愛息の自死から3カ月、秘蔵っ子が全勝対決で敗者に…苦難が続く元パウンド・フォー・パウンド
現地時間9月19日にワシントン州トペニッシュで催されたNBAスーパーフェザー級タイトル空位決定戦(10ラウンド)は、元パウンド・フォー・パウンド、ロイ・ジョーンズ・ジュニアが手塩にかけて育てるプロ11戦目のマンディープ・“MJ”・ジャングラが、ニロ・ゲレーロに僅差の判定で敗れた。
スコアはジャングラの94-96、92-98、95-95だった。ジョーンズの教えを受けて8戦目となるジャングラは序盤にペースを奪われ、ラウンドを重ねても挽回できなかった。
今回の興行はジョーンズが自ら手がけたものであり、ジャングラを大いに売り出したかった筈だ。しかし、希望は潰えた。
数日前の本コーナーでも紹介したが、3カ月前(6月22日)、ロイ・ジョーンズ・ジュニアは愛息を自殺という形で失っている。仕事に没頭することで、その苦しさから立ち直ろうとしているようにも見えた。
思えば、今年はオリンピックイヤーだった。ジョーンズは1988年にソウル五輪に出場し、ライトミドル級で銀メダリストとなっている。決勝でも大韓民国の代表選手を圧倒したが、ホームタウン・ディシジョンで敗者にされている。
その悔しさをプロで晴らそうと、全力疾走した。ミドル、スーパーミドル、ライトヘビー、ヘビーと4階級制覇を成し遂げたジョーンズは、当時のパウンド・フォー・パウンドだった。現役時代の晩年は、黒星が増えたが、ミドル級でデビューした彼がWBA最重量級の王座を獲得した2003年3月1日のファイトには痺れた。
ラスベガス、トーマス&マックセンターで、最終ラウンドのゴングがなる前に、ジャンプしながらガッツポーズをしたジョーンズの姿が瞼に焼き付いている。
<強過ぎるが故に相手が見当たらない>悩みを抱え、バスケットボールの独立リーグの公式戦にポイント・ガードとして出場した夜に世界タイトルを防衛したこともあった。1996年6月15日、USBLのゲームを終えた後、IBFスーパーミドル級チャンピオンとしてリングに上がり、挑戦者のエリック・ルーカスを11ラウンドで仕留めたのだ。
ヘビー級タイトル戦は、文字通り己へのチャレンジだった。
2020年11月にはマイク・タイソンとエキシビションで拳を交え、ボクシングへの愛を示した。今回はプロモーターとしての顔を覗かせていたが、思うように事は運ばない。
愛息が突然、他界する。しかも自ら生命を断ったーーーそんな重い現実を乗り越えるのに、3カ月は短か過ぎるだろう。ジョーンズの姿は、痛々しかった。
筆者と彼は同じ歳。少しでも心の傷が癒えることを願う。