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妻の命を奪ったテロリストを憎まない。その決意の先も、悲しみは続く中で。

杉谷伸子映画ライター

2015年11月13日金曜日にパリで発生した同時多発テロで妻を失った男性が、犯人を憎まず、幼い息子と共に幸せに生きていくという決意を綴ったフェイスブックへの投稿が、一晩で20万人以上にシェアされた。

投稿の一節がタイトルになっている、その男性アントワーヌ・レリスの実話『ぼくは君たちを憎まないことにした』キリアン・リートホーフ監督に話を聞いた。

キリアン・リートホーフ:1971年生まれ。ハンブルク大学で映画を学ぶ。監督作『陽だまりハウスでマラソンを』('13)がドイツ本国で大ヒット。(c) Thomas Leidig
キリアン・リートホーフ:1971年生まれ。ハンブルク大学で映画を学ぶ。監督作『陽だまりハウスでマラソンを』('13)がドイツ本国で大ヒット。(c) Thomas Leidig

妻の命を奪ったテロリストを憎まないと宣言できるアントワーヌは、相当な人格者のイメージを抱かせる。けれども、憎まないという決意のあとも、彼の心は、妻エレーヌを亡くした悲しみや絶望に揺れ動く。葬儀の準備や子育てなど次々と現実の問題に直面するなか、愛する娘や妹を失い、同じように悲しみを抱えている義母や義姉の感情まで思いやれないこともある。

そんなふうにアントワーヌが決して聖人ではなく、悲しみに打ちひしがれた普通の人であることで、「ぼくは君たちを憎まないことにした」という言葉がより深く沁みてくるのだ。

「大切な人を失ったその瞬間だけ悲しみがあるわけじゃない。憎しみを断ち切ると言葉にすることはできても、その先もずっと悲しみや喪失感を抱えながら生きていかなきゃいけない現実がある。

“彼が綴った言葉が素晴らしい。感動した。はい、終わり”ではなくて、あの言葉を綴ったあと、彼が悲しみや痛みを抱えながらどう生きてたかを見せることが、すごく大事。

一人の人間として憎しみを断ち切るのはどういうことなのか。彼にとっては、それは息子と共にこれまでどおり生きていくということ。大事な息子を愛することにコミットすることによって、彼は救われていくんです」

アントワーヌ役には『エッフェル塔〜創造者の愛〜』('21)などのピエール・ドゥラドンシャン。
アントワーヌ役には『エッフェル塔〜創造者の愛〜』('21)などのピエール・ドゥラドンシャン。

完成した作品を観たアントワーヌさんの反応は? 

「彼の気持ちの変化を描写するためにドラマティックに脚色してある部分もありますが、当時の自分の行動を改めて見て、“自分がどういう人間なのかわかった”と言っていました。

そして、 “自分の妻にまた会えた”とも。アントワーヌやエレーヌをちゃんと描くことがすごく大切だったので、エレーヌを演じるカメリア・ジョルダナの中に自分の妻の姿を見たと言ってくれてとても嬉しかったです」

「アントワーヌにしか見えない瞬間もたくさんあった」と監督が絶賛するピエール・ドゥラドンシャンはもちろんだが、幼い息子メルヴィルを演じた女児ゾーエ・イオリオがまた素晴らしい。

母を恋しがる幼な子の「ママ…」という言葉一つとっても、さまざまな感情のニュアンスの違いを感じさせるが、当時3歳だった彼女を演出するのは大変だっただろう。

エレーナ役は、イヴァン・アタル監督作『LE BRO』('17)に出演し、セザール賞とリュミエール賞の新人女優賞にノミネートされたカメリア・ジョルダナ。
エレーナ役は、イヴァン・アタル監督作『LE BRO』('17)に出演し、セザール賞とリュミエール賞の新人女優賞にノミネートされたカメリア・ジョルダナ。

「彼女は想像の世界の中でちゃんと演じられることが、キャスティングのかなり早い段階で分かりました。たとえば、“この壁に耳をあてて、壁の向こうには動物がいると想像して”というと、彼女の中にちゃんとその感情が生まれていることが瞳を見るだけでわかる。

自然な表情を引き出すために、撮影ではそれぞれのシーンをおとぎ話に例えて伝えました。たとえば、父親に怒られて洋服ダンスの中に隠れているシーンでは、“ドアを開けたら怒ってるお父さんがいるよ」”ではなく、“怖いオオカミがノックしていて、君はヒツジだよ”と伝えてあげるというような。

物語の中心に3歳児をキャスティングするのは間違いではないかとすごく悩みましたが、ゾーエを見つけられたのはラッキーでした。

ただ、ピエールは大変だったと思います。感情豊かに演じなければならないシーンも、子役のペースに合わせなければいけない。普段とはまったく違って大変ななか、頑張ってくれて非常にありがたかった」

メルヴィル役のゾーエ・イオリオ。幼いながら豊かな感情表現で魅了する。
メルヴィル役のゾーエ・イオリオ。幼いながら豊かな感情表現で魅了する。

リートホーフ監督自身にもメルヴィルと同じ年頃の娘がいるそうだが、世界のあちこちで憎しみの連鎖が絶えないなか、この作品が日本の観客にどのように届くといいなと考えているのだろう。

「テロ攻撃はいつなんどき起こるかわかりませんし、つい最近もイスラエルで音楽を楽しんでいた若者たちに、バタクランのように悲劇的なテロ攻撃が起きたわけですよね。

憎しみを断ち切るというこの大きな命題には、簡単に出せる答えはありません。けれども我々ができるのは、この映画の中にあるように、まず自分の大切な人たちに愛情をしっかりコミットすること。愛する人を守ってあげること。

最近、欧米では携帯ばかり見て、子供よりも自分の時間を優先してしまう親が増えていますが、しっかり時間を取って子供と接することによって、恐ろしい世界から守らなければいけない。

そうして子供を守ることにコミットすることによって、アントワーヌのように「私と息子は2人きりだ。でも、世界中の軍隊より強い」と言える気持ちになると思うんです。

私たちにできることは、家族を大切にすることであり、子供を守り、愛情をもって育てること。周りの人にも愛情をもって接していくことによって、憎しみと立ち向かっていく。

もう一つは、今の世の中、民主主義もすごく危うい状況にあるなかで、ただ受け身になるのではなく、アントワーヌのように自分が信じるものを言葉にして発信することの大切さ。そうすることによって、自分の大事な家族や、さらには民主主義という大切なものが守れると感じています」

(c)2022 Komplizen Film Haut et Court Frakas Productions TOBIS / Erfttal Film und Fernsehproduktion

『ぼくは君たちを憎まないことにした』

TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中

映画ライター

映画レビューやコラム、インタビューを中心に、『anan』『SCREEN』はじめ、女性誌・情報誌に執筆。インタビュー対象は、ふなっしーからマーティン・スコセッシまで多岐にわたる。日本映画ペンクラブ会員。

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