12日にサヨナラ弾でメジャー初本塁打を記録した打者はドイツからやって来た。どのように育成されたのか
メジャーリーグには米国内外からの優れた選手が集まってくる。ただし、「世界各地から」とは言えない。野球の盛んな国は限られており、中米、日本、韓国などから来た選手は多いが、それ以外の国で育成された選手は少ない。
だから、ツインズの外野手、マックス・ケプラーはドイツで生まれ育ち、メジャーリーガーになったという点でとても珍しい選手だと言える。ケプラーは12日のレッドソックス戦で延長十回にサヨナラホームランとなるメジャー初本塁打を記録した。ドイツ印の名刺変わりの一発になったと言えるかもしれない
左投げ左打ちの23歳。2009年7月に16歳でアマチュアフリーエージェントとしてツインズと契約。昨年9月、メジャーデビューを果たし、今シーズンはマイナーとメジャーを1往復半し、6月1日に再昇格してからは右翼としてスタメン出場する日が増えている。
ドイツで生まれ育った少年は、なぜ、野球をはじめ、どのようにしてメジャーリーガーになったのか。
ESPNの記事がケプラーのバックグラウンドについて報じている。
ケプラーの母はテキサス州出身の米国人でバレエのダンサー。ベルリンのバレエ団のオーディションに合格し、15歳でベルリンへ。
父はポーランドの小さな街で生まれ育ち、後にベルリンでバレエダンサーになった。バレエを通じて両親は出会って結婚し、マックス・ケプラーが生まれた。
ケプラーは子どものころから、両親と同じことをするつもりはなかったそうだ。ベルリンのアメリカンスクールに通い、そこで野球に出会った。
アメリカンスクールの米国人指導者に手ほどきを受けたのだろうか。筆者が質問すると、こんな答えが返ってきた。ケプラーは「僕の最初のコーチはドイツ人でも、アメリカ人でもなく、ドミニカ共和国出身の人でした。そのコーチはベルリンで複数の仕事を持っていて、その一つとして野球のコーチをしていたそうです」と言う。世界の野球は思わぬところでつながっている。
アメリカンスクールで放課後の活動として野球をやっていたのかと聞いたところ、「学校の授業の後ではなく、学校の時間の中でやっていた」と言う。
このアメリカンスクールの野球チームで敵なしの状態になってたケプラーは、もっと高いレベルのチームでやるべきという指導者のすすめで、14歳の時にドイツのレーゲンスブルグの学校に転校。しかし、野球チームの練習は、サッカーチームが使った後にグラウンドを使うという肩身の狭いスケジュールだったらしい。
レーゲンスブルグにいた16歳の時に、複数のメジャーリーグ球団から契約をオファーをされ、ツインズを選んだ。ヨーロッパの選手としては過去最高(2009年当時)の77万5000ドルで契約。米国の大学に進学し、野球を続けるつもりでいたが、メジャーから高い評価を示され、プロ入りを決めたそうだ。(ただし、契約後にキャプラーは米国フロリダ州の高校に通い、高校卒業資格を得ている)
ケプラーはドイツでは、野球だけでなく、サッカーもした。テニスではシュテフィ・グラフテニス基金から奨学金を与えられたほどの腕前。水泳やスキーもやっていたそうだ。ちなみにドイツ語、英語、ポーランド語のトリリンガルでもある。
なぜ、彼は野球を選んだのか。
「野球はヨーロッパの他のスポーツとはちがっているし、人と違っていたいとも思った。それと、アメリカに来たかったというのもありますね」とケプラー。
人と同じことをしない、両親と同じことをしないという意思と、米国人を母親に持つというユニークな組み合わせがドイツの野球少年をメジャーリーガーにしたのだろう。
ツインズは伝統的に米国外からの選手の獲得に力を入れている。
ドミニカ共和国の10年に1人の逸材と評価されたミゲル・サノー。昨オフにはポスティングで韓国のパク・ビョンホを獲得。そして、ドイツで見つけたマックス・ケプラー。今年1月には東ヨーロッパのモルドバから23歳の右投手と契約した。
ツインズは今季ここまでのところは下位に低迷しているが、国際色豊かな若い選手たちは順調に成長していくだろうか。一歩リードしているサノーに続いて、ケプラーもこれから全米に向けて売り出すことができるだろうか。