Yahoo!ニュース

誰に見せるためか?――金正恩氏、経済視察で激怒

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
北朝鮮の金正恩委員長(写真:ロイター/アフロ)

 6月末から7月中旬にかけて、金正恩氏は北朝鮮の経済開発区を視察し開発の遅れに激怒したが、それは習近平氏に改革開放の本気度を見せて制裁を緩和してもらい、習氏の訪朝を促すための号砲だった。

◆先ずは中朝国境の新義州経済特区から

 (初出以外、敬称略)

 北朝鮮の「労働新聞」は7月1日、第一面と二面の全ページを使って、金正恩委員長が李雪主(リ・ソルジュ)夫人を伴って、新義州(シニジュ)経済特区にある化粧品工場などを視察した様子を報道した。

 これは米朝首脳会談(6月12日)後の3回目の訪中(6月19日、20日)以降、初めて公開した金正恩の活動報道である。

 5月2日付けのコラム<「中国排除」を主張したのは金正恩?――北の「三面相」外交>や、5月7日付のコラム<中国、対日微笑外交の裏――中国は早くから北の「中国外し」を知っていた>で書いたように、新義州は中国の遼寧省丹東市に隣接する経済特区で、2002年に金正恩の父親である金正日氏と中国との間にもめごとがあり、何度も開発が中断されている開発区だ。

 金正恩が習近平国家主席と最後に会ったあとに最初に公けの場に姿を現したのが、この新義州経済特区であったことは、金正恩が表面的には習近平に対して屈服し、中国が要求する「社会主義体制における改革開放」に本気で着手していることを習近平に示すためだと解釈することができる。

 そうすれば中国は国連安保理による制裁緩和を呼び掛けてくれるし、また個別にでも緩和してくれるだろうことを金正恩は期待している(と中国側は分析している)。

 その何よりの証拠に、アメリカ時間の6月28日、中国とロシアが国連安保理で、対北朝鮮の経済制裁に関して緩和するように提案していたことがわかった。アメリカなどの反対で廃案となったが、中露は予め制裁緩和のための報道声明案を用意していた。

 金正恩が新義州の化粧品工場を視察したのは、時差はあるものの、まさに同じ日の6月29日である。

 6月19日、20日の第3回訪中で、習近平との間で約束が成されていたものと解釈する以外にない。

 習近平は、「約束通り、国連安保理に呼びかけましたよ」と金正恩に見せ、金正恩は「約束通り、核開発を放棄して、改革開放による経済発展に専念していますよ」と、習近平に見せる。

 二人は互いに相手に誠意を見せて、何とか信用を勝ち取ろうと必死だ。

 習近平は何としても金正恩がトランプ側に傾倒していくのを阻止して金正恩に中国側を向かせたいし、金正恩は国連安保理の経済制裁が続く中、何とか中国の経済支援を受けたいと考えている。そうでないと、「核武装から対話に転換しておきながら、いかなる経済的メリットもないではないか」と、軍部や自国の人民から不満が湧きあがる。だから中朝国境の経済特区を重んじるのだ。

 中朝貿易の80%は、「新義州-丹東市」の窓口を通して行われている。

 そのため、7月23日付のコラム<中朝国境、丹東市に住宅購入制限令>に書いたように、中国ではすでにその機運を感じ取って、商売人たちが丹東市に殺到しているのである。

◆ポンペオ国務長官訪朝時にも金正恩は中朝国境の経済開発区を視察

 7月6日と7日、アメリカのポンペオ国務長官が訪朝した。米朝首脳会談における非核化等の約束事を実行に移すための具体案を話し合うためだ。

 だというのに、この2日間とも、金正恩は平壌におらず、ポンペオと会うことはなかった。中朝国境沿いの三池淵(サムジヨン)にあるジャガイモ農場にいたのだ。北朝鮮の朝鮮中央通信が7月10日、10枚ほどの写真とともに金正恩が現地指導する様子を報じた。

 三池淵は遼寧省より北の吉林省との国境地帯にある長白山=白頭山(ペクトゥサン)の東南側の麓で、鴨緑江(おうりょっこう)や豆満江(とまんこう)の源流地帯に位置する。 

 ジャガイモ農場視察の目的もまた、経済開発に専念すると同時に、トランプ大統領(が派遣したポンペオ)よりも習近平による要求の方を重んじているというシグナルを習近平に送ったことにある。

 おまけにポンペオが北朝鮮を離れると、非核化に対するアメリカ側の要求を「まるで強盗のようだ」と罵倒して、習近平を喜ばせた。

 この「強盗」という表現は、米中国交正常化をする前の中国において、よく使われたアメリカを指す言葉で、特に朝鮮戦争時代、中国ではアメリカを「狗強盗(ゴウ・チャンドウ)」(犬のような強盗)という言葉で表現していた。この観念を共有している中朝間で、このたび北朝鮮が「強盗」という言葉を使ったことは、金正恩の習近平への「すり寄り」と解釈することができる。

◆経済視察で激怒

 7月17日の朝鮮中央通信は、金正恩が北東部の咸鏡北道(ハムギョンプクト)にある漁郎川(オランチョン)水力発電所建設現場やカバン工場、温泉休養所などの視察を行ない、相次いで激怒したと伝えた。

