40代半ばを過ぎると人間関係が広がらない。しがらみなく話せる場がほしい(「スナック大宮」問答集38)
「スナック大宮」と称する読者交流飲み会を東京、愛知、京都などの各地で毎月開催している。2011年の初秋から始めて、すでに120回を超えた。お客さん(読者)の主要層は30代40代の独身男女。毎回20人前後を迎えて一緒に楽しく飲んでいる。本連載「中年の星屑たち」を読んでくれている人も多く、賛否の意見を直接聞けておしゃべりできるのが嬉しい。
初対面の緊張がほぐれて酔いが回ると、仕事や人間関係について突っ込んだ話になることが多い。現代の日本社会を生きている社会人の肌からにじみ出たような生々しい質問もある。口下手な筆者は飲みの席で即答することはできない。この場でゆっくり考えて回答したい。
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「40代半ばを過ぎると人間関係が広がりにくくなると感じています。しがらみなく意見を言い合える場がほしいです」(40代後半の独身女性)
人間関係は広げなくていい。味方でも敵でもない人との一期一会を楽しむ
人間関係は親密度によって大きく3つのカテゴリーに分類できると思う。まずは親密な関係性。基本的な価値観を共有していて、一緒にいて心地良さや敬愛の念を覚えるような相手だ。
毎日顔を合わせている配偶者と何年も会っていない旧友では付き合い方に違いがある。しかし、心を開いて支え合える相手という意味では共通しており、どちらも人生において最も貴重な存在と言える。このような関係性はお金で買うことはもちろんできないし、無理に作る必要もない。「本当の友だちは2、3人もいれば十分」と感じている人もいるだろう。
この第1カテゴリーに関して気をつけたいのは、社会的な関係性と親密度は一致しないこと。例えば、親きょうだいであってもどうにも好きになれないという関係はありうる。そのときに「家族なのだから仲良くしなくちゃいけない」という規範に縛られ過ぎると苦しくなる。だからと言って絶縁する必要もない。距離を置いて付き合うことが大切だ。
尊敬も愛情も感じられない相手のことは「味方ではないけれど敵でもない」と認識すればいい。これを第2カテゴリーの人間関係と呼びたい。彼らは街中ですれ違う膨大な他人と同じだ。もしくは、近所の隣人とも似ている。
顔を合わせば挨拶ぐらいはするし、道を譲るなどのマナーも大切にしたい。いつか親しくなるためではなく、恨まれたりしないためだ。不要な敵を作ると生活しづらくなるし、場合によっては危険な目に遭ったりする。
見落とされがちなのが、冒頭の女性が指摘する「しがらみのない関係」だ。お互いの名前も素性もよく知らないのに、酒場で知り合ってなんとなく意気投合することがある。しがらみがない分だけ、気を遣わずに意見交換ができたりする。連絡先を交換しなければ、二度と会うことはないかもしれない。むしろその気軽さがいい。これが第3のカテゴリーだ。
第1カテゴリーはどうしても「しがらみ」が生じる。普段は親しくしているのに、苦境に立たされたらそっぽを向くような人は友人とは言えない。信頼関係と愛情でつながっていて、何かあればできるだけ助け合う。良くも悪くも「しがらみ」だ。
冒頭の女性は「人間関係が広がらない」と気にしているが、スナック大宮のような交流会に出ている時点で十分だと思う。人間関係は広げる必要はない。第1カテゴリーの人間関係は必要最小限で構わないし、第2カテゴリーとは適度な距離を置き、第3カテゴリーとは一期一会の気持ちで会話を楽しめばいいからだ。
偉そうに書いている筆者だが、ほどよい人間関係を築いて維持することがずっと苦手だった。すべての他人が自分にとって味方(第1カテゴリー)であってほしいと願う子どもっぽさが原因なのだと思う。甘えや無理が生じて、第2カテゴリーどころか明確な敵を作ってしまうこともあった。
人間関係は広げなくていい。好きな人にはできるだけのことをして、嫌いな人には何もしない。両者の間には、状況次第では恋人や友人になれたかもしれない人々が少なからずいる。そう考えると、人生が色彩豊かで可能性に満ちたものになる気がする。初めて訪れて二度とは来られないかもしれない外国の街に不思議な親しみを覚えるように。