ロシアで見る夢。橋本拳人の挑戦
「なかなか激しいリーグです」
JリーグのFC東京からロシアプレミアリーグ、FCロストフに移籍した橋本拳人(27歳)は、その感想を語っている。
ロシアプレミアリーグは、最新のUEFAランキングで7位。ベルギー、オランダ、トルコよりも上で、ブラジル代表マウコム(ゼニト・サンクトペテルブルク)のようなタレントを世界中から選抜している。フィジカルコンタクトが激しく、切り替えも早く、カオスの中で生き残れるか、が問われる。
FCロストフは昨シーズン5位で、今シーズンはヨーロッパリーグの出場権を手にしているクラブだ。
競争は激しいが、橋本は日本から合流して数日で開幕戦のタンボフ戦から出場している。以来、6試合連続出場で出場時間を増やしてきた。4節、初めて先発したウファ戦では、ヘディングで貴重な決勝点まで決めている。
「ラッキーゴールです」
橋本本人は言うが、運も実力の内だろう。ヘディングの技術自体、ファーポストに流れてきたクロスを確実に合わせ、決して簡単ではなかった。5節、ウラル戦でもセットプレーのこぼれに反応し、右足で蹴り込んでいる。これも決勝点になった。
ロシア挑戦は、上々の滑り出しと言える。
どんな思いを抱えて、彼は海を渡ったのか――。夢につながる欧州移籍の決断には、悔しさと葛藤と闘争と楽しさへの欲求があった。
過去の自分に促された移籍
橋本は、身体能力がまず目を引く。関節が外れ、足が伸びるようにしてボールを奪い取れる。また、ゴール前に向かうときは、ユースまでFWだった当時の迫力も出る。俊敏でしなやかで、攻守の間合いが広く、ダイナミズムを感じさせるMFだ。
しかし、そのプレーの本質は「機転に良さ」にある。
頭の回転が速く、常に正しいポジションを取って、攻守にアドバンテージを取れる。例えば相手のコントロールのミスを誘えるし、ボールのこぼれる場所を予測できる。また、迅速に正確にパスをつけ、味方にも優位を与えられる。周りを補完し、良さを引き出し、チームそのものを生かせる。
日本人MFでは、長谷部誠に近いタイプか。昨シーズンは、日本代表に定着。Jリーグでは、ベストイレブンにも選ばれた。
しかし、残ったのは悔しさだったという。
「(優勝できなかったことに)責任を感じていました」
橋本はそう振り返っている。2019シーズン、所属したFC東京は最後まで優勝争いを繰り広げたものの、結果的には正念場の終盤で失速し(湘南ベルマーレ、浦和レッズに2引き分け)、悲願の優勝を逃した。幼いころから東京で過ごしてきただけに、その痛みは人一倍だった。
「“ここで活躍しないで、いつするの?”っていう気持ちで、湘南、浦和戦には挑みました。11月の代表戦では、『もうちょっとで優勝じゃん』って周りの選手たちから発破もかけられ、“ここで俺が”という気持ちになったのは今でも覚えています。それで硬くなってしまったんですかね。気負いというよりは、なんか力が入らなくて、おかしいぞって。“いつも通りに”って思えば思うほど、修正が利かなかった」
橋本はふがいなさを感じたという。
「もちろん、ボランチはチームを回すのが仕事なので、自分だけが力んでも難しいところはあるんです。気合を入れることで、むしろ守備が荒っぽくなったり、得点を狙いに行って裏をやられたりするだけで。ただ、チームが良くないときに、俺がバシッとするのが仕事だったと思うので、情けないですね。シーズンで一番良くない出来でした」
彼はそう言って唇をかんだ。そこで、葛藤が生まれた。“生まれ育ったチームを優勝させたい”という誠実な思いは強かったが、“自らが成長することで答えを求めたい”という赤裸々な野心も湧き上がってきた。
「FC東京では中学のころから、“立ち向かえるか、乗り越えられるか”というメンタリティを叩き込まれて。それで乗り越えた時、ぐっと行くという感覚が自分のものになってきたんです。それが、今につながっているんだと思うんですよ」
今回の移籍は、過去の自分に決断を促されたのだ。
自分のタイミングでつかんだ海外移籍
橋本はいわゆるエリートではない。
FC東京のユースから昇格し、プロ1年目の2012年はトップチームでベンチ入りしたが、出場機会は皆無だった。2年目も状況は変わらずで、自ら動いた。当時J2だったロアッソ熊本への期限付き移籍を決断。片道切符を懸念されたが、彼は恐れなかった。1シーズン半を過ごし、主力として試合経験を重ねた。そしてプロ4年目の2015年、東京に戻ってJ1で出場機会を得て、リーグ戦は13試合出場だった。