 発電所は1981年に建国の父、金日成(キム・イルソン)が建設を指示しており、ダム建設に着工してから17年も経っているというのに、まだ完成していない。内閣の担当幹部はここ数年、一度も現場を視察せず怠慢をしている。そのことに金正恩は激怒し「言葉も出ない」「なぜ、こうなるまで!」と憤慨したとのこと。

 清津(チョンジン)のカバン工場では「陳列棚がみすぼらしい」「カバンが改善されていない」と怒り、温泉休養所では浴槽が「魚の水槽にも劣る」と激怒。

 いたるところで経済発展の遅れと怠慢を怒りまくった様子が報道された。

 北朝鮮国内に対して経済開発の緊迫性を訴えるという目的は事実上あっただろうが、これらもやはり、習近平に見せるためであったことが明らかになっていく。

◆北朝鮮の国際部副部長が訪中――党と党の間の経済協力

 7月23日、朝鮮労働党の柳明鮮(リュ・ミョンソン)国際部副部長が訪中した。金正恩が経済視察で激怒したことが報道されて、約一週間後のことだ。

 中国共産党系のウェブサイト「参考消息網」は柳明鮮氏が高麗航空に乗って北京首都国際飛行場に着いたと報道した。柳明鮮氏は今年5月14日(~24日)に朝鮮労働党の朴泰成(パク・テソン)副委員長を代表とする朝鮮労働党(経済)視察団が訪中した時にも同行しており、また4月に中共中央対外聯絡部の宋濤部長が訪朝して金正恩に会った時にも同席していた。宋濤は4月13日に朝鮮労働党中央国際部の招聘を受けて、中国芸術団「四月の春」を引率して訪朝し、4月14日に金正恩と会談していた(新華社が伝えていた)。

 中国は新義州と丹東市をつなぐ「新鴨緑江大橋」(高速道路橋)建設および中国対岸の北朝鮮側の道路修復のための話し合いを中心として大規模な中朝経済協力を討議するものとみなされている。これは中国共産党と朝鮮労働党という両党間の協力関係であると中国は位置付け、国連安保理制裁による「国と国の間の制約」を受けないとしている。

◆韓国はポンペオ発言に同調

 韓国の文在寅大統領は、どの国よりも率先して南北融和を訴え、対北制裁を緩和したいと願っていることを隠しきれないでいた。しかし米韓軍事同盟があるので、アメリカの顔色を窺いながらでないと緩和はできない。

 その苦しい立場を、韓国の康京和(カン・ギョンファ)外交部長官が如実に吐露している。7月23日、「仁川聯合ニュース」は、アメリカから仁川国際空港に到着した康京和が、対北朝鮮制裁緩和の可能性について、「今は緩和する段階ではない」との認識を示したと報道した。彼女は、韓国政府が国連安全保障理事会の理事国に対し、対北朝鮮制裁の緩和を強調したのではなく、あくまでも「南北事業に必要な制裁の例外を認めてもらうためのものだった」と、何とも苦しい弁明をしている。

 「制裁緩和のためには北朝鮮の実質的な非核化の措置が取られなければならない」というアメリカの立場に同調したことを示している。

 韓国がこのようでは、金正恩としては当面はますます習近平にすり寄るしかないのだろう。

◆朝鮮戦争休戦協定締結記念日(7月27日)に合わせて外交部副部長が訪朝

 7月25日、中国外交部の孔鉉佑(こう・けんゆう)副部長が訪朝した。孔鉉佑は中国政府の朝鮮半島事務特別代表でもある。朝鮮族中国人で、今年に入ってから任命された。中国政府が如何に北朝鮮問題を重視しているかの証左の一つと受け取ることができる。

 中国外交部は定例記者会見では「中朝両国は隣同士。両国が正常な行き来を保っているだけだ」として、本当の目的をかわしたが、実際は7月27日の朝鮮戦争休戦協定締結記念日に合わせて訪朝したことは歴然としている。それは米朝間で滞っている朝鮮戦争の終戦宣言への、中国としてのメッセージでもあり、また中朝経済協力の具体化と、習近平訪朝への準備作業であることも明らかだ。

 アメリカは北朝鮮の非核化に当たり、対北経済制裁の強化を維持することを強調しているが、中国は非核化を可能ならしめるためにも経済支援が不可欠だと考えている。

 但し、7月9日のコラム<金正恩は非核化するしかない>にも詳述したように、その中国もまた北朝鮮には非核化を絶対条件として要求している。中国がアメリカと異なるのは、非核化に対する金正恩の意思が明確であれば、制裁を緩和し経済支援をして非核化が可能になる方向に持っていくという点だ。

 この差異が、北朝鮮を取り巻く今後の東北アジア情勢を決定していくだろう。

  なお中朝の雪解けは2017年11月の宋濤訪朝から始まっており、今年に入ってから金正恩は「中国は千年の宿敵」から「中国は友好的な国」に切り替えて、国内教育を始めている。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

遠藤誉の最近の記事