今年も渋谷ハロウィンがやってきたということで、忠犬ハチ公像の周辺が封鎖されたりスクランブル交差点に厳戒態勢が敷かれたりと若者による迷惑行為が警戒されていますが、そもそも渋谷ハロウィンはどういう流れで生まれたのでしょうか?
SNSでは「若者が勝手に集まった」とか、「いやその前に行政が集め始めたんだ」などの意見が出ていますが、実際のところはどうだったのか気になったので調べてみました。
結論から先に言うと地元商店街が秋の祭りにして人を集めようと仮装パレードを始めたことがきっかけです。
1980年代に渋谷区恵比寿・代官山周辺の商店会や企業が仮装パレードを開催
新聞・雑誌記事横断検索サービス『G-Search』で「渋谷 ハロウィン」を調べたところ、一番古い報道として1987年に地元の商店街や企業が「街の秋の名物行事にしたい」という考えから仮装パレードを開いたことを伝える記事が見つかりました。
百貨店もハロウィンイベント商法で売上を狙う
また、翌年の1988年にはハロウィンであまり商品が売れなかったため、全国の百貨店が10月16日を「ボスデー(上司の日)」と称して記念日ビジネスとしての売上を狙っていたことも報じられていました。
このハロウィン商戦はこのあと1990年になっても続いていっていることが伺えます。
当時は地元商店街も企業も、とにかくハロウィンで売らんかなとしていたようです。
外国人や日本人が大暴れして警察が出動
そしてハロウィンで人を集めた結果、5年後の1992年には外国人や若者による騒動が発生し、警察が出動する事態が起きています。
このさらに5年後の1997年にも警察が出動する騒ぎになっています。
つまり、ここ最近だけが荒れていたわけではないようです。
渋谷ハロウィンは30年前も荒れてました。
商店会のハロウィンを使った人の呼び込みは続く
とは言え、こうした事態を受けても商店街側はイベントの開催をやめることはなく、その後も仮装パレードは続けられていきました。
1997年の記事では仮装パレードは17回目にもなることがわかりました。
『G-Search』で最古の記事は1987年でしたが、単純計算で1980年から仮装パレードイベントが始まっていたことが分かります。
2000年代から企業が渋谷ハロウィンに乗っかり始める
こうして地元商店街や企業が頑張った結果、ハロウィン=渋谷という文化が出来上がりました。
そうした文化に、今度は首都圏の企業が乗っかり始めました。
例えば川崎市や横浜市でも同じようなハロウィンのお祭りが開催され始めたり、
パレードを開いていた商店街とは異なる渋谷公園通商店街振興組合や明治通り宮下パーク商店会などが連携してハロウィンパレードを含むイベントを始めたり、
テレビ番組や芸能人がハロウィンを取り上げたりしていきました。
2000年代は、「ハロウィン=仮装パレードをするお祭り」として日本で広く認知された時代だと言えます。
地元商店街は子供向けのイベントに路線変更。しかし、若者の暴動は止まらない
ただ、上記で紹介したように人が集まるにつれて問題も多々起きるようになっていきました。
そのため、ハロウィンがテレビなどでも大きく取り上げられ始めた2010年代には、当初から仮装パレードを開いていた地元商店街は参加者を「子供と保護者」に限定しています。
しかし、そうした対応をしてもすでに若者は集まってくるようになっていたため、2014年には機動隊が出動し、
2015年も警察を殴って逮捕される若者が出ました。
このようなことが続いた結果、もはや渋谷ハロウィンは地元商店街にとっては売上の上がらない悪夢のイベントになってしまったというわけです。
こんなことになるとは当時は誰も分からなかったはず
今回、渋谷ハロウィンについて調べた結果、最初に始めたのは地元の商店街や企業であることが分かりました。
ただ、彼らにいま起きていることのすべての責任があるのかと言うとそういうわけではないと思います。
地元でイベントを開催して人を集めた結果、暴れてしまう人たちが現れ、警察官が警戒していても自然発生的に大暴れする若者が集ってしまうようになった。
この結末を当時から想定するのはムリがあります。
また、渋谷ハロウィンと比較して「カワサキハロウィン」はあまり問題がないという話がSNSで展開されているのを見かけましたが、これはイベントの開催側が間違った認識であり、「怒られ続けてきた」と明かしています。
実際、コロナの影響とモラルの低下を受けて「カワサキハロウィン」は2021年に終了しています。
結局のところ、いまや渋谷ハロウィンも「どうやって終わらせるか?」という段階に来ているのではないでしょうか。