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負けた方の末路は悲惨、完全に一派根絶やしも 凄絶な戦国時代の御家騒動5選

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
毛利元就の家督継承にも、紆余曲折があった。(提供:アフロ)

 今も昔も御家騒動はあるが、会社などの御家騒動では、負けた方が殺されることはないだろう。戦国時代の場合、負けた方の末路は悲惨だった。今回は5つの御家騒動を取り上げることにしよう。

■毛利家の御家騒動

 明応6年(1497)、毛利元就は弘元の次男として誕生した。永正13年(1516)に毛利家の家督を継承した兄の興元が亡くなると、子の幸松丸があとを継ぎ、元就はその後見人となった。

 大永3年(1523)、幸松丸が亡くなると、元就が重臣の推挙によって、毛利家の家督を継いだ。しかし、元就の家督継承は、必ずしも歓迎されなかった。翌年、重臣らの一部が元就の異母弟・相合元綱(あいおう もとつな)を擁して反抗したのである。背後には、出雲尼子氏の支援があった。

 しかし、元就は家臣の志道氏らの支援もあって、元綱一派を粛清・自刃に追い込むことに成功した。その結果、元就は家臣団の結束を強め、中国地方に覇を唱えることに成功したのである。

■上杉家の御家騒動

 天正6年(1578)に上杉謙信が亡くなると、上杉家の家督をめぐって、養子の景勝(長尾政景の子)と同じく景虎(北条氏康の子)が争った。2人が争ったのは、謙信が後継者の指名をしていなかったのも一因だった。

 景勝は春日山城(新潟県上越市)に入り、景虎は御館(同)に拠って戦った(御館の乱)。最初は景虎が戦いを有利に進めたが、甲斐の武田勝頼が景勝に与すると形勢は逆転。景勝は、優位な立場となった。

 翌天正7年(1579)、御館は落城し、景虎の正室は自害。景虎の嫡男は上杉憲政とともに逃亡したが、その途中で殺害された。景虎も北条氏を頼りして小田原城に向かったが、堀江宗親によって殺害された。こうして景虎一派は、完全に根絶やしにされたのである。

■今川家の御家騒動

 天文5年(1536)、今川氏輝が亡くなると、弟の栴岳承芳を還俗させて義元と名乗らせ、今川家の家督を継承させた。これを積極的に進めたのは、氏親(氏輝、義元の父)の正室・寿桂尼や太原雪斎といった重臣である。一方、今川氏の重臣の福島(くしま)氏は、玄広恵探(げんこうえたん:氏親の側室の子)を擁立した。

 同年5月、寿桂尼は恵探派に家督を諦めさせようと説得しようとしたが、失敗。その直後、恵探派の軍勢は今川館(静岡市葵区)を襲撃したが、義元らはこの攻撃を何とか防いだ。恵探は花倉城(静岡県藤枝市)に籠り、義元と対峙した(花倉の乱)。

 しかし、同年6月、義元は北条氏の支援を受けて、花倉城を落とした。その後、恵探は自害して果てた。義元は恵探ら一派を滅亡に追い込み、今川家当主の座を確固たるものにしたのである。

■大友家の御家騒動

 大友義鑑は嫡男の義鎮(宗麟)を次期家督に据えると決めていたが、やがて三男の塩市丸を後継者としたいと考えるようになり、義鎮を廃嫡しようと画策した。これが、大友家の御家騒動の発端である(大友二階崩れ)。

 義鑑は重臣たちに義鎮の廃嫡を迫ったが、これは拒否された。そこで、義鑑は家臣の入田親誠と結託し、反対派の重臣を次々と殺害したのである。ところが、天文19年(1550)、義鎮派の津久見美作らが大友館(大分市)を襲撃し、塩市丸らを殺害し、形勢は逆転。義鑑も重傷を負って、数日後に亡くなった。

 義鎮は家臣の戸次鑑連らに擁立され、大友家の家督を継いだ。しかし、大友家中の動揺は収まらず、その後も義鎮暗殺が計画されるなど、不穏な動きが止まなかったという。

■伊達家の御家騒動

 伊達稙宗は陸奥守護に補任されるなど、伊達氏中興の祖だったが、三男・実元の越後守護・上杉定実への入嗣や、婿の相馬顕胤への伊達領割譲などの問題を抱えていた。やがて、稙宗は長男・晴宗(政宗の祖父)や反対派の家臣団と対立していった。

 天文11年(1542)、稙宗が鷹狩りに出た際、晴宗に捕らえられて西山城(福島県桑折町)に連行された。その後、稙宗は救出されたが、晴宗との全面対決を決意し、戦いを有利に進めた(天分の乱)。

 しかし、天文16年(1547)に蘆名盛氏が裏切り、稙宗は不利になった。翌年、足利義輝の仲介によって、稙宗は晴宗に降伏して家督を譲ったのである。稙宗は丸森城(宮城県丸森町)に隠居した。

■まとめ

 戦国時代の家督騒動は、当主の急死、政治上の判断ミス、後継者指名への不満など、数々の例があった。いずれにしても家臣の意向は無視できず、家臣も自らが信頼する者を支援した。御家騒動に勝った者は、敗者を徹底して弾圧・粛清し、家中の団結力を強めたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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