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「噛み付きは見ていない」。メキシコの名審判がアディオス!

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員

ブラジルから帰国し引退表明

ブラジルW杯1次リーグ、ルイス・スアレスの噛み付き事件のあったウルグアイ-イタリア戦、同じく準決勝のブラジルの大敗「ミネイランの惨劇」などを裁いたメキシコのレフェリー、マルコ・アントニオ・ロドリゲス(40歳)が7月16日メキシコシティで引退会見を開いた。

会見で現役引退の具体的な理由は触れなかった。「まずメディアの方々に感謝したい。あなた方とともに私は人生を学んだ。個人的な遺恨はまったくない。そして選手たち。私の指示に従ってくれ感謝している。神、私を理解してくれた妻にも感謝の気持ちでいっぱいだ。目的をかなえ、満足して私は去っていける」

1997年にメキシコ1部リーグのレフェリーとしてデビューしたロドリゲスは、ラストゲームとなったドイツ-ブラジル戦までメキシコリーグと国際試合を合わせ、400試合以上を担当した。2000年には早くもFIFA公認の国際審判に昇格し、06年のドイツ、10年の南アフリカW杯で笛を吹き、今回が3度目のW杯だった。国内でも最大のダービーマッチ、アメリカ-チーバス戦やプレーオフ決勝を裁く常連だった。

厳格でありながら人情味を感じさせるレフェリング。「好きなことを最大限にやり抜いた」と振り返るロドリゲスは天職を全うしたと言えよう。その中でも終着点ブラジルでの仕事は感慨深いものだったに違いない。しかしスアレスのジョルジオ・キエッリーニへの噛み付きを「見逃した・・・」と取られ、暗黙の裁定が下ったのは確かだろう。決勝トーナメント、ベスト8で笛を吹く機会は訪れなかった。それでも彼は自己の見解を曲げていない。引退会見後、地元記者のインタービューでこう答えている。

「あのプレーは目撃していない。フットボールの世界とはそういうものだ。見ていなければ、判定を下すことができない。繰り返すけど、フットボール(の判定)とは直観するもの。幾多の局面を管理するのだから、単純に見えなかったと言うしかない。完璧な人間ななんかいないよ」

だが周りは、そう見なかった。ポジション取りの問題が指摘され、サスペンドが下った。そのあたりが引退を決意した要因なのかもしれないが、復帰するとドイツ-ブラジルの歴史に残る試合を担当するのだから、やはりこの人は何かを“持っている”に相違ない。

国内ではタレント並みの人気者

ロドリゲスは地元メキシコで有名選手並みに知名度がある。その理由は彼の風貌。テレビの人気お笑い番組に出演しているチキドラキュラ(小さなドラキュラ伯爵)にヘアースタイルがそっくり。太くて濃い眉毛のマッチョ風のルックスもミックスされ、“チキマルコ”というニックネームが定着。“マルコ・マニア”なるファンクラブもあるほどだ。

以前この話題を筆者はある専門誌に書いた。その後ますます人気がアップし、10年にはFIFAの紋章をつけて男性用整髪剤“チキ・ジェル”のコマーシャルに出演。メキシコ国内では“チキマルコ”に裁かれる試合は一流と吹聴されるまでになった。同時に著名レフェリーにつき物な“コントラベーシャル”(論議を呼ぶ)判定も話題となった。

引退発表後はメキシコ、米国で放送されるスポーツニュース、同バラエティー番組に引っ張りだこ。元高校の体育教師は、トークも得意とあって、テレビ解説者に転身する噂もある。もっとも本人は「第一オプションではないから・・・」と即断を控えるが。

一世を風靡した“チキマルコ”はピッチと別れを告げる。最後に彼は座右の銘を明かした。それは「初心者の心を持ってベテランのように裁く」。素顔はメキシコでは少数派のプロテスタントの牧師でもある。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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