高校野球はブラック企業の温床か? 張本氏の発言を労働相談の現場から考える
ここ数日、高校野球の県大会決勝で、エース投手を起用しなかったことについて、賛否両論が巻き起こっている。エース投手の所属高校には、多数の苦情が寄せられたそうだが、こうした「否定的な」反応は、野球評論家・張本勲氏によるテレビ番組での発言にも象徴されており、非常に問題があると感じている。
張本氏は、7月28日の「サンデーモーニング」(TBS系)の「週刊・御意見番」コーナーで、司会者から、登板によるケガの可能性について言及されると、「けがを怖がってたんじゃ、スポーツやめた方がいいよ。(けがをするのは)みんな宿命なんだから、スポーツ選手は」と発言したという。
これに対して、シカゴ・カブスのダルビッシュ有投手は、選手の未来を守るものだと、登板回避を評価した。また、張本氏の担当するコーナーについても、「消して」ほしいと苦言を呈している。
筆者も、張本氏の上記の発言には、大きな危機感を抱いている。
筆者は無料で労働相談を受け付けるNPO法人POSSEの代表を務め、年間およそ1500件の労働相談を受け付けているが、張本氏の発言は、ブラック企業で上司や経営者が使う論法とまったく同じだと感じているからだ。
部活やスポーツの世界で、選手たちが「スポーツ選手なんだから、けがをしてでも頑張るのが当たり前」と言われるように、ブラック企業では、働く人々が「社会人なんだから、残業するのは当たり前だ」、「社会人なんだから、病気でも休むな」と日々言われ続けている。
つまり、張本氏の使う「スポーツ選手なんだから当たり前」という論法は、ブラック企業では「会社員なんだから当たり前」という同じフレーズで繰り返され、鬱病や過労死を引き起こしているのである。
ブラック企業で繰り返される「社会人だから当たり前」
今回の問題を受けて、NPO法人POSSEに寄せられた相談事例を見返してみると、「社会人なんだから」という論理で、(1)休ませない、(2)残業を強要する、(3)辞めさせない相談は、驚くほど多い。
例えば、(1)何らかの理由で会社を休んだ際に上司から発せられる、「社会人なのに」という発言である。
- 「インフルエンザで3日間休むと、4日目に上司から電話があり、『休みすぎ』、『社会人として甘い』と言われた」
- 「高熱を出して休んだ後、出勤すると『社会人として自覚が足りない。迷惑がかかるんだから、病気でも休むな』と怒鳴られた」
- 「日頃の長時間労働とパワハラで体調が悪く、朝起き上がれなかったため、欠勤の連絡を電話ですると、『社会人としてあり得ない』と言われた」
- 「家族に不幸があり、忌引きで休むと、『迷惑をかけているのがわからないのか。あなたのせいで仕事が止まっている。社会人として全力で仕事に打ち込め』と言われた」
インフルエンザなどの体調不良や、家族の不幸があっても、仕事を第一に優先し、会社を休まず、他人に迷惑を掛けないことが、「社会人」としての常識だ、という異様な論理が振りかざされている。
熱がある中で働き続ければ、体調をこじらせ、健康に重大な被害をもたらす危険も考えられる。これは、「スポーツ選手なんだから」と仲間に迷惑をかけず、怪我のリスクを無視して出場しろ、という論理と驚くほど似ている。
次に、(2)残業を強要するとき、「社会人なんだから」が使われている事例である。
- 「上司から、『残業や休日出勤をするのは、社会人として常識だから』と言われた」
- 「先輩に質問すると、『自分で考えろ!社会人なら甘えるな!』、『新人は自主的に残って勉強するもんだろうが』と言われ、仕事を教えてもらえない」
ここでも、「社会人たるもの、残業するのは当たり前」という、会社内の「常識」(外から見れば「非常識」)がまかり通っている。
最後に、(3)辞めたいのに、「社会人なのに」という論法で、辞めさせてくれないという事例を見ていこう。
- 「長時間のサービス残業に耐えられず、辞めたいと申し出ると、『後任が見つかってからね。見つかってないのに辞めるのは、社会人としての人格を疑う』と言われた」
- 「職場の人間関係(※パワハラが蔓延している)に悩んで、辞めたいと伝えると、『逃げているだけ』、『若いから甘ったれたことを言っている』、『社会人として無責任。信用をなくすよ』と言われてしまった」
このように、会社を辞めるにあたっても、「社会人なんだから」の論理が使われている。「自分勝手に辞めるのは、社会人として無責任だ」というのが、会社の言い分であるが、働く側には職業選択の自由がある。後任の人員が決まるまで残らなければならないということは、もちろんない。
尚、ここに紹介している事例の多くは違法行為であり、NPO法人POSSEに寄せられた多くの事例でも、行政、弁護士、労働組合と連携し、法的権利の行使を通じて問題の解決を実現している。
家族、社会に蔓延する「張本流」
さらにこの問題がやっかいなのは、会社だけが、張本氏のような論法を持ち出すわけではないということだ。
相談事例のなかには、「親や知人に相談しても、『社会人というのは、そんなもんだ』」と言われている。
また、それ以上に多いのが、働く側自身が、「社会人なのに甘いと思うのだが・・・」、「社会人としてお金をもらっている立場なのだが・・・」という言葉を口にしていることである。これらの言葉が枕詞のように使われており、「社会人として」の論理が広く内面化されていることがわかる。
教育学者の大内裕和氏は筆者との共著書『ブラックバイト 体育会系経済が日本を滅ぼす』(堀之内出版)の中で、ブラック企業や学生のブラックバイトの背後には、このような「部活問題(ブラック部活)」が深くかかわっていると指摘している。
例えば、ブラックバイトやブラック企業では「理不尽な要求」が突き付けられるが、ブラック部活においても全国制覇など「無理な目標」が強いられ、「水を飲ませない」、「先輩のパシリ・暴力」など、およそスポーツ能力の向上とは無関係の理不尽がまかり通っている(下図参照、『ブラックバイト 体育会系経済が日本を滅ぼす』より)。
このような「ブラック部活」を通じて学ぶのは、ただ「理不尽に耐える」という精神だけである。実際に、ブラック企業ではこのような「ブラック部活=ブラック企業」の精神操作を内面化してしまっているケースが少なくない。
「上司からのパワハラに耐えることや、夜遅くまで仕事をすることは、社会人として当たり前であることは重々承知しているのだが、自分はそれができない」→「だから、そんな自分は『甘えているのではないか』、『弱いのではないか』」というように、自分を責めてしまっている相談が、とくに若い人を中心に多い。
こうした会社内の「常識」のなかで働かされ続けた結果、精神疾患にかかるなど、体調を崩し、働けなくなった人は少なくない。また体調が回復すればよいが、ずっと不調を抱えながら生活しなければならなくなることもある。
もっと言えば、「社会人として」働き続けたがゆえに、過労死してしまうことだってある。そうなったら、誰が責任を取ってくるのだろうか? 誰もそんな責任を取ることはできない。
以上のように、日々、さまざまな労働相談に対応し、相談者がどのような論理で、長時間労働や「辞められない」事態に絡めとられているかを見聞きしている立場としては、冒頭で触れた張本氏の発言は、到底受け入れることができない。
学生時代に「ブラック部活」の論理を植え付けられた子どもたちが、大人になって「社会人だから」と言われ、ブラック企業で酷使される。そんな構図が透けてみえてくる。