【富田林市】夜の寺内町を歩いて見つけた薬師堂を調べてみると、恋文薬師や浄谷寺との関係が判明しました。
寺内町は、興正寺別院(富田林御坊)と旧杉山家住宅をはじめとする古い建物、それから古民家を利用したお店の存在に目に行きがち。しかし、町を歩いていると意外にこれまで気づいていないものに巡り合うことがあります。今回は薬師堂に出会いました。
見つけたのは先日行われたイベント、寺内町燈路の時です。最近は昼間は暑いこともあり、寺内町でも目的地以外はあまり歩かないのですが、寺内町燈路の行われた夜であれば、そんなこともありません。町中を歩くので偶然に見つけることができたのです。
それがこちらの薬師堂です。
反対側には鍼灸キミドリ堂さん(外部リンク)があります。
薬師堂の正面です。
説明書を見ると意外なことが書いてありました。薬師堂は浄谷寺の境外地に薬師如来を安置していると書いてあります。
境外地とは飛地境内のことを指すそうで、浄谷寺の境内から東に2本の筋(西筋、市場筋)を越えて富筋の手前(南会所町)に薬師堂が安置されています。
屋根を見ると卍がふたつ象られていますが、道内に安置されている薬師如来にも胸に赤い卍が描かれているそうです。
薬師堂に来たのは夜なので、中の様子を伺うことはできませんが、説明では乾漆(かんしつ)座像とあります。これは木や粘土を使って形をつくってから、上に麻布を貼り、漆で塗り固めて作る方法なのだそうです。
見上げると、大正4年2月吉日に奉納された額があります。薬師如来の仏像は、伝承で若い男女の恋文で貼り重ねて、その上に漆を塗り固めて金箔を貼り付けた像と書いてあります。男性の名前と女性の名前が書いてあるのはそのあたりと関係があるかも知れませんね。
こちらの奉納期日はわかりませんが、八日會(会)と書いてあります。説明書きによれば村人の悩みや願い事をかなえて頂くそうで、子どもが生まれれば最初の母乳をお供えし、子どもの元気な成長を祈るなどの厚い信仰を集めたそうです。
明治以前の大祭では、初夏の水まんじゅうや植木市、時代人形の出店やご歌踊りなど連日盛んな催しが行われていたそうです。その後、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で管理者が庄屋さん(本楠原家)に変わったこともあったそうです。
薬師堂のすぐ近くにある楠原家は江戸時代末期に造り酒屋を始めたそうですが、 屋号が「たばこ屋」だったそうです。そのために管理することになった薬師堂のことを煙草屋薬師と呼ばれていたとのこと。
また若い男女の恋文で貼り重ねて作られた伝承から、恋文伝説があるそうで、参拝したら恋の願いが叶うともいわれているそうです。そのため恋文薬師とも呼ばれております。それにあやかってなのか、過去には寺内町で縁結びパーティも行なわれていたそうです。
また毎年6月から7月頃にかけてこの界隈で夜店が並ぶ縁日が開かれているそうなので、来年はその時期にまた訪問したいと思いました。
浄谷寺薬師堂
住所:大阪府富田林市富田林町11
アクセス:近鉄富田林西口駅より徒歩6分
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