【なぜ日本製特撮ヒーローは世界で輝き続けるのか?】アイディアいっぱいの70年代ヒーローの魅力とは?
みなさま、こんにちは!
文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)です。
特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて、日々活動をさせて頂いております。
いよいよ年の瀬が迫って参りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
さて、今回のテーマは「家族」です。
お父さん、お母さん、お子さん、祖父母、兄弟に姉妹・・・。
ひとくちに家族といっても様々な形がありますが、皆さんはどんなご家族の姿を思い浮かべますか?
またクリスマスや年末が近いということもあり、これから家族みんなで集まる機会があるという方も多いのではないでしょうか?
ちなみにこのシーズン、海外に目を向けてみると・・・。ハワイでは日本と同様にクリスマスのデコレーションが飾られているほか、テレビを観ていてもクリスマスをテーマにしたドラマの放送が集中的に行なわれる時期でもあります。私事ですが、幼少期からハワイでよくロングステイをしていたので、クリスマスから年末にかけてテレビをつければファミリー映画がお昼から夕方にかけて放送され、ディズニー映画が終わったらディズニー映画、終わったらまたディズニー映画と、それが夕方まで続いていくチャンネル環境に驚いたことをよく覚えています(故にすっかりディズニーファンになってしまいましたが・・・)。『フルハウス』や『フレンズ』等、現地で夜19時台に再放送されるホームドラマもクリスマスづくしでした。
さて、そんなクリスマスの到来に合わせて見つめ直す機会の多い「家族」ですが、実はこの「家族」という概念、日本の特撮ヒーローの歴史においても非常に重要な要素であったことをご存知でしょうか?
現在では兄弟で戦う、もしくは家族で戦う特撮ヒーローは数多存在しており、極端に言えばそれ程珍しくはないかもしれませんが、この「家族」という要素は特撮ヒーロー番組同士の人気合戦において、他番組と差をつける切り札として実践されていた時代もありました。
そこで今回は、1970年代初頭に日本の子ども達の間で発生した、国内最大級の特撮ヒーローブームであった「変身ブーム」に焦点を当て、当時代において活躍した、とある特撮ヒーローの家族について、少しお話をしたいと思います。
※本記事は「私、ヒーローものにくわしくないわ」あるいは「ハワイに行ったことがない」という皆様にも気軽に読んで頂けますよう、概要的にお話をして参ります。お好きなものを片手に、ゆっくり本記事をお楽しみ頂けますと幸いです。
また本記事における各原作者の表記ですが、敬意を表し「先生」という呼称で統一をしております。本記事を通じてはじめてアニメ・特撮ヒーロー番組に触れる方もいらっしゃいますので、ご配慮を頂けますと幸いです。
【ウルトラの父がいる!ウルトラの母がいる!】熾烈極まる特撮ヒーローブームの中で誕生したウルトラマンシリーズの切り札とは?
「ところでさ、なんで1970年代はじめの特撮ヒーローの話をするの?」という方も多いかと思います。
私が当時代を選んだ背景として、後述する2つの理由があります。
1つ目は、この時代に国内で爆発的な特撮ヒーロー番組のブームが子ども達を中心に巻き起こっていたことが挙げられます。ウルトラマンや仮面ライダーシリーズだけでなく、多種多様な特撮ヒーロー番組がこの時代に放送され、子ども達の心を掴む覇権争いが繰り広げられていた時代でした。
2つ目は、現在に至るまでの特撮ヒーロー番組の基礎がこの時代に完成したことが挙げられます。当時代に国民的特撮ヒーロー番組である仮面ライダーシリーズは産声を上げたほか、ウルトラマンシリーズも兄弟や父母といった家族路線を導入し、現在に繋がるまでのシリーズ化を実現していくことになりました。
上述した1970年代初頭の特撮ヒーロー番組の爆発的なブームは、後に「変身ブーム」と呼称され、今日まで語り続けられることとなります。
