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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が初めて語った事件の核心

篠田博之月刊『創』編集長
植松被告が獄中でしたためたノート

 2017年9月5日、約1年前に津久井やまゆり園で19人もの障害者を殺害した植松聖被告に2度目の面会を行った。この記事は帰社して夕方から書いている。障害者に死を強制した彼が自らの死、つまり死刑になることを覚悟しているのかどうか。今回はそういう話を彼と約30分行った。当然、彼はその覚悟を持って昨年7月26日未明に事件を起こしているのだが、その話の前に、植松被告とこの1カ月ほど、私がどういうやりとりを行ってきたか書いていこう。彼があの日本中を震撼させた事件をどういう思いで引き起こしたのか、今それについてどう考えているのかという核心的な話だ。

 本人がそれについて詳細に語るのはもちろんこれが初めてだ。彼は現在、マスコミとの面会は基本的に断っているのだが、私とはこの1カ月以上、かなり頻繁に手紙のやりとりを重ね、面会も行ってきた。手紙も含めたこの1カ月ほどの彼とのやりとりは、9月7日発売の月刊『創』10月号に詳細に掲載した。その発売前に今回、彼の話の主要部分をこのヤフーニュースで公開することにしたのは、この事件が大変深刻で、決して風化させてはいけないと思っており、少しでも多くの人に読んでほしいからだ。ただ同時にこの事件については報道のしかたもまた難しいものがある。

 例えば植松被告からは手紙だけでなく、この間、彼が獄中でしたためたノートも送られてきている。この記事の冒頭の写真がその青色の獄中ノートだが、中身は彼の主張の集大成といったものだ。『創』10月号にはそれも一部掲載したが、ヤフーニュースのような極めて多くの人が見る媒体ではそのまま掲載するのは無理がある。報道する側もそういうことを考えねばならないほど、この事件の提起した障害者差別などの問題は、深刻だということだ。

 6月頃から植松被告は多くのマスコミの依頼に応じて手紙を書いたのだが、事件について全く反省していない内容だっため、新聞やテレビは「身勝手な主張」と紹介しただけで、その内容を公開しなかった。被害者感情を考えれば、私もそれはひとつの見識だと思う。しかし、一方で彼が何を考えてあの事件を起こし、今何を考えているのかという事実をできるだけ詳細に伝えることも、事件解明のためには必要だ。

それは事件の犠牲者19人がいまだに匿名であることとも関わっているのだが、この事件についてどう報道すべきかという問題も、実はなかなか難しい。その問題については機会あるごとに述べたいと思っているが、まずは植松被告が事件についてどう語っているのか。ここで8月22日に面会した時のやりとりを紹介しよう。

面会室で植松被告は深々と頭を下げた

「わざわざおいでいただきありがとうございます」

 8月22日、植松聖被告はそう言って、面会室で立ったまま深々と頭を下げた。あの凶悪な事件を起こした犯人と思えないような丁寧な対応をするというのは聞いていた通りだ。

 グレーのTシャツを着てさっぱりした印象なのだが、報道されてきたイメージと印象が異なるのは、髪の色が違うからだろう。逮捕後の植松被告については、彼が送検時に車の中で不敵な笑いを浮かべた映像が何度も公開されたが、あの金髪が強い印象を与えているようだ。髪の色が黒くなった植松被告は、ごく普通の若者という感じで、街中に現れても周囲の人は彼だと気づかないだろう。

「髪を染めていたのを黒に戻したの?」

 そう尋ねると彼はこう答えた。

「いや、伸ばしたままにしているだけです。だから後ろの髪の先のほうはまだ前のままなんです」

 そう言って首をひねると、後ろで束ねられた髪の先が確かに金髪だった。

ヒトラーの思想についてどう思っているのか

 植松被告とはこの1カ月以上、かなり多くの手紙のやりとりをしてきた。面会で尋ねたのは、そこで前から彼と議論してきたことだ。

《――君はヒトラーの思想と同じだとよく言われているけれど、君自身は手紙で、それは違うと言っている。だからヒトラーと君の考えのどこがどう違うのか確かめたい。君は昨年2月に津久井やまゆり園で職員らと話をした時に、「それじゃヒトラーと同じじゃないのか」と言われ、それを覚えていたので、措置入院の時に「ヒトラーの思想が降りてきた」と語ったという。それで間違いない?

植松 その通りです。もともとヒトラーがユダヤ人を殺害したのは知っていましたが、障害者をも殺害していたことは知らなかったんです。その時、職員から初めて聞きました。

――措置入院の時に「ヒトラーの思想が降りてきた」と言ったのはどういう意味だったの?

植松 それほど深い意味を考えて言ったわけではありません。

 今ちょうど『アンネの日記』を読んでいるのですが、ヒトラーと自分の考えは違います。ユダヤ人虐殺は間違っていたと思っていますから。

――じゃあナチスが障害者を殺害したことについてはどう思うの?