5年目にはユーティリティ性を売りにし、どのポジションでも挑み、28試合と出場機会を増やした。6年目、7年目で主力に定着。そして8年目となった2019シーズン、Jリーグベストイレブンに選ばれ、ボランチとして優勝争いの原動力となった。
「いろんなことにぶち当たってきた意味は、すべて必ずあるはずと自分は思っていて。日本代表も追加招集でした」
橋本はそう振り返っている。2019年3月、同じポジションの選手がけがで離脱し、リストに滑り込んだ。
「最初、(代表内では)信頼されていないんだな、とは感じました。でも、やるしかないって思っていました。25歳で代表に呼ばれたのは遅い、と言う人がいるかもしれないけど、自分ではそうは思っていないです。そうなるにはなるだけの意味があるんじゃないかって。若くして選ばれたらダメだったかもしれない。そのタイミングというか。ぶれずにやり続けるしかない、と思っていました」
橋本は見事に代表デビューを飾り、それ以来、ポジションをつかんでいる。巡ってきたチャンスを逃さなかった。
「世界で戦いたい」
その野心もふつふつお湧き上がってきた。欧州各国でプレーする選手たちと同じ舞台に立って、触発されたという。
「代表に入ってみて、プレーそのものよりも意識の面で影響は受けました。海外で長くプレーするトップクラスの選手たちは、練習から激しい。サッカーに対する姿勢というか。世界でやってみたい、という思いが強くなりました」
代表に定着した橋本は、世界で戦う衝動を抑えられなくなった。呼応するように、世界中から打診が届いた。今年1月、スペインのレガネスを筆頭に、ドイツのニュルンベルク、ベルギー、ブラジルなど7,8チームから照会があったという。
そして一番熱烈だったロストフと4年契約を結んだ。年内で契約が切れる選手の移籍金としては、異例の金額提示だった。
ロシアで見る夢
<壁に挑むなら、今しかない>
橋本は、決意を固めた。だから今回の移籍に関して、関わった代理人以外には、家族以外に誰にも相談していない。彼自身のなかで、「絶対にものにする」と決めて挑んだ。
当然、チームからは慰留されたし、交渉を乗り越えるには苦難もあった。社長や長谷川健太監督と、焦れずに恐れずにとことん対話を重ねた。一方でロストフとも折り合いをつけ、交渉そのものにも深くかかわった。それは心を削るような作業でもあったが、彼は何かを勝ち取るには当然のものとして受け止めていた。
何より、未知の場所でプレーする欲求に突き動かされたのだ。
「相手選手とガチャンと当たって、ボールを奪うようなプレーが好きで。海外の選手はそこで勝負して来るんですよ!そこでの駆け引きができるのは、シンプルに楽しみだなって」
橋本は不敵な面構えで言う。
「日本人選手は、あまりぶつかり合いを好まないです。すぐにボールを下げるし、距離を置くので。それが、日本のスタイルだとは思うんですけど。俺は、自分の間合いに敵が入ってきたら、“削りに行くぞ”という感じの勝負に興奮するというか。ロシアでは、コンタクトプレーがしたい!ここに来いよ、と誘って、入ってくるところで勝負する。欧州を舞台に、ぶつかり合いをやりたいです。チャンピオンズリーグに出て、すごいと言われる選手たちと戦いたい」
欧州移籍のタイミングとして、26歳はギリギリだった。しかし、それは運命だったのかもしれない。
タイムマシンで中一の自分に会ったら
橋本は、約束の地にたどり着いた。
―今からタイムマシンで過去に戻り、FC東京の下部組織に入った“中一の拳人”に会ったら、なんと声を掛ける?
その問いかけに、彼はこう答えている。
「どうですかね…。当時の自分は、何もわかっていないはずだから。でも、壁を乗り越えていけば、必ず先に何かあるからって。やっぱり、それは言うし、子供の俺も分かっていると思います。自分は、自分に起こるすべてのことに意味があると思っているんですよ。機会が来たら、それは決して遅いことはなくて、それがベストのタイミングなんだって。あとはやるしかない」
今は、一瞬一瞬を楽しむ。
「日本とは違い過ぎて、めちゃくちゃ成長できる気がします!まだフィットした感はないですね。自分がどの役割をしたら、チームがうまくいくか、試行錯誤しているところです」
その挑戦は、始まったばかりだ。