神社等油まき事件の犯罪心理学(下鴨神社、首里城、金峯山寺、明治神宮、増上寺でも)
■各地で頻発する油まき事件
この数日、京都の世界遺産・下鴨神社や、奈良県の国宝・金峯山寺、沖縄首里城の守礼門、そして東京の明治神宮、増上寺と、油のような液体がまかれる事件が頻発しています。
<増上寺でも液体まかれシミ、重文の門や鐘楼に:読売新聞 4/5>
■公共物を汚す行為
公共物を汚す行為としては、落書きがあります。観光地で、自分の名前を落書きしたり、彫ったりする行為です。
公共物への安易な落書きは、心理学的には「マーキング」といえるでしょう。「○○参上」とか、恋人同士二人の名前を彫るとか、自分がここに来たという印を残す行為です。しかし今回の油まきのような行為は、マーキングとは異なるでしょう。
思想的な強いメッセージがあって裁判所にペンキをぬったなどの前例もありますが、今回はそれほど強いメッセージ性は感じません。「イスラム国」が行っているような遺跡の破壊も強い意思の表現ですが、今回のものは異なるでしょう。
今回のような有名な場所を汚す行為は、社会に対する何かの不満の表れであり、ストレスを解消するための愉快犯とも感じられます(長い目で見れば、このような犯罪の防止には、全ての人が希望を持てる社会作りが必要ですが)。
■神社油まき事件
神社等への油まき事件としては、2015年にアメリカ在住の日本国籍の男性医師に逮捕状が出た事例があり、記憶に新しいでしょう。このケースは、未逮捕ですが神社を清めようとした宗教的な動機ではないかと考えられていいます(もちろん自己中心的ですが)。
<神社油まき清め男の正体:カルト宗教でもなく異常者でもないからこその社会的問題>
■簡単で大きく報道される犯罪と模倣犯の心理
有名な宗教施設、文化財をハンマーで破壊するような行為は、大変な犯罪的行為です。それは、かなりの覚悟もいるでしょうし、逮捕されずに実行することも難しいでしょう。ペンキをかけるような行為も、それに近いものがあります。
ところが今回のように油などの液体を少量かけるような行為は、簡単にできます。体力も技術も費用も、ほとんど必用とされません。覚悟のない小心者の犯罪者でもで、いたずら心程度でできそうです。
それにもかかわらず、こうして全国ニュースとして報道されます。多くの人が困惑したり、怒ったりしている姿も映し出されます。
このように簡単に実行できて大きく報道される犯罪行為は、模倣犯がでやすい犯罪です。犯人としては、簡単に達成感や爽快感を味わうことができるでしょう。
また、2015年に逮捕状が出たにもかかわらず逮捕されなかったことも、今回の行為に影響を与えているでしょう。
模倣犯を防ぐためには、まず防犯カメラなど防止策強化が必用です。そして何よりも、早期の犯人逮捕です。簡単に実行できそうに思えるけれども、やはり犯罪は割に合わないと示さなくてはなりません。
その上で、社会全体の毅然とした態度が必要でしょう。一連の犯行を、過剰な演出で報道するのは、犯人を喜ばせ、さらに次の模倣犯を生むことにつながります。さらなる犯行を防ぐためには、防犯カメラや神社の職員だけではなく、社会全体で厳しく冷静な目を持もって事件を見ていかなくてはならないでしょう。