ノーベル文学賞の発表が見送られた セクハラ構図はいずこも同じ 腐敗を生む秘密主義と特権階級
1901年以来、最大の危機
[ロンドン発]ノーベル文学賞を選ぶスウェーデン・アカデミー(定員18人)が4日、性的スキャンダルに端を発したアカデミー自身の混乱を収拾できないため、今年のノーベル文学賞を来年のノーベル文学賞と合わせて授与すると発表しました。
ノーベル文学賞は第一次大戦と第二次大戦のため6回(1914, 1918, 1940, 1941, 1942, 1943年)発表が中止されたことがありますが、該当者がなかったのは1935年の1度きり。発表が保留されたのが7回(1915, 1919, 1925, 1926, 1927, 1936, 1949年)あり、このうち5回は翌年の授賞式に合わせて授与されたそうです。
フランスの詩人シュリ・プリュドム(1839~1907年)に初授賞された1901年以来、ノーベル文学賞は最大の危機に陥っています。
スウェーデン・アカデミーは発表見送りの理由について「社会の信頼を失った」ことを挙げています。しかしアカデミーでは会員の夫による性的スキャンダルをウヤムヤにして既得権の維持を図る守旧派と、腐敗を一掃しようとするサラ・ダニウス前事務局長(56)ら改革派が激しく対立していました。
決めようと思っても決められない
現地からの報道によると暫定的に事務局長を務めているアンデルス・ オルソン氏(68)はこう話したそうです。
「アカデミーで活動している会員はもちろん、長期的で大胆な改革が求められていることを知っています。次のノーベル文学賞を発表するまでに信頼を取り戻す時間が必要です。この決定は過去とそして未来のノーベル文学賞受賞者、ノーベル財団、大衆への敬意から下されたものです」
しかし性的スキャンダルへの対応をめぐり会員の辞任や活動停止が相次ぎました。活動できる会員が意思決定に最低限必要な12人を下回り、10人になったため、残った会員で今年のノーベル文学賞を決めようと思っても決められない状態に陥ってしまったのが現状です。
守旧派は今年も例年通り、ノーベル文学賞を発表して伝統を守ろうと主張しましたが、改革派はとても発表できる状況ではないと応じなかったようです。
秘密主義の厚いベールに覆われた選考過程
ノーベル文学賞の選考過程は受賞の翌年1月から50年間門外不出とされています。
「川端康成とノーベル文学賞―スウェーデンアカデミー所蔵の選考資料をめぐって」(大木ひさよ著)によると選考は約1年かけて行われるそうです。選考過程で情報が外部に漏れないように、徹底した秘密主義が敷かれ、決定に至るまでの議論や審査は極秘に行われます。
発表前年の9月以降
ノーベル委員会が世界各国の作家協会会長、大学の文学・言語学の研究者・教授、過去のノーベル文学賞受賞者、スウェーデン・アカデミー会員に推薦状の依頼を600~700通送付
翌年2月1日
それまでに送られてきた推薦状をもとに300~350人と言われる候補者リストを作成
5月末ごろ
ノーベル委員会が第一選考を行い、15~20人の最終審査リストを作成
不正がないか厳重に調査。候補作をスウェーデン語、英語、フランス語、ドイツ語などに翻訳。スウェーデン・アカデミー会員が候補作家全員の作品を読み考察を重ねる
9月中旬
第1回選考会議。その後、数回の会議を経て最終候補を絞る
10月
ノーベル文学賞発表
女性18人の告発が発端
昨年11月、地元の主要紙ダーゲンス・ニュヘテルが、アカデミー会員の詩人カタリーナ・フロステンソン氏(65)の夫でフランス出身の文学サロン監督ジャン・クロード・アルノー氏(71)が過去20年にわたり会員や会員の妻、娘ら計18人に性的暴行を加えていたことをスクープしました。
