欧州の伯楽と、武豊が語るアルリファーと凱旋門賞。そして現在の率直な思いとは?
凱旋門賞2勝の伯楽が後押し
「ユタカの馬は相当、チャンスだと思いますよ」
「自分が注目しているのはシュルヴィー」と言いながらも、武豊にチャンスありと語ったのは、ジョン・ハモンド氏。イギリス人ながらフランスで開業していた元調教師。フランスの馬の街で知られるシャンティイにある彼の自宅に招かれたのは大一番2日前の現地4日、金曜日。1992年、ディアドクターでジャパンC(GⅠ)に挑戦(3着)したのを皮切りに、94年安田記念(GⅠ)3着のドルフィンストリートや95年ジャパンC3着のエルナンド、99年同4着のモンジュー等、延べ6頭を日本に送り込んだ。オールドファンにはお馴染みの親日家でもある彼は、スワーヴダンサーとモンジューで2度、凱旋門賞(GⅠ)を制した伯楽でもある。
そして、2001、02年には日本のナンバー1ジョッキー・武豊にオファーを出し、長期滞在をしながらのフランス競馬への参戦を求めたのが、彼だった。
「日本のレジェンドの凱旋門賞に懸ける熱い思いは私も知っています。今年はその夢がかなえられるチャンスだと思います」
壁の高い位置に掲げられた“モンジューが凱旋門賞を制した時の新聞”の下で、凱旋門賞を、そして武豊を知る男はそう言った。
レジェンドが語るアルリファー
同じ日のサンクルー競馬場に姿を現したのが、その武豊だ。今年、タッグを組むアルリファーについて、次のように語った。
「アイルランドにあるジョセフ(管理するジョセフ・オブライエン調教師)の厩舎へ行き、調教で騎乗しました。調教師からは『乗りやすい馬だから』と言われていたけど、実際、すごくコントロールしやすくて、色々な不安が吹き飛びました。そういう意味で、レース前に1度乗っておいたのは良かったと感じました」
前走のベルリン大賞(GⅠ)はパドックから注視していたと続ける。
「パドックはおとなしく回っていたし、返し馬も難しそうではなかったですね。レースに関しては、初めての2400メートルでどんな競馬をするかな?と思って見ていました」
結果、2着のナラティーボに5馬身の差をつける快勝劇を演じた。
「相手が今回の凱旋門賞よりずっと弱いというのはあるけど、なかなか強い勝ち方でしたね。上手なレース運びだったし、ここに向けて楽しみになる内容だったのは間違いありません」
とはいえ、楽観視ばかりしているわけではない言葉が続く。
「ただ、今回は相手も一気に強化されるし、頭数も違う(前走は7頭立てなのに対し今回は16頭)ので簡単なレースになるとは考えていませんけど……」
何度もはじき返された壁
それは過去、何度もこのヨーロッパの厚く高い壁に跳ね返されて来た男の口から発せられた言葉だからこそ、重みがあった。
「初めて乗ったのが30年前でした。ホワイトマズルで1番人気だったはずです。レース前のパドックでは報道陣に囲まれて、調教師とほとんど打ち合わせも出来ないまま、騎乗時間になってしまいました。若かった事もあり、上手く乗れなかったのですが、レース後には地元のマスコミにさんざん叩かれました」
その時に、心に誓った事があったと言う。
「競馬は勝てる事の方が少ないわけですけど、負けた時にこれだけ批判されたのは自分の海外での経験が少ないからだと感じました。だから、もっと世界へ出て経験を増やす事で、負けてもこんなに叩かれない騎手になろうと強く思いました」
反骨心をバネに、技術の向上をはかり、積極的に海を越えた。初めての凱旋門賞騎乗が、彼のその後の躍進に大いに関わっていたわけだ。
「沢山乗りましたからね。思い出は色々あります」
2度目の騎乗は2001年のサガシティ。凱旋門賞馬サガミックスの下で、管理するのは伯楽アンドレ・ファーブル。日本人の息が全くかかっていない馬を、好騎乗で3着に持って来た。
「勝てなかったけど、自分なりに上手く乗れたと思いました。アンドレも満足そうにしてくれていました」
それまで遠い世界にあると思っていた凱旋門賞の頂が、夢物語ではないと確信出来た1戦だった。
そして3回目の騎乗がディープインパクトと臨んだ06年。3位入線後、失格となったこの年に味わった悔しさは今でも悪夢に蘇ると言う。
「ナメていたわけではないですけど、ディープは当時の世界最強だという気持ちがあったし、それは今でもあります。それだけに勝たせてあげられなかったのは悔しいし、後に風邪気味(結局その影響で使用した薬物が体内に滞留してしまった事で失格となった)だった事が判明した時は『なんでこのタイミングで……』という思いでやりきれない気持ちになりました」
その後は一昨年のドウデュースまで、計10回の騎乗を果たした。「ヨーロッパでもこんなに乗っている騎手は少ないんじゃないかな?」と言うと、続けた。
「ただ、なかなか勝たせてはもらえません。全く手応えがないわけではないけど、勝つのはやはり難しいですね」
しかし、だからこそ、思いは強くなっている。
「特別なレースである事に変わりはないので、勝ちたい気持ちはずっと続いているし、むしろ大きくなっています」
現在の率直な気持ち
いずれにしろレジェンドの新たなる金字塔を望む日本のファンが大勢いるのは間違いない。そんなファンにメッセージをお願いすると「皆、シンエンペラーを応援しているんじゃないの?」と笑った後、続けた。
「でも、実際、シンエンペラーもチャンスでしょうね。ただ、自分は自分で勝ちたいですからね。良い報告が出来るようにベストを尽くします」
決戦前日にはアルリファー同様、松島正昭氏が共同馬主であるリリーハート(愛、A・オブライエン厩舎)に騎乗し、ロワイヤリュー賞(GⅠ)に挑んだ。結果は15頭立て11着に敗れたが、翌日を見据える意味では乗れて良かったと語る。
「久しぶりのパリロンシャン競馬場ですから、乗れたのは良かったです。それもアルリファーと同じ9番ゲートでしたからね」
「いつもの重めの馬場を確認出来たのも良かった」と続けた彼に、最後、現在の率直な心境を伺うと、ひと言だけ言った。
「ワクワクしています」
日本時間、今夜、歴史が動く瞬間が待っていると期待しよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)