「神の薬」を巡って勃発…人類史上5番目の超大国が滅んだ戦争はなぜ起きたのか
17世紀の建国から数百年の歴史をもつ「清」という国は、人類史上5番目の国土を誇る超大国でした。
そんな清は、19世紀に当時最強といわれたイギリスと戦争をすることになります。
この戦争は「アヘン戦争」とよばれ、日本では日本史の授業で軽く触れられる程度の事件ですが、中国にとっては国が滅ぶキッカケとなった大事件でした。
一体、なぜ「アヘン戦争」は起こってしまったのでしょうか。
□18世紀のイギリスと清
産業革命でめざましい発展を遂げた18世紀のイギリス都市部の水は、そのまま飲めないほど濁った汚水で、市民たちは水の代わりにアルコールを飲んで水分補給をしていました。しかし、お酒を飲んで酔ぱらったまま工場で働くのには危険が伴います。
そこでアルコールの代わりとして注目されたのが、富裕層の間で嗜好品として親しまれていた「茶葉」です。お茶には、殺菌作用のある「カテキン」と興奮作用のある「カフェイン」が含まれており、仕事中に飲む飲み物として最適でした。
当時のイギリスは清の茶葉を輸入して国内に流通させていましたが、あまりの輸入量に茶葉の対価として支払っていた銀が底をついてしまいます。
もともとイギリスの狙いとしては、清にもイギリス製品を購入してもらうことで貿易バランスを図ろうと考えていたのでしょうが、清は現・中国の1.4倍に匹敵する国土と4億人という人口を抱えており、資源も生産力も十分。そのため、清はイギリス製品を輸入する必要がなかったのです。
□均衡の崩れ
イギリスの外交官は、不均等な貿易バランスを修正するために、清の皇帝のもとを訪れます。
しかし、清の皇帝は「貢物なら受け取ってやるぞ」といった横柄な態度で、交渉決裂。
当時の清には「中華思想」という考え方があり、これは「世界の中心に中国が存在している」というもので、中国以外の国を見下す傾向にありました。この思想を強く持つ清の皇帝は、当時最強といわれたイギリス相手に強気な姿勢を見せつけたのです。
横柄な態度をとる清に対して、なんとか売りつけられるものはないかと考えたイギリスは大麻の一種である「アヘン」にたどり着きます。
□アヘン
「アヘン」は、ケシという植物の実から採れる樹脂を固めたもので、正しく使用すれば「モルヒネ」とよばれる鎮痛剤を生成できました。一方で、使い方を間違えると命すら落としてしまう「麻薬」になってしまいます。
葉巻やタバコに混ぜていっしょに吸えば満足感や多幸感を味わうことができますが、何度も使用すると中毒になるほど強い依存性を持っており、当時の清にはアヘン中毒者が多数存在していたのです。
貧困格差の激しい清のスラム街では、幻覚作用の影響で空腹を紛らわせてくれるアヘンが安価に流通しており、彼らにとって手放せないものとなっていました。
イギリスは、そこに目をつけたのです。
□三角貿易
清で流通していたアヘンの原産国であるインドは、イギリスの植民地でした。
これを好都合と捉えたイギリスは、インドを利用してアヘンの大量生産・大量輸出を命じます。
何も買ってくれない清から茶葉を輸入したイギリスは、インドに綿を売りつけて銀を回収。インドはアヘンの生産・輸出で銀を稼ぐというイギリスにとって都合の良い「三角貿易」とよばれる構図が完成しました。
□混乱と処刑
三角貿易により、三国の貿易バランスは保たれましたが、大量の麻薬が国内にばら撒かれた清は大混乱となります。
アヘンは貧困層だけでなく富裕層や役人にも流行し、国家の危機的状況に清の政府は「アヘン貿易禁止令」を発令。しかし、以降もアヘン中毒者は後を絶たず、密輸による輸入が増加する一方でした。
そこで、皇帝の右腕であった大臣「林則徐」はアヘンの密輸関係者や販売者、使用者などのすべてを処罰すると宣言したのです。厳しい監視のもと、イギリス人も中国人もインド人も等しくすべてを処罰していった林則徐は、徴収したアヘンをすべて埋め立てました。
これに危機感を感じたイギリスやインドの商人は直ちに撤退。この状況を打破したいイギリス政府は、清に対して戦争を仕掛けることを決定します。
これが「アヘン戦争」のはじまりです。
その後、アヘン戦争で敗北した超大国「清」は滅亡し、その国土を狙って世界各国が火花を散らすことになるのですが…この話はまたの機会に紹介しましょう。
古代ローマの医者に愛用され「神の薬」ともいわれたアヘンは、数世紀の時代を超えて清という国を滅ぼす原因となってしまいました。
大きな利益を生む貿易は、相手国とのバランスがうまく取れないことも少なくありません。ただ、人の命を救う良薬を戦争の火種に変えてしまうことのないよう解決策を見出していく、これこそが現代人である私たちの課題ともいえるでしょう。