霧島れいか 映画『ドライブ・マイ・カー』に出演し感じたこと、手にしたもの――女優としての思いを新たに
出演映画『ドライブ・マイ・カー』が「第94回米アカデミー賞」国際長編映画賞受賞
先日発表された「第94回米アカデミー賞」で、日本映画としては13年ぶりに国際長編映画賞を獲得した『ドライブ・マイ・カー』(監督/濱口竜介)。2021年8月に公開され、国内はもちろんだが海外での評価が高く、「第74回カンヌ国際映画祭」では日本映画として初となる脚本賞など4部門を制した。主人公の家福悠介(西島秀俊)の妻・音を演じる霧島れいかにこの映画について、そして女優として大切にしていること、キャリアの中でもポイントになるであろうこの作品に出演して影響を受けたことなどをインタビューした。
「完成したものを観た時、本当にすごい映画ができたと興奮しました」
「抱きしめたくなるような映画でした」――最初に映画の感想をそう霧島に伝えると「この映画には、まずは自分を抱きしめてくださいというメッセージも含まれていると思うので、そう言っていただけて嬉しいです」と美しい笑顔を見せてくれた。どこまで相手を信じるべきなのか、相手の全てを知っていることが愛というものなのか、人間の心を迷いを丁寧に表現しているこの映画は、答えがあるようでないような、そんな難しいテーマが内在し、様々な思いを巡らせることができる。そいういう意味で“抱きしめたくなるような”映画だ。霧島は自身が出演したこの映画を最初に観た時に大きな感動を覚えたという。
「本当にすごい映画ができたと感動して、監督を前にしても『すごい映画が!すごい映画が!」って興奮してしまって(笑)、三浦透子ちゃんとも『やばい!やばい!」って言っていました(笑)。これはすごいことになったなと思いましたが、ここまで海外でもたくさん賞を獲るとは思っていなかったです。でも“普通”では終わらない予感はその時からありました。脚本を読んだ時点で圧倒されて、何度も行ったり来たりして、その時点では小説を読んでいなかったので小説を読んで、また脚本を読んで、原作を広げていってこういう風になるんだ、監督の頭の中はどうなっているんだろう、すごい!と思って、その時に鳥肌が立ってきました』。
「音が亡くなってからその存在に家福は苦しみ、赤いサーブの中には音も一緒に乗っている感覚になっていると思う」
この映画は妻・音を失った家福悠介の、喪失と再生のための心の旅を描いた物語だが、家福が車の中で、戯曲『ワーニャ伯父さん』の台本を朗読する音の“声”が吹き込まれたカセットテープもずっと聴いていたり、亡くなってしまってもなお最後まで全体を“支配”していたのは、謎多き女性・音だったように感じた。
「確かにずっと“つきまとっている”というか、音という存在に家福は苦しみ、物語は流れていきます。あの赤いサーブの中にはみさき(三浦透子)と家福が乗っていますが、一緒に音も乗っている感覚になるんと思うんです。だから、家福もずっとその感覚から抜け出せずにいるので、彼の葛藤というか心の絶望感、苦しみのようなものが、あのサーブの中にずっと漂っています。そういう意味では、音にちょっと支配されているのかもしれません」。
「映画では描かれていない、家福と音のサブストーリーを監督が用意してくださって、音という女性のことがわかってきた」
霧島は、音を演じるにあたって最初は、この映画を観た誰もがそう感じるように「わかりにくい女性」と思ったが、濱口監督が用意した、映画では描かれていない家福と音のサブストーリーがあったことで、役と深く向き合うことができたという。
「監督に初めて会ったときに『音は最後、何を言おうとしたんですか』って思わず聞いてしまって、監督は『僕たちにも分かりません』っておっしゃって、私もその時は『そうか、そうだよね』と納得しました。最初脚本を読んだだけでは音がどんな女性なのかわからなくて、でも監督が家福と音のサブストーリーを用意してくださっていて、そこには二人が若かりし頃の話、子供を亡くして少し経ってからのことなど細かく書いてありました。音が何かのインタビューに答えているという形のものもあって、『旦那さんのことを愛していますか』とか『嫌いなところはどこですか』『浮気はしていますか』とか、そういう質問に音は全部赤裸々に答えていて。監督は『これを全部、音が答えてるって思わなくていい』と。ここは自分だったら答えるかなって、自分なりの解釈とミックスして、ということでした。その作業で音ってこういう人なんだと腑に落ちて、理解できるようになりました。なので、観て下さった方は、音を理解するのにすごく時間がかかると思うし、わからないまま終わるだろうなって思います」。
音は家福に何を語ろうとしたのか…。「色々な解釈がありますが、どれも正解だと思います」
音という女性のミステリアスなところ、わからないところ、つかみどころのなさが、映画の前半部分でフェードアウトしてもなお、物語にその“薫り”を漂わせ続ける。ネット上、YouTubeには解説コンテンツが並び、映画を観た人が様々な解釈や感想を“語りたくなる”映画になっている。
