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中国、対日微笑外交の裏――中国は早くから北の「中国外し」を知っていた

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
2015年、ソウルで開催された日中韓首脳会談における李克強首相(写真:ロイター/アフロ)

 中国は米中関係が悪化すると対日懐柔策に出る。今般は北朝鮮が中朝蜜月により対米牽制をしながら平和体制3者協議提案により対中牽制をしている。李克強来日、習近平・安倍電話会談など中国の思惑と対朝見解を考察。

◆2002年の小泉元首相訪朝が意味するもの 

 5月2日付のコラム<「中国排除」を主張したのは金正恩?――北の「三面相」外交>で書いたように、2002年9月、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)(元)総書記は、中国遼寧省丹東と隣接する北朝鮮の新義州(シニジュ、しんぎしゅう)を特別行政区(特区)と定めて経済開発を試みようとした。それは中国からの「改革開放をしろ」という絶え間ない要求に応じたものだったが、それでいて「中国外し」のために通貨は米ドルにして、おまけに特区長官の任命に当たり、中国には一切相談せずに、敢えてオランダ籍の中国人(楊斌)を選んだ。オランダ籍であることから、新義州経済開発特区には、中国以外に西側諸国を招いて、中国が中心にならないように仕掛けをしていたのである。

 このことを知った中国は激怒し、楊斌を脱税や収賄など多数の違法行為により逮捕投獄してしまった。それにより新義州経済開発特区構想は潰れてしまったのだが、注目しなければならないのは、このとき金正日は日本に対して何をしたかである。

 小泉元首相の訪朝を、金正日は受け入れたのだ。そして拉致被害者を一部返し、また拉致行為に関しては「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って日本人を拉致した」と認めて謝罪した。

 ここで重要なのは、北朝鮮の最高人民会議常務委員会が新義州特区設立の政令を発布したのが2002年9月12日で、小泉元首相が平壌(ピョンヤン)を訪問して金正日元総書記に会ったのが2002年9月17日であるという事実だ。

つまり、北朝鮮が「中国外し」をするときは、日本に対しては門戸を開こうとするのである。

 楊斌が拘束されたのは2002年10月4日で、11月27日には逮捕投獄された。小泉元首相が訪朝した9月17日には、楊斌が逮捕されるとはまだ思っていなかった金正日は、経済特区を開発するに当たり、「中国外し」をしておいて、対日融和策に出たということになる。

 それを知っている中国は、今回もまた北朝鮮が対日融和策を取る可能性があることを見越して、北朝鮮に先手を打たれまいとして「対日融和策」に出ようとしている。

◆「習近平・安倍」電話会談が意味するもの

 事実5月4日、習近平国家主席は安倍首相からの電話会談申し入れを受け入れ、日中首脳としては初めての電話会談を行なった。

 これは5月2日から3日にかけて、王毅外相が訪朝し、金正恩(キム・ジョンイル)委員長と会談したことと深く関係している。

<「中国排除」を主張したのは金正恩?――北の「三面相」外交>でも触れたように、王毅外相訪朝の真の目的は、あくまでも4月27日の南北首脳会談で採択された板門店(パンムンジョム)宣言の中で謳われた「中国外し」を回避させることにある。すなわち宣言では、「南と北は、休戦協定締結65年となる今年、終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制を構築するため、南北米3者、または南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした」とある。中国を外す3者会談の可能性を示唆したのだ。

 中国にとって、中国を排除することなど絶対にあってはならない。王毅外相は「中国を外すな」と説得するために金正恩委員長に会ったのである。表面上は熱い抱擁を交わし、非核化など、聞こえの良い「きれいごと」に関して意思確認をしたと言っているが、実際は違う。

 事実、5月3日の聯合ニュースは<訪朝の中国外相 朝鮮半島問題での「中国外し」回避に総力>と報道しており、中国国内でも、板門店宣言以来、「3者会談とは何ごとか」といった趣旨の報道が目立つ。

◆中国は早くから北朝鮮の「中国外し」を知っていた

 中国の外交部などを通した発表としては、せいぜい「中国は半島問題の解決に長いこと大きな貢献をしてきた」という類のことしか言ってないが、中国政府系あるいは中国共産党系メディアは、識者のコメントとして多くのことを書かせている。中朝蜜月を披露した手前、政府自身がストレートに北朝鮮を責めるわけにはいかない。

 そこで、「3者」と言い出したのが北なのか南なのかに注目が集まる中、「北である」という確信を持っている論評を数多く掲載させている。その主たる論拠を以下に列挙する。

1.1984年1月、北朝鮮は中央人民委員会と最高人民常設会議の連合会議を開催し、「朝米韓」3ヵ国による平和体制への移行を協議すべきだと決議した。朝米の間で平和協定締結を論議し、朝韓の間で北南相互不可侵条約を結んだ後に、朝韓が政治協商会議を開催し「高麗連邦国家」建国を論議すべきとしている。

