菅義偉総理、今のような状況だからこそ、君子豹変をお願いしたい!
菅義偉総理は、先の8月6日の広島市の平和記念公園で開催された平和記念式典でのあいさつで、「我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねた努力を着実に積み重ねていくことが重要」等の部分を読み飛ばしたといわれる。
その後、菅総理は、平和記念式典に出席後の記者会見で、「先ほどの式典のあいさつの際、一部を読み飛ばしてしまい、この場をお借りしておわびを申し上げる」と陳謝した。
また中日新聞の記事(8月6日)によれば、「政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした原因について、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした。『完全に事務方のミスだ』と釈明した」とのことである。
私たち人間は誰にでもミスは付きもの。それは、総理も例外ではないだろう。
そう考えれば、今回の菅総理のあいさつ読み飛ばしは、単なるミスに見えるし、仕方ないことのようにも思える。だが、菅さんが昨年総理になってからの記者会見や取材などにおける発言・説明・質疑応答、特に先の7月30日の緊急事態宣言の期限延長および対象地域の拡大に関する記者会見における発言・説明・質疑応答における言葉を考えると、別のメッセージあるいは別の見方がみえてくる。
それは、菅総理は、「言葉を大切にしていないのではないか」というものだ。
メディアによれば、菅総理は、人事管理で地方議員から総理まで上り詰めたといわれる。おそらく、その分野では天才的なスキルと知見を有する方なのだろう。筆者も、菅さんに以前に何度かお会いする機会があったが、その際にも相手を値踏みする視線が印象的だったことは今でも鮮明に記憶している。その経験からも、相手をどう使えるのかあるいは使えないのかを考えて、菅さんは相手を見ているのだろうといくことができる。
人事は重要だ。特に日本のように同質性が高く、特に政策形成が行政に大きく依存している社会では、人事によって人を動かし、組織を動かし、物事を実現しなくてはならないのでは非常に有効な手段だ。平時には、さらに組織の影響力が強くなるので、強力なアプローチであり武器となるといえる。
だが、現在のコロナ禍のような非常事態においては、状況は大きく変わる。非常事態時では、リーダーは、政治やビジネスに関わらず、人事および的確な判断やマネジメントは平時同様にもちろん重要だが、それ以上に実は「言葉」が重要になる。特に政治は元々、ビジネスなどよりも、社会や世論というような漠としたものを相手にするものであり、それらを動かしていくことが重要である以上は、「言葉」が最重要なチャネルなのであり、武器・ツールなのである。その意味では、政治家は「言葉」を重要視し、絶えず磨き続けることが必須なのだ。
さらに申し上げれば、日本国内外で今も猛威を振るい、余談を許さないコロナ禍は、すでにそのパンデミック化してから約1年半にもおよび長期化している。世界では、コロナ禍対策としてワクチン接種が始まり、国々による対応にも変化や多様化がみられ始めてきているが、未だに明確かつ確実な方策というものがみえてきているとはいえない。
そのような中、日本でも、人々の間にコロナ禍疲れやコロナ禍慣れが生まれてきている。そのような状況では、単に「緊急事態宣言」を出しても、特に選手の大活躍で高揚感を生んでいる東京オリンピック・パラリンピック2020の開催中では、その効果は余計に限定的にならざるを得ない。そのことは、現に宣言後の人流をみても、地域によっては若干減ってはいても、別地域では増えていたり、近隣の観光地では大幅に増えているなどという現状が生まれてきていることにもみてとることができる。
ここにおいては、その未だ今後の予想が立ちにくいコロナ禍に対して、具体的な政策の確実な推進と共に、否それ以上に、政治のリーダーによる「言葉」が重要になるのである。
筆者は、現在コロナ禍に関するある研究プロジュクトチームに参加し、世界各国の政治リーダーや政権によるコロナ禍政策に関する情報発信について研究している。
この研究からわかることは、同じ政治リーダーや政権でも、国民からの評価は時と共に浮き沈みし、定まっていないということである。その意味で、コロナ禍がいまだ収束しない現時点で、彼ら等の評価をするのは軽々だと考えている。
しかしながら、その研究から、国民・住民らからある程度の評価を受けている政治のリーダーの演説や発言等には、いくつかのポイントがあるように感じる。それらの主なものは、次のような点である。
・各リーダーとも、言葉を大切にしながら、自身の個性に基づいたメッセージと話し方で発信していること。
・メッセージが明確で、言葉がわかりやすく簡潔であること。
・科学的知見やデータに基づいていること。
・異なる層の個々の有権者・住人(含子どもたち)に寄り添い、個別に届くメッセージがあること。
・可能性や明るいことばかりでなく、困難や厳しさも明確に示していること。
・可能な限り明確な指示と対応を示していること。
・安易な楽観論ではなく、不確実なことは「わからない」と明確に指摘すること。
・国民・住民の意識を社会や他者に向けさせて、この国難を乗り越えるための社会的な団結を喚起している。
・間違いやミスをした際には、率直にその事実を認め、対応を変えている。
・国民に対して誠実であり、真摯に疑問や質問に答えようとしていること。
これらのポイントを踏まえた場合、菅総理の会見や発言はどのように考えればいいのだろうか。厳しい言い方をすれば、政治リーダーの言葉の重要性がさらに増大する緊急時においても、菅総理は、残念ながら「言葉の大切さをわかっていない」「言葉の重要性がわかっていない」と考えざるを得ないのである。
以上のようなことから、コロナ禍の行先の不透明感がさらに増す可能性がある中、菅総理には今一度言葉の重要性を再認識し、今後の会見や情報発信の対応を大きく変えていただきたいと考える。菅総理が、政策的な情報発信の仕方を変えれば、日本におけるコロナ禍に対する国民の行動や姿勢は確実に変わる。
もしそれができなければ、日本国民の政治や政策に対する不信感や疑念はさらに増し、国民や日本社会の懸念や混乱は一段を高まっていくことになるだろう。
菅総理、今こそご自身の君子豹変が求まられていることを自覚していただきたい。