「普遍的なものがテーマになっているので、みなさん誰かと語りたくなるし、他の人の声も気になるのだと思います。私もそういう声をいくつか目にして『こういう解釈があるんだ、面白い』っていうものが多かったです。先ほどの、音は家福に何を語ろうとしたのかという部分は、監督の中にはその答えがあるようで、私の中にもあります。だから、色々な人の解釈を読むと『ああ、なるほど』と思いましたが、私と同じ解釈はなかったです(笑)。あんまり常識的には考えない方がいいかもしれないなと思いながらも、でも答えがあってないようなものなので『どれも正解』だと私は思います。私が言っていることも正解で、もしかしたら違うかも知れないし、それでいいのだと思っています」。
音に徹底的にこだわる濱口監督
家福は『ワーニャ伯父さん』上演のワークショップに演出家として招かれ、そこで彼は“素読み”と呼ばれる、感情を排して台詞をゆっくりと読む手法で、演技過多にならないように、言葉の本来の意味を伝えるように役者を鍛える。これは実際に濱口監督が、映画出演者にもとった演出方法だ。監督の“音”へのこだわりを、霧島も目の当たりし驚いたという。
「素読みを何時間もやって、この映画の脚本以外のもの、例えば夏目漱石の小説を読んだり、監督はとにかく私達の“声”を聞いているんです。ずっと目閉じて聞いているので、最初は『疲れて寝てるのかな』って思ったくらいです(笑)。でも音をすごく聞いていて『この最後の『です』の『す』は言い辛いですか』とか「『~だよね』の『ね』は、言いにくい?』とか聞いてくださって、『じゃあこれ取りましょう』って、台詞を細かく調整していきました。動きよりもセリフのトーン、音や声をすごく大事にしていました」。
濱口監督は、手話や多言語が飛び交うこのワークショップのシーンを、時間をかけ丁寧に見せている。言葉の“響き”と手話の“響き”が、美しいメリハリとなり、この映画に流れる3時間という時間を豊かなものにしている。霧島が2010年に出演した村上春樹の小説が原作の映画『ノルウェイの森』のトラン・アン・ユン監督も、今回と近い演出方法だったという。
2作目の村上春樹ワールド作品への出演
「『ノルウェイの森』の時のトラン・アン・ユン監督も、日本語がわからない中でも、ちょっと感情を入れた言い方をすると『今のは作りすぎている、もっとフラットに』と抑揚を排除していきました。でも本読みではそこまでしていないので、そういう意味では、濱口監督の時間をかけた細かい作業は、本当にすごいなって思いました。私も含めて、みんなあそこまでやったのは初めてだったと思います。『ノルウェイの森』は、原作に忠実に村上春樹さんの世界観を作ろうとしていました。濱口監督はそこに監督の世界が加わって、その先を見せてもらっている感じでした。なので同じ村上春樹さんの原作でも、全く違う感覚に仕上がっていると思います」。
「撮影が終わって、これまでにはない喪失感、淋しさを感じた」
霧島はこの作品の撮影を終えた後、しばらく「喪失感」に苛まれ、抜け殻状態だっとと教えてくれた。
「切り替えが早い方なので、今まではそんなことなかったのですが、今回に関しては一番引きずったと思います。何か喪失感みたいなものと、あの現場にもう行けないんだという淋しさ、『もう私、音じゃないんだな』とか、色々な感情がぐちゃぐちゃになって、一週間くらいはちゃんと眠れませんでした。他の作品の撮影が始まっても心の中にはまだ音がいて、そうこうしてるうちにカンヌという話が出てきて、その後すぐ公開されました。なので割と関わっている期間が長くて、私の中ではまだ全然終わっていない感覚なんです」。
「もっと人に喜んでもらえるお芝居ができるようになりたい」
霧島はこの作品に出演したことで、改めて女優という職業ときちんと向き合うことができ、思いを新たにした。
「毎回どの作品に出ても『もう少しこうやればよかったな』という思いはあります。今回はリハーサルの時点から初心に戻ることができて、それはワークショップのような稽古に時間をかけることができたからで、それが楽しかったからだと思います。でもやっぱり完成したものを観て、私はまだまだできていないしもっと改善して、技術もつけて、人に喜んでもらえるお芝居ができるようにならないと、胸を張って女優とは言えないってすごく落ち込みました。今までは節目節目でいい作品と監督さんに出会うことができて、運が良くてここまでやってくることができたと思っています。だからこれからはもっと色々な人から芝居を盗んで吸収して、引き出しを増やしていきたいという焦りもあります」。
「些細な幸せをかき集めて、ちゃんと夢を持って、自分のことを丁寧に扱って生きていきたい」
コロナ前は、リフレッシュとインプットのために、一人で海外に旅に出ることが大きな楽しみだった。
「その国の文化を知ったり、違う国の人と話をしていると知らないことばかりで勉強になります。『私は日本人だな』って再認識できるし、言葉が通じない人とのコミュニケーションって、本当に楽しくて。世界が広がるし『自分は本当にちっちゃい人間だな』って実感できるし、生きている間に色々な国に行って、色々な人と出会って楽しんでから死にたいなって思います。でも今はそれも難しいので、些細な幸せをかき集めて、ちゃんと夢を持っていないと、生きにくい時代なのかなと思います。自分と向き合う時間が増えて、もっと自分のことを丁寧に扱って、大切にしようと強く思ったのと同時に、他の人もこのお仕事もより大切に思えて、全部を大事にしようと思えました。これも『ドライブ・マイ・カー』のメッセージだと思います」。