ことの発端は1971年4月3日、株式会社東映制作の特撮ヒーロー番組『仮面ライダー』の放送開始に遡ります。
原作者に石ノ森章太郎先生、プロデューサーに平山亨氏を迎え、等身大の特撮ヒーロー番組として発信された本作は、世界征服をたくらむ悪の秘密結社ショッカーによって拉致されて「改造人間」となった2人の主人公が、人間の自由のために仮面ライダーに変身してショッカーが造りだした改造人間達と戦う物語でした。
放映当初は怪奇色が強かった『仮面ライダー(1971)』ですが、2人目のヒーローである仮面ライダー2号が作品に登場した回(第14話)以降は、徐々に成績を伸ばしはじめ、最高視聴率30%を記録する人気番組へと成長を遂げるようになります。
さらに仮面ライダー2号の登場に伴い、はじめて「変身」の掛け声と共に特定の動きを行う変身パフォーマンスも披露されるようになりました。
「変身!トォー!」のかけ声とポーズと共に、ピカピカ光るベルトと共にパッ!とヒーローに変身する主人公の活躍に子ども達は心を掴まれ、玩具やお菓子を筆頭に爆発的なブームである「変身ブーム」が巻き起こりました。
さらに、仮面ライダー2号の登場でその人気を決定的なものにした『仮面ライダー』は次のステップへ移行するようになります。それは「ヒーロー同士の共演」でした。2号の登場に伴い、長らくテレビから姿を消していた仮面ライダー1号を再登場させ、1号と2号(ダブルライダー)の豪華共演をテレビで描くことで、さらに人気に拍車をかけようとしたのです。
その試みは大成功し、「ヒーロー同士の共演」路線は商業的な成功を得られることを確信した東映は、次回作『仮面ライダーV3(1973)』でも当路線を継続するようになります。仮面ライダー1号と2号が現役のV3を助けに来る、つまり「過去のヒーローが現役のヒーローを助けに来る」という展開が描かれるようになりました。
今のようなビデオやDVD、ネット動画なんてない時代。当時の子ども達にとって、これらの展開はかつて馴れ親しんだヒーロー達と再会できる貴重な機会でした。
そんな『仮面ライダー』を起点とする変身ブームの渦中において、同じく国民的特撮ヒーロー番組である円谷プロダクション制作の特撮ヒーロー番組『ウルトラマン』シリーズも、当シリーズに対抗し、新たな試みを実践するようになります。
『仮面ライダー(1971)』放送当時、円谷プロはウルトラマンシリーズ第4作『帰ってきたウルトラマン(1971)』を放送中でした。ウルトラマンジャックが異常気象から目覚めた怪獣達から地球を守る内容で展開されましたが、放送開始当初は好評だった本作の視聴率は、次第に苦戦を強いられるようになります。
そこで、円谷プロは番組内容の強化を実施しました。それは本作に先輩ヒーローであるウルトラセブン(シリーズ第3作)を登場させ、ウルトラマンジャックに新しい武器(ウルトラブレスレット)を与えて強化させるというものでした。
この試みは功を奏し、本作の視聴率は急上昇。以降25%前後をマークするようになります。さらにウルトラセブンに加えて、初代ウルトラマン(シリーズ第1作)も登場する等、娯楽性が強化された『帰ってきたウルトラマン(1971)』は大好評を博しながら無事に放送を終了し、シリーズのバトンは次回作『ウルトラマンエース(1972)』へと受け継がれることになります。
『ウルトラマンエース(1972)』は先述したダブルライダーの活躍で大好評を得た仮面ライダーシリーズに対抗し、本作も過去のヒーローが現役のヒーローを助けに来るという展開を描いていました。しかし『ウルトラマンエース』で実践されたのは、単に過去のヒーローが助けに来る展開を描くだけではありませんでした。
それは、「過去のヒーロー達は現役のヒーローと兄弟でした」という、ヒーロー同士の家族関係を打ち出したのです。『ウルトラマンエース(1972)』はこれまでのシリーズに登場した5人のウルトラマンを「ウルトラ5兄弟」として纏め、弟(ウルトラマンエース)のピンチにお兄ちゃん達(ゾフィー、ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンジャックの4人)が助けに来る展開を描きました。
