巨大ザメ「メガロドン」はどれくらい速く泳げたのか。東京工業大学の研究
サメ類の表皮には物体表面の摩擦抵抗を低減する微細な突起があり、これがサメ類の高速な遊泳を可能にしている。この構造を再現した表面加工は、ガスタービン、ジェットエンジン、競泳水着などに用いられているが、今回、東京工業大学の研究グループはホホジロザメの表皮の構造からサメ類の遊泳速度を算出する方法を考案した。この方法を使えば、古代の巨大ザメ、メガロドンの遊泳速度も推定することも可能という。
サメ肌のバイオミメティクスとは
自然や生物から技術革新のヒントを得たりそれを人工的に模倣することを「バイオミメティクス(biomimetics、生物模倣)」という。レオナルド・ダ・ビンチが鳥の翼から飛行機を考えたこともそうだし、クモの糸から防弾チョッキの構造のヒントを得たり、オナモミという「ひっつき植物の実」からマジックテープが発明されるなどしてきた。
機械工学の研究開発分野では、部品の表面をコーティングしたり表面特性を変化させる(モーフィング・サーフェス)などして、高い摩擦と低い摩擦を得る技術が考案されてきた。例えば、植物のハスの葉の表面特性をヒントにしたバイオミメティクスにより、圧力が加わると部品表面の形状が変化し、摩擦をコントロールするモーフィング・サーフェス技術が考案されている(※1)。
サメの肌の機能をヒントにしたバイオミメティクスには、船底の皮膜素材も注目されている。クジラでは体表面にフジツボなどが付着することが知られているが、サメの肌はフジツボはもちろん細菌や寄生虫、イソギンチャクなどを付着させることは全くないからだ。
サメの肌には、特殊な抗菌作用がある。米国のベンチャー企業はサメの肌の表面を模倣したプラスチックを開発し、病院などでの使用を考えていたようだ。大腸菌やバクテリアは平滑な表面にコロニーを作って繁殖するが、そのサメ肌シートは微細な凹凸があり、その繁殖を抑制するのだという(※2)。
また、いわゆるサメ肌と呼ばれるように、回遊性のホホジロザメなどの表皮は、楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる我々の歯に似た構造の微細な鱗(歯状突起)によっておおわれている。この楯鱗は頭部から尾の方向へ向かって並び、多数の楯鱗のそれぞれが複雑な構造によってサメが泳ぐ際の流体乱流摩擦抵抗を低減する役割を持つ。
流体表面の乱流摩擦抵抗を低減する微細な縦溝構造をリブレット(Riblet)と呼ぶが、リブレットはサメの表皮の構造を分析することで生まれた表面加工技術だ。だが、今日のような3次元再現技術が発達してから、サメの全身の楯鱗を詳細に調べ、どうやって乱流摩擦抵抗を低減しているのかを調べた研究はなかったという。
特に生態系の頂点に位置するホホジロザメは、映画などに登場してよく知られているわりに表皮のリブレットが詳細に調べられたことがない。そこで東京工業大学工学院機械系の佐山将太朗大学院生(研究当時、博士後期課程)と田中博人准教授らの研究グループは、ホホジロザメの全身標本から17箇所の表皮を採取し、X線CTで楯鱗の形状を計測して詳細に3次元モデリングし、最も流体抵抗を低減する最適な遊泳速度を算出する方法を考案、英国王立協会の査読付き科学雑誌で発表した(※3)。
ホホジロザメの楯鱗は、それぞれほぼ菱形に配置され、各楯鱗の中央の大突起と左右の小突起(歯状突起)が、列を形成して頭から尾へ向かって並んでいる。リブレットが物体表面の乱流境界層内の縦渦を表面から遠ざけることで流体の摩擦抵抗を低減することから、同研究グループは中央の大突起と左右の小突起が形成する列群をホホジロザメのリブレットと仮定した。
ホホジロザメは大型の回遊性のサメで、通常は毎秒約1メートルの速度で遊泳しているが、海面上へジャンプする際などの最大速度は毎秒6.7メートルと推定されている。また、回遊時の遊泳速度は毎秒約2メートルとされ、表皮の摩擦抵抗は捕食時やエネルギー効率などの点で重要であり、進化の過程で楯鱗を発達させてきたと考えられている。
ところで、流体力学では、物体付近での流れが流体の粘性の影響によって遅くなっている領域を境界層と呼び、境界層内の流れが時空間的に乱れている乱流状態の境界層を乱流境界層と呼ぶ。乱流境界層は、境界層内の流れが乱れていない層流境界層よりも、物体表面での速度勾配(速度の変化の度合い)が大きいため、摩擦力が大きくなるという。