実名と顔を出した4人を含む18人が後ろ姿や手で顔を隠した写真を掲載して、○○を強制されて頭部を押さえつけられ恐怖のあまり嘔吐したり、彼氏と一緒にいるのにいきなり股間に手を入れられて弄られたりした様子を克明に告発したのです。こうした性的暴行はアカデミーの施設だけでなく、ノーベル賞晩餐会で半ば公然と行われていました。
スウェーデン・アカデミーは年50近くの賞を授与しており、大手出版社、王立ドラマ劇場、王立音楽アカデミー、王立美術アカデミーとも強い絆を持っています。
アルノー氏はスウェーデン・アカデミーなどの資金で運営する自らの文学サロンで講演会や読書会、演奏会、舞踏会を仕切る文化界の最高実力者でした。性行為を拒否した女性を「干してやる」と脅していたそうです。
アルノー氏は年12万6000スウェーデン・クローナ(162万円)の活動資金をアカデミーから提供されていました。文学サロンには妻のフロステンソン氏も参画しており、利益相反が浮き彫りになりました。
アルノー氏はアカデミーがパリに所有するアパートメント(住宅)の管理を任され、維持管理費を受け取っていました。住宅に自分の表札をかけて私物化し、セクハラに使用するなど、やりたい放題でした。
賭け屋疑惑まで浮上
さらにはアルノー氏が発表の瞬間まで門外不出とされるノーベル文学賞受賞者7人の名前を事前に漏らしていた疑いまで浮上。
ヴィスワヴァ・シンボルスカ氏 (1996年受賞、ポーランド)
エルフリーデ・イェリネク氏 (2004年、オーストリア)
ハロルド・ピンター氏 (05年、イギリス)
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ氏 (08年、フランス)
パトリック・モディアノ氏 (14年、フランス)
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏 (15年、ベラルーシ)
ボブ・ディラン氏(16年、アメリカ)
事前に受賞者が分かれば、賭け屋で一儲けできるため、マルタに拠点を置くオンライン・ギャンブルの「ユニベット(Unibet)」などで投票に不審な動きがなかったか、調査が進められました。今のところ、不正は見つかっていません。
アカデミーは調査を依頼した法律事務所から「会計上の不正が見つかった」と警察に告訴するよう報告を受けたにもかかわらず、放置していると報じられています。
神になった終身制のアカデミー会員
スウェーデン・アカデミーの会員(定員18人)は終身制なので制度上、自らの意思で辞任することはできず、死去するまで会員の補充もされません。死刑判決を受けた会員が除名された例が18世紀に1件あるだけ。しかし、アカデミーとしての意思決定を行うには最低でも12人の出席が必要です。
英作家サルマン・ラシュディ氏が『悪魔の詩』を発表、イラン最高指導者ホメイニ師から死刑宣告を受けた問題への対応をめぐり、アカデミーでは会員が辞任するなど数年前から2人が活動を停止しています。
今年4月6日には前事務局長ペーテル・エングルンド、クラス・オステルグレン、シェル・エスプマルクの3氏がセクハラ・スキャンダルへの甘すぎる対応に抗議して「辞任」を表明。
初の女性事務局長としてセクハラを追及、アカデミーの改革派に取り組んできたダニウス事務局長も同月12日、信任投票の結果、辞任に追い込まれ、当のフロステンソン氏も活動を停止。さらに女性会員1人が辞任し、活動できる会員は10人になってしまいました。
アカデミーは現在の規約を変更しない限り、事実上、機能停止状態です。アルノー氏はすべての疑惑を否定しています。
アカデミーを支援するカール16世グスタフ・スウェーデン国王は「国王大権」を発動してアカデミー会員を全員解任してゼロから出直すぐらいの荒治療を施さないと、ノーベル文学賞に対する信頼はとても回復できないでしょう。
プッシーボウの反乱
