2輪世界王者マイケル・ドゥーハンの息子ジャックが鈴鹿F3で優勝!親子で2輪、4輪の世界王者へ。
鈴鹿サーキットの表彰台の頂点に「ドゥーハン」の名前が22年ぶりに帰ってきた。しかも、2輪のオートバイレースではなく、4輪のフォーミュラカーレースで。優勝したのはFIA-F3アジア選手権のレースに参戦したジャック・ドゥーハン(16歳/オーストラリア)。そう、彼は90年代最強のグランプリライダーと呼ばれたマイケル・ドゥーハン(ミック・ドゥーハン)の息子だ。
FIA-F3に親子で鈴鹿に登場
あのドゥーハンの息子がF1ドライバーを目指していることはマニアな4輪レースファンには知られていたことだった。この度、鈴鹿サーキットで開催されたFIA-F3アジア選手権の第3戦で、息子のジャック・ドゥーハンが父が2輪グランプリや鈴鹿8耐などの世界選手権で優勝したコースを走ることに。
まだ16歳ということで、親であるマイケル・ドゥーハンも鈴鹿に同伴(かつて日本ではドーハンと呼ばれていた時期がある)した。往年の2輪レースファンにとっては親子の姿を見るという感慨深いチャンスに恵まれたのだ。
しかし、父マイケルは息子のスタート前にグリッドに出向くようなことはせず、あくまで主役は息子であって、マイケルは保護者としてのポジションを守り通していた。しかし、気さくな父マイケルは、鈴鹿に来ているという噂を聞きつけたファンのサインに笑顔で応えるサービスぶりで、息子が活躍する姿に終始ご機嫌な様子だった。
父、マイケル・ドゥーハンは1987年にスポーツランド菅生で開催されたTT-F1世界選手権のレースで初来日(当時はヤマハ)。翌88年は平忠彦と組んでヤマハから鈴鹿8耐にも参戦したが、89年にはホンダに移籍し、ロードレース世界選手権(グランプリ/現在のMotoGP)にデビュー。94年から98年まで5年連続の最高峰クラス世界王者(当時は500ccクラス)に輝いた90年代のレジェンドだ。
89年の日本グランプリ(鈴鹿)でグランプリデビューし、92年と97年の2回、日本グランプリ(鈴鹿)で勝利。さらに91年には鈴鹿8耐でワイン・ガードナーと組んで優勝(OKI・ホンダ)。99年に怪我で引退するが、最後のレースとなったのも日本グランプリ(鈴鹿)だった。まさにマイケル・ドゥーハンにとって鈴鹿は忘れられない思い出の地なのだ。
ジャックは鈴鹿で2勝を飾る
ジャック・ドゥーハンは2011年にレーシングカートを始め、母国オーストラリアでカートレースの頂点に立った。そして戦いの舞台をヨーロッパに移した彼は、2018年にフォーミュラカーのイギリスF4選手権にデビュー。ルーキーの中ではランキング最上位を獲得するという目覚ましい活躍を遂げている。
カートでの実績が認められ、ジャックは若手ドライバーの登竜門とも言える「レッドブル・ジュニア・チーム」のプログラムに参加している。F1チームも持つエナジードリンクメーカー「レッドブル」が主宰するF1への育成プログラムだ。そのサポートを得て、ジャックは今季「FIA-F3アジア選手権」に加えて、ヨーロッパの「ユーロ・フォーミュラ・オープン」にも参戦。ヨーロッパとアジアを行き来しながら、腕を磨いている。
1戦あたり3レースが開催される「FIA-F3アジア選手権」で今季6レース中2勝をあげて第3戦・鈴鹿に乗り込んだジャックは、第1レースのスタートでポールポジションスタートの笹原右京を抜いて首位に立つ。しかし、ホームストレートで多重クラッシュが発生したため、セーフティカーが介入。レースの半分以上がセーフティカーの先導走行になったが、リスタートにも成功し、笹原右京を振り切って勝利。鈴鹿サーキットの初レースでいきなりの優勝を達成した。
父親が鈴鹿で最後に勝ったのは97年の日本グランプリ。それ以来、22年ぶりとなるドゥーハン家の勝利を16歳の息子が呼び寄せたのである。
また、翌日の第2レースではマシントラブルが発生し、優勝のチャンスを失うも、第3レースでは安定したラップタイムで今季4勝目をマーク。ジャック・ドゥーハンはシリーズランキング首位の笹原から9点差のランキング2位につけている。
目指すはF1世界王者
鈴鹿での息子の活躍に眉を細める父・マイケルは息子が2輪ではなく4輪レースの世界に身を投じたことについて「全く残念だなんて思っていないよ。彼はこうやって立派にレースをしているからね」と語る。
また、4輪レースに興味を示したことについては「ジャックはサーフィンとか自転車など様々なスポーツに取り組んでいた。けれど、彼の憧れはミハエル・シューマッハだったんだ。それでレーシングカートに興味を持って、今取り組んでいるわけさ」と父・マイケルは説明する。
一方で息子ジャックに父から鈴鹿を走ることにアドバイスをもらったかと尋ねてみると「父が2輪のレーサーとして鈴鹿で活躍したことは知ってるよ。でも、2輪と4輪では走り方が全く違うからね。でも、レースという意味ではメンタリティは共通する部分があるから、その部分については父から学ぶことはあるよ」と答えた。今は特に4輪に関して、シミュレーターなどが充実し、サーキットを走る前の事前学習の環境が豊富な時代。舞い上がらず、至って冷静に自分が達成すべき目標に向かっていく姿はさすが、世界王者の息子だ。
父・マイケルが2輪で成し遂げた世界チャンピオンという成功を、息子・ジャックは4輪での世界チャンピオンという形で成し遂げられるか、これから注目である。
「彼がF1レーサーになってくれると良いね。日本グランプリで鈴鹿に来たいかって?レッドブル・ホンダだったら、きっとホンダが招待してくれるはずさ。僕はホンダのグランプリライダーだったからね」と笑って語る父・マイケルの頭の中には息子がF1の「レッドブル・ホンダ」につながる育成プログラムで勝ち進み、世界チャンピオンを目指していくという筋書きがすでにできている。
2輪グランプリと4輪・F1の世界チャンピオン獲得。両方獲得した例はジョン・サーティースのただ一人だけ。2輪レーサーが4輪レーサーに転向する例が多かった時代に築かれた偉大な記録だが、親子でそれに挑戦するという例は前代未聞。
非常に重いステアリングでコントロールが難しいという「FIA-F3アジア選手権」のマシンをマスターし、鈴鹿のレースで安定したラップタイムを刻んだジャックの順応力は、いつか偉大な記録の達成が現実になることを予感させるものだった。