植松 それはよいと思います。ただ、よく自分のことを障害者差別と言われるのですが、差別とは違うと思うんですね。

――君は津久井やまゆり園で起こした事件については、今も間違っていたと思っていないわけね。

植松 安楽死という形にならなかったことは反省しています。

――つまり死を強制してしまったことね。でも殺されるほうは同意するがわけないじゃないか。今『アンネの日記』を読んでいると言ったけど、他にはどんな本を読んでいるの。

植松 鑑定のために一時立川署にいたのですが、その時はいろいろな本を読みました。医療関係の本とかですね。

――精神医療ということ?

植松 延命治療とか安楽死とかについてです。

――ああ、そういうことか。

「自己愛性パーソナリティ障害」という診断について

――君は精神鑑定で「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されたけど、それについてはどう感じているの?

植松 指摘されたことについては、ああそういうこともあるのかと、自分の欠点を指摘されたと思いました。ただ、それを「障害」と言われると違うと思います。

――鑑定は君の責任能力を見るために行われたわけだけれど、君は昨年2月に衆議院議長に届けた手紙で、心神喪失という診断で無罪にという話を書いていた。今回の鑑定では責任能力ありと診断されたわけだけれど、そこのところはどう考えているの?

植松 あの手紙のその部分については、そこまで深く考えて書いたわけではないのです。

――君は自分のことがどう報道されているかある程度は知っているのだと思うけれど、テレビは見ているの?

植松 テレビは見ていません。

――じゃあ送検の時の「不敵な笑い」と言われた君の表情については動画では見てないの?

植松 それは新聞で見ました。まずかったなあと反省しました。

――「不敵な笑い」と言われても自分ではそんなつもりはなかったと。

植松 はい。

――取材陣が殺到する異常な光景を見て思わず笑ってしまい、「不敵な笑い」と言われるのは、こういうケースでよくあることだよね。テレビを見ている人には取材陣が大混乱している様子が映されないから、事情がわからない。 》   

事件から1年を迎えた津久井やまゆり園
事件から1年を迎えた津久井やまゆり園

 以上、紙幅の都合で主要な部分の会話を紹介した。植松被告については、これまで具体的な情報が乏しかったこともあって、例えばネットで検索すると根拠のない話が大量に流布されている。送検時の植松被告の「不敵な笑い」についても、さんざん語られているのだが、かなりの部分が思い込みに基づくものだ。凶悪犯が逮捕されると「不敵な笑み」を浮かべ、食事を「ペロリとたいらげる」というステレオタイプな思い込みがあって、植松被告の送検時の笑いについての報道も、色濃くそれが反映されている。

 私はこれまで凶悪犯と言われた当事者に何人も接してきたが、植松被告の特異な点のひとつは、あれだけの事件を起こして社会から指弾されながら、いまだに自分の考えは正しいと思い込み、それだけでなくそれを世に訴えたいと考えていることだ。彼が起訴されて接見禁止が解けて以降、マスコミ取材にかなり応じてきたのは、それが理由だったと思う。

 この強固な思い込みをいったいどう考えたらよいのか。そうした思い込みを実行に移そうとまでしたのがこの事件だが、そうした彼のパーソナリティをどう考えるべきか。あの凄惨な事件は、彼が精神を病んでいて、その病気のゆえに起きたのか、そうでないのか。そこが最も大きな論点だ。恐らくこの1年ほどは、多くの人が、植松被告というのは精神を病んでいて、コミュニケーションも成立しないような人物ではないかと想像していたのではないだろうか。しかし、ここに書いたように、実際にはかなり違う。では、もし仮に彼が病気でないとするならば、いったいなにゆえにあれほど戦慄すべき事件が起きたのか。それを解明することが社会の側に問われているのだと思う。

拡大する排外主義と植松被告の思想  

 植松被告の事件を追っていて気になるのは、彼の発想や考え方が、いま世界的に拡大している排外主義とどう関わっているのかということだ。アメリカでは誰もがまさかと思っていたトランプ大統領が誕生したし、欧州ではネオナチの流れを汲んだと言われる極右政党が勢力を広げている。社会が閉塞すると排外主義が拡大すると言われるが、日本におけるヘイトスピーチの台頭もそのひとつだろう。

 そうした流れと植松被告の思想は通底しているのだろうか。彼の獄中ノートを見ると、いろいろな言葉を断片的に書き留めた中に、こういう一節があった。

「やまゆり園で勤務している時に、テレビでISISの活動とトランプ大統領の演説が放送されていました。世界は戦争により悲サンな人達が山程いる、トランプ大統領は真実を話している、と感じました」

 彼が昨年、テレビでトランプ大統領候補の演説を見、イスラム国の起こした事件を見て、何を思い、その時、津久井やまゆり園の職員らとどんな話をしたのか。それはきょうの面会でも話が出たし、彼が障害者施設の職員でありながら、どういう経過で障害者に対するあのような考えを持つに至ったかというのも重要な問題だ。それについては機会を改めて詳しく紹介しようと思う。

障害者19人を殺害するという植松被告の犯した事件を我々はどう考えればよいのか。その解明は社会に課せられた重要な課題だし、ジャーナリズムにもまた大きな役割が求められていると思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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