ホロコーストから生還した男の「終活」の旅。邦題が余韻をさらに深める『家へ帰ろう』
邦題によって味わいが増す作品があります。パブロ・ソラルス監督・脚本の『家へ帰ろう』(原題:EL ULTIMO TRAJE/英題:The Last Suit)も、まさにそんな1本。
ブエノスアイレスに住むアブラハムは、人生の最後を意識するようになった88歳。長年暮らした自宅を売り払い、明日には老人ホームへ入ることになっていたのですが、あるスーツを目にしたことから、祖国ポーランドのウッチを目指し、片道切符で旅立ちます。ホロコーストから生還した彼を救ってくれた親友に、自分が仕立てた「最後のスーツ」を渡すために。
ハートフルな物語を想像させる邦題ですが、背景にあるのはホロコーストという重い題材。しかも、のっけから視線も笑いもなかなか辛口。老人ホームでの生活を控えたアブラハムを囲む家族の風景は、小遣いをめぐる孫とのやりとりに微苦笑させつつも、もっぱら父親の財産に関心があるように見える娘たちとの関係は『リア王』を彷彿させるのですから。
そんなアブラハムが強制収容時に痛めた右脚を引きずりながら、70年ぶりに故郷を目指す旅は、いわば「終活」の一環。空港へのタクシーの運転手をはじめ、出会う人々とのやりとりで憎めない頑固さを発揮しつつ、ときに思いがけず粋な計らいを見せて、ただ気難しいだけではないことをうかがわせたり、片道切符の老人の一人旅を不審に思う入管の担当者とのやりとりでは歴史の悲劇の重さを再認識させもする。「ポーランド」と「ドイツ」という言葉は口にするのも嫌というアブラハムですが、急に思い立った旅は、最初に彼が望んだルートどおりにはいきません。しかし、それがまた新たな出会いや救いを招き、彼の人生のもうひとつの心残りとも向き合わせることになります。
とはいえ、ポーランドを離れてから70年。ずっと音信不通だった親友ピオトレックが、はたして目指す場所にいてくれるのか。そもそも、今も健在なのか。老けメイクで実年齢より20歳上のアブラハムを演じるミゲル・アンヘル・ソラは、この人間臭い頑固老人の一途な思いを温かく見守らせ、観客にこの肝心なことの心配をするのを忘れさせるほど。
さらに、その人間臭い一挙一動と相まって、次第に明かされていく家族や親友との日々が、アブラハムの胸の奥にある言葉にし尽くせない思いを浮かび上がらせて秀逸。決して長い時間が割かれているわけではないのに、多くを語らずに、ピオトレックの人となりと、彼がアブラハムや家族にとってどんな存在だったのかを、静かなトーンの中に映し出すソラルスのセンスも役者の力量もお見事というしかありません。
実は監督の祖父もポーランドからの移民で、祖父の家では「ポーランド」は禁句だったそう。その祖父への思いや、カフェで偶然耳にした、ナチスから匿ってくれた友人に会うために70年ぶりに祖国へ帰ったユダヤ人男性の実話にインスパイアされて誕生したのが本作。
アブラハムの旅は歴史の悲劇を見つめさせてくれると同時に、そんな過酷時代にも優しさや正義を失わなかった人の存在にも、70年の歳月を超えて約束を果たそうとするアブラハムに力を貸す人々の存在にも、胸の奥を熱くさせるのです。
原題や英題の「最後のスーツ」は、親友に自分が仕立てたスーツを届けようとするアブラハムの意志の強さや、背景にある骨太な題材ともぴったりですが、『家へ帰ろう』という邦題も、この物語の余韻をさらに胸に沁みるものにして素晴らしい。なぜ、この邦題なのか。そこにもまた感動が待っています。
(c) 2016 HERNANDEZ y FERNANDEZ Producciones cinematograficas S.L., TORNASOL FILMS, S.A RESCATE PRODUCCIONES A.I.E., ZAMPA AUDIOVISUAL, S.L., HADDOCK FILMS, PATAGONIK FILM GROUP S.A
『家へ帰ろう』
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