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あれ? 宙に浮く蒸気機関車D51(デゴイチ)の不思議。

鳥塚亮大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長
クレーンでつり上げられる蒸気機関車D51のボディー。

「デゴイチ」と言えばだれでも知っている蒸気機関車。

日本の国鉄で蒸気機関車が活躍していたのは今から40年以上も前のことですから、すでに中年の域に達している人たちも実際に見たり乗ったりしたことはほとんどないと思いますが、それでも「デゴイチ」という言葉ぐらいは聞いたことがあると思います。

昭和の時代の日本はそれだけ鉄道が身近な存在だったことの証明のようですが、この「デゴイチ」がクレーン車でつり上げられる不思議なシーンが見られました。

そもそも「デゴイチ」という言葉はどこから来ているのか。今では蒸気機関車のことはみんな「デゴイチ」って言うんだと思っている人が多いと思いますが、実はD51形の愛称で、Dの51だから「デゴイチ」。筆者が子どものころは「デコイチ」と呼ぶのが普通でしたが、今では皆さん「デゴイチ」と呼ぶようになった不思議な機関車です。

ということは蒸気機関車=デゴイチではなくて、デゴイチというのはD51という形式の愛称ですから、形式が違うやまぐち号の機関車C57は「シゴナナ」。秩父鉄道のC58は「シゴハチ」と呼び方が違っていて、その一番人気の機関車の代表が「デゴイチ」なのです。

ところで今回運び出されたデゴイチは千葉県の白井市にある農家の敷地内に40数年前から保管されていた機関車で、戦中戦後にかけて東北線や常磐線で活躍した後、最後は昭和50年ごろまで北海道で走っていた1台。古いものをぜひ残そうと最初に国鉄から購入した先代のご主人が亡くなり、2代目のご主人が、自宅に置いておくのではなくて、できるだけ皆様に見てもらおうと、茨城県筑西市にある「ザ・ヒロサワ・シティ」に譲渡を決めたもので、先日、自宅から機関車を引っ張り出して、トレーラーに積んで運ばれていきました。

全長20メートル、重さ約100トンもある鉄の塊がどうやって運ばれていくのか。もちろん線路の上を走れれば簡単ですが、保管されていた場所は農家の敷地内ですから、たいへんな運び出し劇でした。

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まず、畑に鉄板を敷いて軟弱地盤にクレーン車が入れるようにします。

そして搬出経路にあらかじめこのように仮設の線路を引きます。

これだけの事前作業に3日掛かりました。

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そしていよいよ搬出開始。

まずは機関車の後ろについている石炭と水を積む炭水車を運び出します。

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炭水車をクレーンでつり上げてトレーラーに搭載しました。

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そして次はいよいよ機関車本体の運び出しです。

運転席から前の部分がゆっくりと引き出されてきました。

ところが、デゴイチは大きすぎてこのままトレーラーで運ぶことができません。

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そこで今度はボイラー部分と車輪部分と2つに分けて、それぞれを運び出します。

機関車の部分が上下に分割されるというふだんなら考えられないような不思議な光景です。

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つり上げられたデゴイチのボイラーがトレーラーに載せられたところです。

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最後は動輪と呼ばれる車輪の部分が運ばれました。

このようにして機関車を3分割して運び出す大仕事はさぞかし大変だろうと思います。

そう思った筆者がこの輸送を行ったアチハ株式会社の島正男部長さんにお話をお伺いすると、

「今回一番苦労したのは軟弱地盤でした。何しろ農家の畑の軟らかい地盤の上を100トンのD51を運び出すわけですから、鉄板を何重にもしいて3日掛けて下準備をしました。そしてクローラクレーンというキャタピラ付の特殊なクレーンで運び出しました。」

とのことでした。

島部長さんは「大変な作業だった。」と言われる割には笑顔ですので、その点をお伺いすると、

「鉄道車両の運搬は弊社の得意分野の一つで、過去にもD51をはじめとするSLや電気機関車なども運んだ実績がありますから。」

実はアチハ株式会社には筆者がいすみ鉄道社長時代にも昭和の国鉄形ディーゼルカーのキハ52やキハ28といった車両を運んでいただいた経験があり、島部長さんとは旧知の仲。その実績は存じ上げていたのですが、国鉄形のキハに比べると今回のD51は倍以上の重量がありますので、実際には難しいお仕事だったということは察しがつきます。

「運び込まれた昭和50年当時と近隣の風景も大きく変わっていましたので、運び出すルートの確保にも苦労しました。」

と島部長さん。島さんは国鉄時代から長年鉄道に勤務された方ですので、車両に対する愛情が人一倍強く、1両でも救いたいという強い思いをお持ちのようです。

アチハ株式会社の島正男部長さんです。
アチハ株式会社の島正男部長さんです。
いすみ鉄道にキハ28形ディーゼルカーを搬入。2012年10月 筆者撮影
いすみ鉄道にキハ28形ディーゼルカーを搬入。2012年10月 筆者撮影

ところで、このD51はナンバープレートを見てお分かりの通り、1116号機。ということは1116番目の機関車ということになりますが、実はD51という形式の機関車は製造総数は1115両なんです。

1115両作られた機関車の1116番目?

これは不思議なことなのですが、そのからくりはと言うと。

D51は戦前から戦中、戦後にかけて、日本全国の貨物列車を引くために1115両という機関車としては最大両数を製造された機関車です。

ところが、戦中戦後の混乱で一部に欠番が生じているのです。

戦前から製造されてきたグループは954両でしたが、戦中の昭和19年からは物資が不足する中で戦時型と呼ばれる機関車が作られて、それらの番号を1001~とした関係で、全部で1115両作られたD51ですが、最終機番は1161となってしまった不思議な機関車なのであります。

ということで、この機関車は昭和19年に製造された戦時型の116番目の機関車ということになるのですね。

最後の活躍は昭和50年の北海道室蘭本線。翌51年に岩見沢機関区で廃車となりましたが、幸運にも解体を免れ、個人の保管という恵まれた環境で今日まで42年間も大切にされてきた1115両の仲間の中でも幸運の持ち主なのであります。

この幸運のD51が運ばれたのは茨城県筑西市の「ザ・ヒロサワ・シティ」。他にも北斗星で使用されていた寝台車「ブルートレイン」など解体を免れた数多くの幸運な車両たちが保存されていますので、ぜひ一度、その幸運にあやかりに出かけてみたいものですね。

本日は不思議な運命の不思議なデゴイチをご紹介させていただきました。

アチハ株式会社の島部長様、取材ご協力ありがとうございました。

和歌山県有田川町で動態保存されているD51827号機。この機関車もアチハさんが個人宅から運び出してこちらで展示走行しているものです。(筆者撮影)
和歌山県有田川町で動態保存されているD51827号機。この機関車もアチハさんが個人宅から運び出してこちらで展示走行しているものです。(筆者撮影)

(写真は注記のないものはすべてアチハ株式会社提供です。)

大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長、2024年6月、大井川鐵道社長。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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