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さあ、日本選手権。社会人野球・監督たちの野球哲学/2 Honda・岡野勝俊

楊順行スポーツライター
開催地・京セラドーム。Honda(埼玉)は今日の第2試合で王子(愛知)と対戦(ペイレスイメージズ/アフロ)

○…今季から監督就任。掲げたのが、『打ち勝つ野球』です。

「念頭にあるのは2009年、ウチが(都市対抗で)優勝したときの打線なんです。当時は私も現役でしたが、すごい得点パターンでしたよね、なにしろ監督のサインがいらないんですから。たとえば鷺宮製作所との2回戦では初回、二番・川戸(洋平)の先制アーチから始まり、長野(久義・現巨人)、西郷(泰之)さん、多幡(雄一)の3連打で3点と、相手先発を8球でKOしたんですから。私自身もその前年、新日本石油ENEOSとの準決勝で、田澤(純一・現マーリンズ)から先制3ランを打っています。その試合は結局負けましたが……。

 思い出すのは(青山学院)大学4年の春の入れ替え戦です。34季ぶりに1部の最下位で、国士舘大に先勝しながら、2回戦は7回まで0対1と負けていたんです。しかも、ノーヒット。ですがその場面から自分が逆転2ランを打ち、2部落ちを免れた。やはりホームランにはチーム、試合を変える力があるんです。その点いまのチームは、ちょっと長打力が物足りないですね。むろん全員がホームランを狙うのではないですが、もっと振る力をつけないと。都市対抗の通算本塁打記録を持つ西郷さんに、コーチとして復帰したもらったのは、そこを向上させるためでした」

○…13年までコーチを務め、3年ぶりの現場復帰。 

「コーチを退いてからは野球とはまったく離れ、営業としていろんな企業さんを回ったんですが、人とのつながりの大切さというのがあらためて勉強になりました。また現場は離れていたとはいえ、チームの試合はけっこう見ていましたから、第三者的に視野を広く野球を見られたのは収穫です。たとえばベンチにいる監督のサインの出し方とか、当事者でいたら見逃しがちな細かいところまで気がつくんですね。

 現場を離れていた3年で、選手の半数が入れ替わりました。ただその間、試合を見るなどの予備知識はあったので、まずは個人面談で彼らの思いを聞き、私からはこういう選手になってほしいと伝えました。16年は、12年連続していた都市対抗の出場が途切れ、日本選手権も出られずに、選手たちはけっこう引け目を感じていたと思うんです。ただ面談では、引け目から反省ばかりしていて、その悔しさをもとに"こうしていきたいんだ"という思いがあまり感じられなかった。どうするのか、を追い求めよう、と選手に要求したのはそのためです」

「負ける気がしなかった」空気を求めて

○…数少ない09年の優勝メンバーで、ベテランの小手川喜常を主将にしました。

「スタッフでも私のほかに、優勝メンバーの西郷さん、橋戸賞を獲得した筑川(利希也)を、コーチとして復帰してもらいました。とにかくあの年は、前年の都市対抗ベスト4あたりから、負ける気がしなかったんですよ。そういう空気がチーム全体にあった。当時からよく、"なぜ、そういう空気になれたんだろう?"と考えたものです。

 もちろん、こうすればそうなるという正解はひとつじゃありません。ですが、チームの一体感というのがひとつの答えじゃないか、と。スタッフと選手だけではなく、会社、地域をひっくるめての一体感ですね。全員がさまざまな情報を共有し、ときにはぶつかることがあっても、最後にはひとつになる。小手川のキャプテン指名もそうですが、西郷さんと筑川に戻ってもらったのも、チームが強いときの空気というものをよく知っているからなんです」

※おかの・かつとし/1976.10.12生まれ/群馬県出身/東農大二高→青山学院大→Honda

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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