決が確定し、女性教員の自殺は「公務災害」として認められることとなり、遺族への補償が行われることになったのだ。

地方公務員災害補償基金は上告を視野に動いていたようだが、「同基金都支部によると、支部長の小池百合子都知事が女性の自殺を『公務災害にあたる』と判断したという」(『朝日新聞』電子版3月9日付)。つまり小池知事の「鶴の一声」で同基金の方針が変わったわけで、築地中央市場の豊洲への移転に「鶴の一声」で「待った」をかけた、小池劇場の再現といっていい。

女性教員は2006年4月に採用されて2年生の学級担任になったが、クラスでは児童による万引き事件や上靴隠しなどのトラブルが続き、保護者からのクレームも相次いだ。そのため彼女は採用から2ヶ月でうつ病を発症して休職したが、復帰後もクラスでのトラブルは続き、その心労のため10月に自殺を図って意識不明の重体となり、12月に亡くなっている。

遺族は地方公務員災害補償基金に公務災害の申請をしたが認められず、東京地裁に訴え、2016年2月に「原因は公務にあった」という判決を勝ちとる。それを不服として基金が、上告していたのだ。そして高裁での二審も、一審同様に公務災害を認めるものだったのだ。それだけみても、女性教員を死に追いやった原因が公務にあったことは明らかである。

にもかかわらず、なぜ基金は公務災害を認めなかったのか。拙著『ブラック化する学校』(青春新書インテリジェンス)でも、基金に公務災害の認定請求をしても、なかなか認められない現実、認めさせるには並大抵の苦労ではない現状を、具体的な例でもって説明している。教員としての仕事をしていたにもかかわらず「校長が命じていないから公務ではない」といった、あきれる理由をもちだしてくるなど、なかなか基金は公務災害を認めようとはしないのだ。

もしも小池知事の「鶴の一声」がなければ、基金は上告していたはずである。家族を失ったうえに長い裁判を闘わなければならない遺族の負担は想像を絶するものである。

基金が公務災害をなかなか認めない理由のひとつには、増えつづける教員の過労死・自殺がある。ここ10年では、ほぼ倍に増えている。

その全部について公務災害を認めて補償していれば、基金そのものの存立にかかわってくる。だからこそ、基金としては慎重すぎるくらい慎重になるのだろう。しかし、それでは死んだ教員と家族は救われない。

今回は小池知事の判断で救われることになったが、いつもいつも「鶴の一声」があるわけでもないだろう。「小池劇場」は、東京都以外では起きえない。

教員を守るには、基金そのものが柔軟にならなくてはならない。その前に、教員を死に追い詰めかねない学校における労働環境の改善が必要である。

学校の労働環境の改善は、教員のためでもあるが、それ以上に、子どもたちのためでもあるのだ。教員が存分に力を発揮できる環境であれば、それだけ子どもたちは成長することができる。子どもたちのために、「小池劇場」に頼らなくてもいいような健全な学校の労働環境にしていく必要がある。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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