辰吉丈一郎の宿敵ラバナレスの転落人生。雄大な夢を見続けた元世界王者の今
ベストファイトは辰吉との第1戦
日付を調べると1991年11月30日。私はビクトル・ラバナレスvsホセ“ペピージョ”バルデス(ともにメキシコ)のWBCバンタム級挑戦者決定戦を取材した。時の王者は辰吉丈一郎。「これは特報になる」と勇んでメキシコのティファナへ出かけた。結果はラバナレスの12回3-0判定勝ち。サウスポーのバルデスはテクニックとセンスで勝っていたが、ラフファイター、ラバナレスの術中にはまり、持ち味を封じられた。試合後、同じホテルに泊まっていたバルデスを訪ねると、顔面が傷だらけでガーゼと絆創膏ばかり。無言が彼の心境を物語っていた。
ラバナレスが辰吉に9回TKO勝ちでWBCバンタム級暫定王者から正規王者に就いたのはバルデス戦から10ヵ月後の1992年9月。辰吉との初戦はラバナレスの73戦のキャリア(49勝26KO21敗3分)でベストファイトだったろう。辰吉と戦うまでの10ヵ月の間にラバナレスは5試合行っている。現在のトップ選手と比べるとかなりのハイペースだ。その間WBCバンタム級暫定王者になり2度防衛。辰吉戦は団体(WBC)内の統一戦だった。
ラバナレスはこの正規王座の防衛は1度にとどまり、1993年3月、辺真一(Byun Jung Il、韓国)にタイトルを明け渡す。続く辰吉との再戦でも判定負け。在位期間は短かった。それでも暫定王者時代と合わせてリングで約100万ドルを稼いだといわれる。2003年11月、41歳でグローブを脱ぐまでキャリア晩年は相手選手の引き立て役としてリングに上がり続けた。
現役生活を終えた元世界王者の第二の人生を追ってみた。
ラバナレスの母国メキシコは、まだ新興団体と思われた当時のIBFとWBOチャンピオンも合わせると今まで200人を超す世界王者を生んでいるボクシング大国だ。だが歴代世界王者のうち経済的に恵まれた生活を送っている者は5パーセントに過ぎないという。残りの95パーセントは富を散財しただけではなく、アルコール依存症やドラッグ中毒などの問題を抱えている者が少なくない。ラバナレスも例外ではなかった。
現役時代から浪費癖が目立ったラバナレス(フルネームはビクトル・マヌエル・ラバナレス)は不幸な元チャンピオンたちの中でも悲惨な部類に入る。メキシコ最南部チアパス州出身のラバナレスには“ラカンドン”というニックネームがある。これは現地の先住民族の名称。同時にファンは彼を“エル・ルスティコ”(田舎者)とも呼んだ。これは親しみを込めた意味もあったが、リングを去ったラバナレスは厳しいパンチに晒される。
メキシコ富士を購入
引退から10年以上経過した2014年8月、メキシコシティの新聞がラバナレスが緊急入院したニュースを伝えた。アルコールとドラッグ依存症の治療のためだった。それ以前も3ヵ月以上、入院していたと報道されており重症だった様子がうかがえる。この時ラバナレスはリハビリの途中、施設の2階から飛び降りて脱出。記事では脚を負傷したが逃げ切ったとある。
この「脱走事件」よりも前、正確な年月は憶えていないが、引退後の彼を有名にしたエピソードがある。メキシコシティの東、約70キロメートルに位置するポポカテペトル山を“購入”したというのだ。ちなみに標高5426メートルのポポカテペトルは今でも噴火を繰り返す活火山。その姿から日系人や日本人から「メキシコ富士」とも呼ばれる。またポピュラーソングにも登場するメキシコで一番有名な山と言える。
ラバナレスが支払った金額は3万ドル(約320万円)。これで“ひと山”買ったというのは安すぎる。昨年カネロ・アルバレスがグアダラハラに所有する牧場を売却した金額は日本円で約1億5000万円ほど。ラバナレスは山の裾野の土地を購入したというのが正解だろう。
ラバナレスはそこにジムを建設しボクサーのトレーニング場にしたかった。またレジャー施設とウサギの飼育場を造りたかったとも明かしている。ウサギ……とは彼のこだわりだろうか。いずれにしても彼が雄大な構想を抱いていたことは間違いない。しかし夢は夢でしかなかった。
家庭も崩壊
まもなくビジネスはとん挫する。もっと下準備をすべきだったとか、サポート体制を整えるべきだったとか弁解はいくらでもできる。だが業者から「掘り出し物」と勧められてすぐに飛びついた彼に責任があった。その前後に失敗するアパート経営やタクシー業にも共通するペーパーワークの不備も原因だった。
土地などの権利は書類にサインしていた夫人の下に移っていた。とっくにラバナレスに愛想を尽かして4人の子供たちといっしょに去っていた夫人はビジネスを始めることはなく、他人に権利を売却して生活費に充てた。そのへんの過程はユーチューブで確認できる。彼は「しょうがない。自分のもとにはいないけど家族が幸せになればいいじゃないか」と淡々と語る。映像では夫人は登場していない。きっと後ろめたさもあるのだろう。代わりに美人の娘が登場し話しはじめる。彼女は「父は私の誇りです」と気丈に言葉をかける。ただしラバナレスは夫人に拳を振り上げたことがあったという。
家庭が崩壊したラバナレスが酒浸りになりドラッグに手を出すのは当然の成り行きだったかもしれない。同じ映像で「彼の墜落はボクシング界を冒涜するものだ」と語気を荒げる関係者もいる。安宿に泊まりながら市場の力仕事、洗車などで糊口をしのぐ毎日。せっかく辰吉に勝って獲得したWBCベルトもたった250ドル(約2万7千円)で売り飛ばした。行き場を失った彼を救ったのは現役時代の勇姿を知るファンの一人だった。
タコス屋に雇われ余生を送る
そのファンは自身が営むタコス屋に雇い、サポートする。ラバナレスは接客を担当。「いらっしゃい、いらっしゃい。そこのセニョリータ、こちらへどうぞ」などと呼び込みも上手になった。
おそらくラバナレスはボクサーになっていなかったら、あるいは世界王者に就いていなかったら今、同じような境遇で暮らしていたのではないだろうか。一時的にせよ、富を手にしたことが彼の人生を狂わせ、無謀な投資に走らせ、貧困をまねくことになった。同時に辰吉という日本のスーパースターに勝ったことが最後まで彼につきまとった気もする。今年2月に他界した元ヘビー級王者レオン・スピンクスがモハメド・アリを下して有頂天になったことを思い出す。
スピンクスはボクシングから引退した後、異種格闘技でアントニオ猪木と対戦したことがあったが、ラバナレスも2001年、日本で総合格闘技に参戦した。これも「辰吉に勝った男」という看板があったからだろう。
彼のキャリアをヘルプしたメキシコの名将ナチョ・ベリスタイン・マネジャー兼トレーナーは「ラバナレスは試合を組んだのに敵前逃亡することがあった」と筆者に語ったことある。彼が引き立て役を務めた晩年の頃の話だ。きっと調整不足で勝てないと思ったのか報酬に不満だったためだろう。とはいえベリスタイン氏は「彼はテクニックがないラフなボクサーと思われがちだけど、パンチのかわし方などディフェンススキルも兼備していた」とも明かしている。
米国には「幸運な者は永久的に弾丸をかわす」という言い伝えがある。ディフェンス技術を身につけたラバナレスだったが、実社会の弾丸を避けることはできなかった。それでも58歳になった彼が人なつっこい笑顔を見せることがせめても救いだろう。