2.1994年、北朝鮮は中国に対して「軍事停戦委員会」の駐板門店・中国代表が中国に撤退するように要求してきた。北朝鮮は中国が安全保障上北朝鮮に介入する法的地位を保有することを望んでいない((筆者注:1991年12月に旧ソ連が崩壊すると、1992年8月、中国は韓国と国交を樹立。北朝鮮、「戦争中の敵国(韓国)と国交を樹立した」と中国に激怒)。

3.1996年4月、クリントン米大統領と韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が韓国の済州(チェジュ)島で共同声明を発表し、北朝鮮が唱える「3者会談」による平和体制以降を否定し、「中国を入れた4者会談」を提案した。

4.しかし2007年の第2回南北首脳会談において発表された共同声明では、再び「3者または4者による首脳会談を通して休戦体制を平和体制に転換させる」とした。

5.従って、今般の板門店宣言における「3者会談」の可能性を提起したのは、明らかに北朝鮮側であることが明確である。

 以上が、中国政府が識者らに論じさせた根拠の骨格だ。

 5月2日付のコラム<「中国排除」を主張したのは金正恩?――北の「三面相」外交>では、4月29日に韓国政府筋が韓国メディアに一斉に「2007年の南北首脳会談で“3者”を提起したのは金正日」と報道させたと書いた。これは今般の板門店宣言における「3者」提起が、決して韓国側ではないということを韓国政府が中国に知らせたかったためだと思うが、中国はもっと詳細に、「犯人」が北朝鮮であることを十分に分析し、知っていたということになろう。

◆中朝蜜月を演じた金正恩への不信感――6者会談前提の背後

 そんなわけで、今年3月25日から27日にかけて北京を電撃訪問して中朝蜜月を演じた金正恩に対して、中国は心の奥では不信感を拭えていなかったようだ。

 金正恩は「朝鮮半島の非核化と平和体制構築のプロセスにおいて、北朝鮮だけでは北朝鮮の自国の利益を保持することはできないので、何としても中国の後ろ盾が必要だ」というせっぱ詰まった気持から習近平に会い、その救いを求めたはずだと中国は言う。だというのに、その一方では、結局金正日以来の北の考え方は変わってはいない、というのが中国の大方の見解である。

 何しろ江沢民時代から北朝鮮が表面上見せた中国への熱烈な友好的姿勢は際立っており、最高指導者となってからの金正日は7回にもわたって訪中している。その間、江沢民や胡錦濤と、どれだけ熱い握手を交わしてきたことだろう。

 だからこそ、金正恩の電撃訪中に当たって、中国は「中国が主導する6者会談」復帰を前提として金正恩に要求したわけだ。またもや「3者」に持っていこうとする北朝鮮の策略を防いだはずだった。

 しかし金正恩の方が、策略において上手だったことになる。

◆李克強来日を可能ならしめた米中関係険悪化

 5月8日に来日する李克強首相(国務院総理)の訪日が決まったのは、米中関係の悪化による。アメリカは昨年末から国防などの安全保障面でも対中強硬策に転じていたが、さらに貿易不均衡によって貿易戦争に至ろうとさえしている。5月4日にも、米中の通称協議は平行線に終わり、この後も難航を極める模様だ。

 本来なら習近平の母校である清華大学管理学院顧問委員会にいる数十名のアメリカ大財閥のトップたちが間を取って折衷案を模索するはずだが、なにせ顧問委員会メンバーは親中派の巨頭キッシンジャー・アソシエイツの息がかかったメンバーが多い。メンバーもまた圧倒的な親中派だ。昨年末以来ランディ・シュライバーなど、筋金入りの対中強硬派で身辺を固め始めたトランプ政権を説得するのに手を焼いている。

 だから中国は勢い、日本に秋波を送るようになったのである。

◆北朝鮮「1億年経っても日本は訪朝できない」――日中韓首脳会談を警戒し

 もっとも、日本と対話の用意があると文在寅大統領に告げていた金正恩は、ここに来て「(日本は)1億年経っても(北朝鮮の)神聖なる地に足を踏み入れることはできない」と言い始めている。5月6日、北朝鮮の労働新聞が伝えた。日本が北朝鮮の非核化に関して、圧力強化を強調しているからだ。

 8日に来日し9日に東京で開催される「日(安倍)中(李克強)韓(文在寅)」の首脳会談に対して、内心は北朝鮮に批判的な中国の出方を、金正恩は警戒したものと思う。

 日本を「一帯一路」構想に誘い込もうとする中国の魂胆もさることながら、日本はこういった中国の心理と中朝関係をしっかり把握して、日中韓首脳会談に臨むといいのではないだろうか。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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