さらに『ウルトラマンエース』は仮面ライダーシリーズとの差別化を図るため、5兄弟に加えて、彼らを支援するお父さんを登場させます。それが「ウルトラの父(本名:ウルトラマンケン)」でした。
ウルトラ5兄弟のピンチに駆けつけ、全ウルトラマン達から父のように慕われる人物として登場したウルトラの父は好評を博し、視聴率は大健闘。個々で戦いながら有事の際は共闘する仮面ライダーに対し、家族で力を合わせて地球を守る展開を打ち出したウルトラマンシリーズは、今度はお母さんの創作に着手しました。
『ウルトラマンエース』の次回作である『ウルトラマンタロウ(1973)』では、大好評だったウルトラの父の妻として、「ウルトラの母(本名:ウルトラウーマンマリー)」を登場させ、さらにその実子としてウルトラマンタロウを登場させました。
ウルトラの父母の実子であるウルトラマンタロウの登場に伴い、これまで登場したウルトラ5兄弟は実は本当の兄弟ではなく、兄弟のように絆の強い5人が自分達を「ウルトラ兄弟」と名乗っていること、さらにウルトラの父と母は兄弟達から本当の両親のように親しまれている存在であることが明確にされました。
少しややこしい話ではあるのですが、兄弟のように仲の良い6人が地球を守り、彼らを見守る存在としてウルトラの父母がいるという関係が構築されたのです。
タロウを加えた「ウルトラ6兄弟」とそれを見守る両親(ウルトラの父母)の活躍を描いた『ウルトラマンタロウ(1973)』以降も、新たな兄弟の登場や、祖父のような役割を担うウルトラマンも登場する等、もはやウルトラマン版家系図ともいえる「ウルトラファミリー」は少しずつ完成することになりました。
ここまで上述してきた『仮面ライダー(1971)』を起点とする変身ブームは、1973年をピークに終焉の一途を辿ることになります。しかし、この時代に放送された仮面ライダーやウルトラマンシリーズにおいて試みられた多彩なアイディアは、現在の各シリーズの基礎を構築し、親子三世代に愛される人気シリーズとして発展させてきたことは紛れもない事実なのです。
本記事はあくまで仮面ライダーとウルトラマンシリーズに焦点を当てていますが、1970年代に放送された特撮ヒーロー番組は、上述したような個性的かつアイディアいっぱいの作品が多かったのも特徴です。
両シリーズ以外にも、たくさんの兄弟や家族を題材とした特撮ヒーロー達は大勢存在します。どのヒーロー達も個性豊かで親しみやすいキャラクターですので、宜しければ、皆さんのお気に入りのヒーローを見つけてみてくださいね。
【宇宙最強の保育士ウルトラマン?】MCやお笑いなんでもござれだった、戦うお父さん代表!ウルトラマンナイスとは何者か?
この1970年代に発生した変身ブームにおいて、ウルトラマンシリーズに打ち出された家族路線ですが、先述したとおり、現在に至るまで本シリーズの基板となっており、平成や令和といった新たな時代を経ていく中でウルトラファミリーはますます家族を増やしていきました。
ウルトラセブンの息子であるウルトラマンゼロをはじめ、ウルトラの父母の実子であるウルトラマンタロウの息子としてウルトラマンタイガも登場し、今やウルトラマンも親子三世代で宇宙の平和を守る時代へと突入しつつあります。
ウルトラマンもシリーズ誕生から約60年という、国際的見地から見ても類を見ない長寿キャラクターとして世界中で愛され続けていますが、そんな長い歴史を持つ本シリーズにおいて、ちょっと(というか大分)変わったお父さんウルトラマンをご紹介します。彼の名はウルトラマンナイス。
このウルトラマンナイス、一言で言えば「お笑いウルトラマン」です。
他のウルトラマン達と同様、普遍的な格闘技や光線技を身につけているだけでなく、彼の大きな個性は、その抜群のトーク力にリアクション芸、さらに漫才すらこなすという、色々な意味で万能の超人でした。
一般的なウルトラマンのイメージだと、「シュワッチ!」のかけ声と共に颯爽と登場し、怪獣を倒して空に飛び去っていくという、捉え方によっては寡黙な印象なのですが・・・ナイスは違います。
