一周忌「200年に一人の天才ボクサー」
現役時代、所属ジムの会長に「具志堅用高を超える逸材。200年に一人の天才」と絶賛された元WBAジュニアウエルター級1位、日本同級&日本ウエルター級王者の亀田昭雄氏が直腸癌で亡くなってから、1年が過ぎた。
本コーナーで、数々のファイターについてコメントを頂いたが、やはり忘れられないのは、彼とアーロン・プライアーとの26年ぶりの再会だ。
昨年夏に休刊となった『ボクシングマガジン』で、私は2000年代前半にアーロン・プライアーの連載を持っていた。プライアーは、アマチュア時代にトーマス・ハーンズに圧勝している。モントリオール五輪アメリカ代表強化合宿では、シュガー・レイ・レナードと200ラウンドに及ぶスパーリングを重ね、2度ずつダウンを奪い合った。
だが、母親やきょうだいに逮捕歴があることや、バックグラウンドを問題視され、オリンピック代表決定戦を疑惑の判定で落としている。強過ぎるが故に、プロに入ってからもチャンピオンに敬遠され、なかなか大舞台が用意されなかった。
4階級制覇を目論むアレクシス・アルゲリョとの大一番が具体化し始めた頃、5人目の挑戦者として地元、オハイオ州シンシナティ―に乗り込んできたのが、亀田さんだった。無敵の日本ウエルター級チャンピオンだった亀田さんは、ジム移籍問題に翻弄され、ほとんど練習しないような状態で世界戦のリングに上がる。1階級下げ、ジュニアウエルターで指名挑戦権を得ていた。
ファーストラウンドにダウンを奪うも、その後プライアーに滅多打ちにされて5度キャンバスに沈んだ。
「アーロン・プライアー戦は、ラウンドを重ねるごとに、相手を敬う気持ちがどんどん大きくなっていったんです。倒されても倒されても、最強であり最高の男に向かっていく自分がいました。
終わった後は、ただただ清々しかったですね。ボクシングって憎くて殴り合うわけじゃないから、試合終了後は自然とプライアーと抱き合いました。『あしたのジョー』じゃないけれど、灰になった感がありましたよ」
亀田さんは、そんな風に語っていた。
一方のプライアーは、「あんなに大きなジュニアウエルターの選手は初めてだった。私はライトから増量したジュニアウエルター、彼はウエルターから下げた140パウンドだもんね。パンチもあった。凄く強かった。私にとって、最強のチャレンジャーだったのは、アキオ・カメダだ」と振り返っていた。
両者をもう一度会わせたいーーーその思いが止まらなくなった私は、再会の機会を設けた(※興味のある方は、是非『神様のリング』(講談社)をご覧ください)。
2016年10月9日にプライアーが永眠した時、亀田さんは「そうか……」と小さく呟いた後、「向こうに行けば、会えるから」と話し、「『散る桜、残る桜も散る桜』という思いだね」と言った。
今、2人は天でボクシング談議に花を咲かせているのだろう。