【戦国こぼれ話】プーチン大統領と豊臣秀吉は、権力者特有の似た者同士である
2月下旬からはじまったロシアによるウクライナ侵攻。一刻も早く収束してほしい。ところで、プーチン大統領と豊臣秀吉はよく似ている。この点を深く掘り下げてみよう。
■プーチン大統領の理屈
2月下旬からはじまったロシアによるウクライナ侵攻は、プーチン大統領が指示したものだ。そもそもウクライナは独立した主権国家で、NATOに加盟を検討していた。これが事の発端である。以下、報道などでご存じだろうが、簡潔にまとめておこう。
ウクライナは領内のクリミア半島や二つの州の一部がロシアに併合されそうになったので、ロシアを脅威に感じていた。しかし、プーチン大統領は、ウクライナがNATOに加盟すると聞いて激怒した。もちろん、プーチン大統領には言い分があった。
ウクライナがNATOに加盟することは約束違反であり(加盟しないことを約束していた)、ロシアの脅威になりかねなかった。次に、2つの州に住んでいるロシア人がウクライナから迫害されているので、救援する必要もあった。プーチン大統領の言い分は「ウクライナが悪い」ということだ。
その後、両者で和睦が協議されたが、プーチン大統領はロシアの主張を飲まなければ、和睦はしないと述べた。平たく言えば、「ウクライナが謝って、すべての要求を飲んだら許してやる」ということだ。考えてみると、一方的に攻撃しておいて、被害者に「謝れ!要求を飲め!」というのだから、おかしな話である。
プーチン大統領の目的は、ウクライナをNATOに加盟させないだけでなく、「親ロシア」の傀儡国家にするつもりなのだろう。もはや、側近も意見できないに違いない。今後の行方が注目される。
■豊臣秀吉が行ったこと
豊臣秀吉と言えば、時代劇などで明るくひょうきんなイメージで描かれるが、実際は逆だった。「ブラック秀吉」というのが、本性である。権力者特有の秀吉の悪行は、挙げたらキリがない。
そもそも秀吉は、恫喝が得意である。秀吉は諸大名を屈服させる際、半ば虚偽としか思えない書状を送りつけ、相手を脅したことで有名である。「○○は最後まで逆らったので、首を刎ねてやった!」、「××は詫びてきたが、許さなかった」という類である。
その結果、書状を受け取った諸大名は「ひえ~~~!」と驚いてしまい、即座に従属することを誓うのである。書状のなかには「草木でさえ、秀吉にひれ伏する!」なんて書かれているので、大名のなかにはちびってしまった者がいたかもしれない。
天正18年(1590)、秀吉は小田原北条氏を討伐した。そもそも北条氏が秀吉の政策基調の惣無事(私戦の禁止)を破ったのが悪いのだが、その後の対応が後手に回ったのも悪かった(上洛が遅れた)。激怒した秀吉は北条氏に宣戦布告状を叩きつけ、ただちに出陣した。
関東で威勢を誇った北条氏だが、あっけなく秀吉の軍門に降った。助命嘆願もあったが秀吉は許さず、北条氏政や家臣は自害した。こうして、関東の名門大名だった北条氏は滅亡したのである。秀吉が怒ったら、誰も手を付けられなかったのだ。
秀吉は、東南アジアの諸国に「属国になれ!」と書状を送りつけた。受け取った方も驚いただろうが、送った方も送った方である。むろん、東南アジアの諸国は日本の属国にならなかった。秀吉は、誇大妄想が強かったといえよう。
文禄・慶長の役の秀吉も酷かった。一方的に朝鮮半島に攻め込んだ挙句、さまざまな要求をした。それが朝鮮側に受け入れられないと、激怒してまた攻め込むという具合である。もう誰も手を付けられず、重臣でさえも諫めることができなかった。
そんな秀吉の最期は悲惨なもので、認知症のような症状が酷かったという。秀吉が失禁したことは、史料にも書かれている。その挙句、秀吉はおかしなことを口走るようになり、絶命したといわれている。
■むすび
この件に限らず、権力者の暴走は止められない。二人はよく似ている。問題は、周囲でさえ口出しできず、下手に口を差し挟んだら、厳しい処罰を科される可能性があることだ。
今、ロシアは厳しい経済制裁を科され、ロシア国民は困っている。もちろん、ウクライナ国民も戦争で困っている。一刻も早く事態を収束させてしてほしい。