彼はとにかくしゃべるのです。しかもその活動範囲はテレビだけに留まらず、イベントに出演して漫才も行なう上、何人もの著名人の物真似もこなしてしまうという抱腹絶倒の大活躍を見せた人気者でした。そのレパートリーも幅広く、『チューボーですよ! 』の堺正章さん、スギちゃん、小泉純一郎元総理など・・・。
数多くいるウルトラマン達の中でも、特に強い個性を放っていたナイスさん。
そんなウルトラマンナイスについて簡単にご紹介すると・・・
ウルトラマンナイスはTOY1番星出身のウルトラマン(とおい1番星・・・この時点で既に語呂合わせなのですが)。よって、M78星雲から来た先輩のウルトラマン達とは別の星からやってきたウルトラマンです。地球で無法行為を繰り返すザゴン星人から人々を守るために地球へとやって来て、普段は夢星銀河という35歳の男性の姿で、保育園で保育士をしています。いざ怪獣が出現すると、銀河は腕時計型の通信機(ナイスドリーマー)の蓋を開けると出てくる秘密のチョコレートを食べてウルトラマンに変身する・・・。
しかもこのナイスさん・・・妻子持ちです。地球人の女性(夢星アキミ)と結婚し、2人の子ども(長女、長男)に恵まれ、祖父と祖母は銀河がナイスであることを知っている。さらにさらに、夢星一家は日本の平和を守る防衛チーム「GOKAZOKU隊」を結成しており、怪獣が出現すると父母、長男は実戦に出向き、長女は通信担当、祖父母はアドバイザーを担当する等、ウルトラマンシリーズ唯一無二の一家庭で結成された部隊でした。
ここまで書くだけでも情報過多なのですが、敵側である怪獣達も個性的。ウルトラマンナイスの宿敵である猛毒宇宙人ザゴン星人は地球征服・・・ではあるものの、ウルトラマンナイスの居場所を探るため、夢星一家からウルトラマンのフィギュアを盗み出し、おもちゃと引き換えに情報の提供を要求する迷惑な奴(かつ個人の家から子どものおもちゃを盗み出す不届き者)。さらに彼が使役する手下の怪獣達も、大食い怪獣に寂しがり屋怪獣、おこりんぼ怪獣と個性的な面々が揃っていました。
そんな賑やかな登場人物で構成されるウルトラマンナイスの物語は、なんと大手玩具メーカーであるバンダイのウルトラマン商品CM(約70秒)の中で描かれ、ドラマ仕立てCMとして1999年から約1年間に渡り放送されました(全20話)。
そんなウルトラマンナイスはテレビでの活躍を終えた後、その活躍の舞台をウルトラマンシリーズのイベントへと移し、現在まで活動していくことになります。単にショーに出演するだけに留まらず、ショー開始前の前説を担当したり、物真似を披露したり、MCをしたり、さらには他のウルトラマンと組んで漫才コンビを結成したりとその活躍の振り幅は、実に多種多様でした。
特にディズニー映画『アナと雪の女王』ブームが国内で隆盛を極めていた2014年に開催されたウルトラマン催事では、ナイスさんは May Jさんの「Let It Go」を歌おうとした上(「ありの~♪」までで、ナイス本人の判断で以降は自主規制)、さらには劇中歌の「雪だるま作ろう」をアカペラで歌ってステージから去って行く等のやりたい放題の活躍を見せた上、当催事ではラジオMCも務め、TBSアナウンサーの江藤愛さん、枡田絵理奈さん、佐藤渚さん達とトークを繰り広げる等、他のウルトラマン達とは一線を画した大活躍を見せていたのです。
ウルトラセブンやウルトラマンタロウと比較して、テレビや映画での出演こそ少ない彼ですが、この強烈なキャラクター性は歴代ウルトラマンにおいても唯一無二。今後の彼の活躍に期待したいところです。
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
・白石雅彦、『「ウルトラマンA」の葛藤』、双葉社
・『講談社シリーズMOOK ウルトラ特撮PERFECT vol.4 帰ってきたウルトラマン』、講談社
・小川仁志、『日経エンタテインメント!仮面ライダー1号2号 Special』、日経BP社
・鈴木康成、『語れ!仮面ライダー』、KKベストセラーズ