日本代表監督にもなりえた男。ホセ・ルイス・ピントが起こしたコスタリカのジャイアントキリング
アギーレ前監督の解約解除を受け、筆者は後任の候補としてブラジルW杯でアルジェリアを率いた'''ヴァヒド・ハリルホジッチ'''を推奨してきた。実際に正式契約までもう少しのところまで迫っているハリルホジッチの手腕を高く評価しているが、本来ならばもう1人勧めたかった人物がいる。コスタリカを率いてベスト8に躍進させたコロンビア人のホセ・ルイス・ピントだ。
新著'''『サッカー番狂わせ完全読本 ジャイアントキリングはキセキじゃない』'''ではコスタリカ代表の躍進に注目し、特に世紀のジャイアントキリングとなったイタリア戦にフォーカスしているが、その前に世界を驚かせたのがウルグアイとの初戦だった。
ウルグアイ代表のオスカル・タバレス監督は「彼らはとてもタフな相手になる。それは初戦だからというだけではない。3バックか5バックで守るが、ボールを失った瞬間に素早くプレシャーをかけてくるのだ」と警戒を発したが、前年のコンフェデレーションズカップで厳しい暑さを経験している分、自分たちが有利であることを強調した。
ケガからの回復中だったエースのスアレスを初戦では起用しないことを明言。「早まったことはしない。彼がいれば素晴らしいが、いないことを想定して準備してきた」と語り、カバーニとフォルランの2トップを採用した。
ウルグアイはしっかりブロックを築き、ボールを奪ったところから鋭いカウンターを仕掛ける形でチャンスを作る。前半22分にセットプレーを巡ってウルグアイのDFルガーノがペナルティエリア内で倒れPKを獲得。これをカバーニが決めた。それでもコスタリカは統率の取れた5バックで相手2トップに仕事をさせず、サイド攻撃から積極的にクロスを狙っていく。
ウルグアイが空中戦に弱さを見せることを伝えられていたコスタリカの選手たちは、ハイボールに強く競り合いっていくことで、試合の主導権をたぐり寄せる。54分、右サイドをオーバーラップしたガンボアのクロスに鋭く反応したキャンベルが、左足で流し込んで同点とする。流れに載ったコスタリカは3分後にFKから、ボラーニョスのキックにDFのドゥアルテがダイビングヘッドで豪快に合わせ、一気に逆転した。
残り時間はウルグアイが攻め、コスタリカが守りながらカウンターを繰り出す、相手にとって得意ではない試合展開に持ち込んだコスタリカは、センターバックのゴンサレスを中心にバイタルエリアで十分な形を作らせず、危険な場面をサイドからの強引なクロスに限定した。まさに何層にも築かれた壁のごとくウルグアイのアタッカー陣を阻み、そこから素早く縦に仕掛けていく。
84分に右サイドを突いたキャンベルのスルーパスから、DFの裏に抜けた途中出場のウレーニャが、角度の無いところから狙いしましたシュートを決め3−1に。攻守に渡り安定性と機動力を発揮するコスタリカに”格下感“は無かった。
大方の予想を覆すジャイアントキリングを成し遂げ、イタリア戦に勢いを付けたコスタリカだったが、世界的な名将の発言が水をさした。ジョゼ・モウリーニョだ。しかし、これに反論したピント監督には明確な作戦を実行し、過去4度のW杯優勝を経験している強豪を打ち破る。
二度のジャイアントキリングを起こしたコスタリカの戦いぶりはキセキでも偶然でもなく、ピントの明確な戦略が実行された結果だったのだ。そこからイングランドと引き分けて”死のD組”を首位で突破したコスタリカはギリシャと奮闘の末にPK戦で勝利し、準々決勝に進出。オランダに対しては120分を守り抜きながら終盤に勝機を掴みかけたが、惜しくもゴールを割ることができず。今度はPK戦で涙をのむことになった。
筆者がザッケローニの後任候補として重視していたのはW杯、特に他国の代表を率いて躍進させた実績だ。その条件を満たすのがコロンビアを率いたアルゼンチン人のペケルマン、チリでビエルサのハイブリッドなサッカーを継承した同じくアルゼンチン人のサンパオリ、アルジェリアで王者ドイツを敗退寸前に追い込んだハリルホジッチ、そしてピントだったが、ペケルンマンとサンパオリは契約を延長。ハリルホジッチは早い段階でトルコのトラブゾンシュポルと契約した(昨年11月に契約解除)。
一方でピントは現監督で当時コーチだったコスタリカの英雄ワンチョペとの確執が明るみになり、歴史的な偉業に見合わない不遇で辞任に追い込まれ、一時的にフリーの身となっていた。日本ではブラジルW杯後、スムーズな流れでアギーレが代表監督に就任したため、筆者も特にその名を出すことなく新チームの動向を冷静に見ていたのだが・・・
昨年11月にアギーレ率いる日本代表がホンジュラスに大勝すると、当時の監督だったメドフォードが解任され、その後任としてピントがホンジュラス代表の監督となった。その後、八百長疑惑の渦中に入ったアギーレは準々決勝敗退となったアジアカップの直後に契約解除となったのは皮肉なものだ。協会の中でピントという人物がどこまで評価され、代表監督の対象になっていたかは定かではないが、必要な条件の多くを揃えていたことは確信している。