東京に来て、ようやく自分になれました。孤独ではなく気楽です(「スナック大宮」問答集その7)
「スナック大宮」と称する読者交流飲み会を東京・西荻窪、愛知・蒲郡、大阪・天満のいずれかで毎月開催している。2011年の初秋から始めて、すでに60回を超えた。お客さん(読者)の主要層は30代40代の独身男女。毎回20人前後を迎えて一緒に楽しく飲んでいる。この「ポスト中年の主張」を読んでくれている人も多く、賛否の意見を直接に聞けておしゃべりできるのが嬉しい。
初対面の緊張がほぐれて酔いが回ると、仕事や人間関係について突っ込んだ話になることが多い。現代の日本社会を生きている社会人の肌からにじみ出たような生々しい質問もある。口下手な筆者は飲みの席で即答することはできない。この場でゆっくり考えて回答したい。
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「ヤフーニュース個人での相談記事『転職で東京に来て1年。友だちができません。ひとりぼっちです。』には考えさせられました。愛知県から上京してきた独身の私も同じ状況にいるのですが、まったく逆の感覚でいるからです。東京は自分らしくいられて楽です。東京に来て、ようやく自分になれたような毎日です」(40歳の独身女性)
筆者は5年前から愛知県蒲郡(がまごおり)市に住んでいる。約8万人の人口が少しずつ減っている黄昏の地方都市だ。結婚して愛知に引っ越すまでは、東京都の杉並区に長く住んでいた。東京から地方へ。上述の女性と逆コースである。
杉並区の人口は55万人強。蒲郡よりはるかに小さな面積の土地に7倍近い人が生活をしている計算になる。なじみの店もある西荻窪という町にはスナック大宮でほぼ毎月「里帰り」しているが、駅周辺の人の多さに圧倒されるようになった。蒲郡駅前が同様の人口密度になるのは年に一度の花火大会の日だけだ。
東京はいつでも人が多すぎる。歩いても歩いても人ばかり。公園はあるけれど野ざらしの空き地や山林などはほとんどない。人が密集していることで生み出される活力と自由さ。息苦しさと寂しさ。
東京では自分らしくいられるという感覚は筆者にもわかる。趣味の集まりなどに主体的に参加すれば、気の合う同世代といくらでも知り合うことができるからだ。筆者が主催している「スナック大宮」もその実例で、「大宮の文章について語り合いたい」というマニアックな趣旨の飲み会であるにも関わらず、初参加のお客さんで席が埋まってしまうことがほとんどだ。一方、愛知県蒲郡市で開催するスナック大宮は常連客や友人に支えられている。
東京は人の海だ。すぐに潜り込むことができて、新たな人間関係の中に浮かび上がる自分を見出せる。大げさに言えば、いつでも生まれ変われる感覚だ。
蒲郡市を含む地方ではそうはいかない。筆者の場合は、妻が隣接する西尾市の出身であることも影響して、地元で気の合う同世代とは全員と「知り合いの知り合い」ぐらいの近さにいる。具体的には、豊橋市、豊川市、岡崎市、幸田町、安城市、西尾市、そして蒲郡市に住んでいる30代40代の文化系男女とは、好きな飲食店などが確実に重なっているだろう。各種の店舗が無数にある東京とは環境がまったく異なり、各店のスタッフや常連客を介して全員の近況を把握しようと思えば把握できるのだ。学校つながりやSNSを使えばこの距離感はさらに縮まる。
地方は良くも悪くも世間が狭い。都会に比べると人の出入りが少ないからだ。人口密度は低いのに、安心感と閉塞感を同時に覚える。筆者のような新参者でもそうなのだから、この土地で生まれ育った人はなおさらだろう。
東京ならば何度でも新たに生まれ変わることができる。この世界有数の大都会にいつでも移り住むことができる日本人は幸せなのかもしれない。