ネット上にはアカデミーの決定に抗議してダニウス氏が辞任時にしていた「プッシーボウ(リボン結び)」をする女性や同性愛者の自撮り写真が次々と投稿されています。
アカデミーが極秘に会合を持った4月19日、ストックホルムやヨーテボリなどスウェーデンの主要都市で会員全員の辞任を求める「プッシーボウ」をした女性や同性愛者による抗議集会が開かれました。「プッシーボウ」には男性が着用する「ボウタイ」に対して女性という意味が込められています。
中国からの投資疑惑
ノーベル文学賞をめぐる疑惑は何も今に始まったことではありません。
12年のノーベル文学賞は中国の農民作家、莫言(モオ・イエン)氏に授与されましたが、「スウェーデンが中国から90億スウェーデン・クローナ(約1160億円)の投資を受ける見返りにアカデミーが文学賞の魂を売り渡したのではないか」とダーゲンス・ニュヘテル紙が報じたことがあります。
【疑惑その1】日本の村上春樹氏ではなく、莫言氏を強く推したとみられるアカデミーの中国文学担当ヨーラン・マルムクヴィスト氏は莫言氏の数作品を自らスウェーデン語に翻訳して会員に配布した上で、出版社から出版する予定でした。
【疑惑その2】授賞発表当日、中国中央テレビ局(CCTV)のクルーが会見場に来ており、誰が招待したのかといぶかる声が広がりました。莫言氏の下馬評が高かったとはいえ、CCTVがノーベル文学賞の取材に来るのは初めて。アカデミーは招待疑惑を否定しました。
【疑惑その3】授賞発表当日の朝刊で、ホーラス・エングダール元事務局長の妻がダーゲンス・ニュヘテル紙に対して「文学賞の受賞者を知っているが、公開できない」とコメント。発表まで門外不出とされる文学賞受賞者名が家族とはいえアカデミーの会員以外に漏れていたことで「文学賞の権威も地に墜ちた」との批判が渦巻きました。
【疑惑その4】中国の温家宝首相は10年4月、スウェーデンを訪れ、環境問題の研究・産業育成に使ってもらいたいと90億スウェーデン・クローナを投資すると発表。中国の首相がスウェーデンを訪れるのは約30年ぶりでした。
求められるノーベル文学賞の正当性
ノーベル文学賞は1958年『ドクトル・ジバゴ』でソ連共産主義体制を批判したソ連の詩人・小説家ボリス・パステルナーク氏(1890~1960年)に授与されましたが、政府の圧力でパステルナーク氏は受賞を辞退しました。
05年の文学賞受賞者、英劇作家・詩人ハロルド・ピンター氏(1930~08年)はアフガニスタン、イラク戦争を批判、当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領をナチスにたとえたことがあります。
06年受賞者のオルハン・パムク氏は100万人のアルメニア人、3万人のクルド人虐殺をトルコ政府は認めるべきだと訴え、国家侮辱罪で一時起訴されました。07年の受賞者ドリス・レッシング氏はトニー・ブレア元英首相やブッシュ前大統領を激しく批判しました。
00年の高行健氏は、莫言氏以前にただ一人、ノーベル文学賞を受賞した中国人ですが、1988年にフランスに政治亡命したため、中国国内では「中国人作家」として認められていません。
ノーベル文学賞は平和賞と同様「政治的だ」と批判されることが多いだけに、選考や授賞の正当性が求められています。セックスと金と権力にまみれたスウェーデン・アカデミーに果たしてその正当性が認められるでしょうか。
ノーベル財団のカール・ヘンリック・ヘルディン理事長は火消しに懸命です。
「スウェーデン・アカデミーの危機はノーベル賞に悪い影響を与えている。彼らの決定は状況の深刻さを際立たせている。ノーベル賞の長期的な評価を守る決定だ。今年授与される他のノーベル賞には何の影響もない」
「絶対的権力は絶対に腐敗する」のが世の習いとは言うものの、ノーベル文学賞の理想主義と人道主義はいったい、どこに行ってしまったのでしょう。
(おわり)