今週末の秋華賞で、牝馬三冠を目指すスターズオンアースと担当者のエピソード
結婚直後に担当馬が勝利
JRA史上7頭目の牝馬三冠を目指すスターズオンアース(牝3歳、美浦・高柳瑞樹厩舎)。この牝馬に、常に寄り添っているのが藤平真慶(トウヘイマサヨシ)だ。
1978年1月14日生まれで現在44歳の厩務員。神奈川県で3人兄弟の末っ子として育てられた。中学、高校とテニスに興じ「家族、皆が競馬好きだったのが、唯一の競馬との接点でした」と語る。
県立深沢高校を卒業したが、大学受験には失敗。浪人生活を送っていたある日、思い切った行動に出た。
「競馬の学校に入学するために、オーストラリアへ行く事にしました」
藤平にとって、人生の大きなターニングポイントになった。馬の取り扱い方や乗り方など、基本的からびっしり1年学んだ後、99年に帰国。千葉の和光牧場、2002年からは茨城のサーストン牧場を経て03年、競馬学校に入学した。
「その翌年(04年)から美浦トレセンで働き始めました。いくつかの厩舎を経て、開業して間もない高柳瑞樹厩舎に入ったのは11年の3月でした」
当時、知り合った女性が競馬ファンで、藤平の馬が走るたび、競馬場に応援しに来てくれた。そんな縁もあり、同年6月には結婚をした。
「それからすぐに担当していたラリエットが新馬戦を勝ってくれました。難しい馬だったし、厩舎は開業1年目でなかなか勝てない時期でしたし、自分は籍を入れたばかりという事もあり、色々な意味ですごく嬉しかったです」
惜敗続き後の桜花賞制覇!!
ラリエットの勝利が11年10月10日の事。それから丁度10年後の21年10月9日、またも藤平の担当馬が初勝利を挙げた。
それがスターズオンアースだった。
「ドゥラメンテの牝馬という事で気性的に不安はあったけど、綺麗な馬体は最初から目をひきました」
2戦目で勝ち上がると、3戦目の赤松賞のパドックで少しうるさい素振り。レースでも折り合い面での不安を露呈し3着に敗れると、続くフェアリーS(GⅢ)では直線でモタれて2着に惜敗した。
「続くクイーンC(GⅢ)でもモタれました。普段の調教ではそんな面を出さないだけに、悩みました」
馬具を変えたり、間隔が開く時だけメンコ(耳覆い)を着けたりと、考え得る限りの手を打ち、4月10日、牝馬クラシック第1弾の桜花賞(GⅠ)に挑んだ。すると……。
「ゲート裏まで付き添いましたけど、落ち着いていて、雰囲気は良かったです。スタートを見届けた後、移動するバスの中でレースをテレビ観戦しました」
道中はかなり苦しく見えたが、最後に差して来たのを確認すると、次のように感じた。
「あ!!勝っちゃった!!」
次の刹那、周囲にいた他の馬の厩務員達から「おめでとう」という言葉が降り注いだ。
「GⅠどころか重賞勝ちすら初めてだったので、表彰式とか、どうすれば良いのか分からず、レース後はバタバタでした」
当時は7番人気。それほど注目されていた存在ではなかったため、レース後にはこんなエピソードがあったと苦笑いして語る。
「『高柳厩舎の馬が桜花賞を勝ったね!』って“両親”から連絡がありました。自分が担当している事を伝えると、驚いていました」
二冠を制し、三冠制覇へ!
そんな初めての体験から僅か6週間後の5月22日。通称オークスの優駿牝馬(GⅠ)で、藤平は再び表彰台に立つ事になる。
「発走時刻が遅れてゲート裏で待たされたけど、イレ込む事もなくリラックスしていました。大外枠が気になったけど、元々血統的にはオークスの方が合うと思っていたので、桜花賞よりはむしろ自信を持って臨めました」
スタンド前のスタートを見届けた後、今度はゴール方向へ自らの足で歩きつつ、ターフヴィジョンに映る愛馬の姿を目で追った。すると……。
「1周したスターズオンアースが、最後の直線で自分の前を横切る時にはどの馬よりも良い脚色でした。いきなり二冠達成ですからね。それは嬉しかったです」
その後、残念ながら両前脚の剥離骨折が判明したが、不幸中の幸いで、今週末に行われる三冠の懸かる秋華賞(GⅠ)には間に合った。
「思った以上に元気に帰ってきてくれました」
そして、三冠へ向けた現在の心境を次のように続けた。
「馬に変なプレッシャーをかけないように、普段通りに接して競馬へ送り込む事を心掛けます」
現在、藤平には3歳になる子供が1人いる。春に二冠を制した際は新型コロナウィルス騒動の渦中という事もあり、たとえ家族であっても競馬場での観戦がかなわなかった。騒動も大分落ち着いてきたこの秋、家族や両親は、応援のために競馬場へ駆け付ける事が出来るだろうか。そんな皆の前で、藤平が、そしてスターズオンアースが勇姿を見せられるよう、応援したい。
(文中敬称略、写真提供=平松さとし)