サメの表皮をヒントにしたリブレットの抵抗低減は、乱流境界層に接した粘性のある流体のすぐ上の渦が楯鱗のような歯状突起で持ち上げられることで生じる。楯鱗が物体周辺に生じた乱流の渦を表面からひき離すというわけだ。また、一般的な人工的リブレットの場合、最大の抵抗低減率は約10%と報告されているという。
巨大な古代ザメ、メガロドンの遊泳速度は
同研究グループは、中央の大突起の間隔を左右の小突起が隣り合う間隔の2倍とし、中央の大突起と左右の小突起が速度が遅い遊泳時の大きな縦渦を表面から遠ざけ、摩擦抵抗を低減するというモデルを考案した。工業的な加工技術で表面をえぐるように凹ませるスキャロップ・リブレットでは、乱流境界層内にある物体表面のひじょうに薄い層流の領域である粘性底層の厚さに対するリブレットの相対的な間隔が約17の時に摩擦抵抗の低減率は最大になるという。
そのため、同研究グループは、ホホジロザメの最適な遊泳速度を、楯鱗の配列が17の間隔になるようにして計算した。また、粘性底層の厚さは、標本から得たホホジロザメの先端やヒレの前縁から楯鱗までの距離によって推定した。その結果、実際のホホジロザメの楯鱗の間隔は最大摩擦抵抗低減率である17に近かったという。
楯鱗の間隔が17になるのは、狭い大小の歯状突起の場合は遊泳速度がおおよそ毎秒5メートルから7メートルにある時であり、広い大きな歯状突起では遊泳速度がおおよそ毎秒2メートルから3メートルの時と推定された。また、身体の横の中央付近では、大小の歯状突起の狭い間隔の最適な遊泳速度は毎秒2.3メートル、大きな歯状突起の広い間隔の最適な遊泳速度は毎秒5.1メートルとなった。
このことから同研究グループは、楯鱗の左右の小さな歯状突起が高速遊泳時に、また中央の大きな歯状突起が低速遊泳時に、それぞれ抵抗低減に適して配置されていると考えている。さらに、同研究グループは、同じ計算方法を用いて約260万年前に絶滅したとされる巨大ザメ、メガロドンの最適な遊泳速度を試算したという。
メガロドンは、ホホジロザメの3倍以上にもなる巨大な古代サメだが、同研究グループは化石の文献からメガロドンの楯鱗を推定した。その結果、最適な遊泳速度は高速遊泳時に毎秒5.9メートル、低速遊泳時に毎秒2.7メートルとなり、巨大なサイズのわりにメガロドンの遊泳速度はホホジロザメと大きな差はなかったのではないかとしている。
同研究グループは、今回の計算方法を用いることで難しかったサメの遊泳速度を推定することができ、ホホジロザメのような回遊性のサメ類の生態研究に応用できるとしている。また、メガロドンのような化石しか残っていない古代ザメの遊泳速度も楯鱗の歯状突起の形状や全長などから流体力学的に推定することも可能になると考えている。
さらに、工業的に活用されているリブレットでは、今回の計算モデルにより高速と低速のどちらでも抵抗を低減できる可能性がある。そのため、ガスタービンや風力発電、航空機などの交通機関などに応用可能なリブレットの開発が期待できるだろう。
一方、同研究グループが開発した計算方法は、実際のサメが持つ抵抗低減より単純であり、実際のサメの身体は今回の計算方法を当てはめたように平板ではないし、楯鱗の配置にもばらつきがある。また、粘性底層と楯鱗の間隔が17かどうかも不明であり、同研究グループは今後も実際のサメの複雑な楯鱗の形状や流れの影響を流体力学実験やシミュレーションで明らかにしていくようだ。
※1:Motoyuki Murashima, et al., "Active friction control in lubrication condition using novel metal morphing surface" Tribology International, Vol.156, April, 2021
※2:Chelsie M. Magin, et al., "Non-toxic antifouling strategies" materials today, Vol.13, Issue4, 36-44, April, 2010
※3:Shotaro Sayama, et al., "Three-dimensional shape of natural riblets in the white shark: relationship between the denticle morphology and swimming speed of sharks" JOURNAL OF THE ROYAL SOCIETY INTERFACE, Vol.21, Issue217, 2, August, 2024