十一代目市川海老蔵 改め 十三代目市川團十郎白猿の襲名公演が決定!〜見る前に知っておきたい襲名のこと
こんにちは。大向うの堀越です。
大向うとは歌舞伎で掛かる「成田屋!成駒屋!」などの声援やその声を掛ける常連客のこと。私が大向うを始めてから25年余り経ちましたが、その経験を活かしながら歌舞伎の魅力や歴史をわかりやすくお伝えしていきたいと思っています。
今回は「海老蔵さんの『團十郎襲名』とはどういうことか気になる」という方へ向けて「歌舞伎の襲名とはなにか」をわかりやすくお伝えします。この記事が公演へ足を運ぶキッカケになれば幸いです。
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◆海老蔵さんはまだ襲名していない
本来『十一代目市川海老蔵 改め 十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演』は2020年に予定されていた。ところが、ご存知の通り2020年初ごろからコロナが猛威をふるい始め、舞台はもとよりあらゆるエンターテインメントが自粛に追い込まれた。團十郎襲名も例外ではなく、これまで二年以上の延期を余儀なくされてきた。
つい先日、ようやくその公演が2022年11月、12月の歌舞伎座を皮切りに開催されることが決定したのだ。なお、本公演では海老蔵の長男、勸玄くんが市川新之助を八代目として襲名することも決まっている。
◆名前は「ブランド」である
さて、そもそも襲名とはなんだろうか。これは家屋敷などの財産を相続するというより、歴史のある老舗やブランドの継承にたとえると分かりやすい。
日本では江戸時代あたりまで、親の名前を子が継承する習慣は、歌舞伎の世界に限らず実は珍しいことではなかった。特に商人は店の看板と共に親の名を継ぐことが当たり前のように行われていた。
では、なぜ親の名前を継ぐのか? なにしろ電話もなければ写真もない時代、通信網というとせいぜい手紙ぐらい。会いに行かない限り顔も声も知らないのだから、商取引する時に頼りになるのは名前だけだ。そこで跡取りとなる者は先祖からの名を受け継ぐことで、その名前が育んできた信用も同時に受け継いだわけだ。
余談だが、商人の世界では男子が生まれるより女子が喜ばれたらしい。というのも、男子は商才の有無にかかわらず跡取りにせざるを得ないが、女子であれば店の中で一番優秀な男を婿にすることで経営を安定させることができたからだという。
◆襲名には大きな責任が伴う
名前がブランドであるというのは歌舞伎役者も同じことだ。先祖が脈々と名優としての名声を築き上げてきた名前であるほど、それを名乗るのはおそろしいことだろう。名前が名声を約束するわけではないのだから。
歌舞伎ファンの間では「襲名は役者を大きくする」と言われるが、裏を返せばそれだけの覚悟がなければ襲名などできないということなのだろう。
もしあなたが、誰もが知る大きな企業の跡取りとして、全社員の運命までも託されるような立場に生まれたとしたらどうだろう。あるいは何百年も続く老舗の跡継ぎに生まれたとしたら?その責任の大きさ、重圧を想像するだけで私など胃が痛くなってしまう。
現・二代目松本白鸚は「襲名とは襲命なのだ」と言う。役者の名前は営々と築き上げられてきた先祖代々の命の結晶であり、その上に新たに自分の命を積み重ねていくのだという覚悟がよくわかる言葉だ。
◆襲名では家の芸風も受け継ぐ
襲名はブランドの継承だと書いた。これは家の芸風も受け継いでいくことを意味している。ただ名前を名乗るだけではないのだ。
たとえば市川團十郎家は荒事(あらごと)と呼ばれる超人的なヒーロー像を生み出し、江戸歌舞伎の創始者とされる。江戸時代には「團十郎に睨んで貰うと一年間無病息災、瘧(おこり=間欠熱)が落ちる」などと言われ、呪術的・祭祀的な存在でもあった。その点で、数ある歌舞伎役者の名前の中でもひときわ異彩を放っていると言って良いだろう。
そして市川家のお家芸である荒事は文字通り、細かいことにこだわらぬ荒々しさや豪快さ、また少年のような無邪気さが大切にされる。様々な役を器用に演じることもさることながら、第一に「團十郎らしさ」が重んじられると言っていいだろう。
今回は一例として市川團十郎家を挙げたが、どの家の名前にもこうした由来や歴史があり、その名前の上に築かれてきたイメージを大切にしているのが歌舞伎の襲名なのだ。
◆團十郎家にだけ許された「睨み(にらみ)」
ここまで書いてきた通り、歌舞伎の襲名は役者にとって人生の一大行事である。ゆえに歌舞伎界は総力をあげて応援し、滅多に見られない豪華な顔合わせが実現することも多い。歌舞伎ファンにとっては見逃せない魅力が詰まったものになるのが通例だ。
また襲名披露公演では「口上」と呼ばれる一幕が設けられることが多い。これは役者本人が決意を述べたり、先輩たちからエールを贈られたりするもので、普段なかなかお目にかかれない役者の姿をお目当てにする人も多い。
特に市川團十郎家の襲名では口上と併せて「睨み(にらみ)」と呼ばれる特別な儀式が執り行われる。これは團十郎家だけに許されるもので、特別な機会にしか披露されない。今回を逃したら次はいつになるかわからない貴重なものだ。
※市川家の中で、宗家たる團十郎家から了承された者が稀に行うことがある。
◆「白猿(はくえん)」は謙虚な心の象徴
ところで、襲名に当たり「十三代目市川團十郎白猿」となることが発表されたときに「あれ?」と思った方も多いだろう。「なぜ“白猿”なのかな?」と。
実は江戸時代、團十郎の俳名(はいみょう。俳句を読むときの別名)は栢莚(はくえん)といったが、五代目團十郎が「猿は人間より毛が三筋足らぬ」とされた俗説にちなんで、自分は歴代の團十郎の足元にも及ばないという謙虚の心を込めて「白猿」と名乗ったことに由来しているのだ。
2019年の記者会見時に海老蔵自身が『やはり父や祖父の足元にも及ばぬという気持ち。これから精進していこうという気持ちも含めまして会社の方々とお話をして白い猿という方向性でお願い』したと語っている。
ちなみに海老蔵の父、十二代目團十郎も昭和六十年の襲名の折には極寒の中で水垢離(みずごり)の荒行を積むなど、芸と精神を共に鍛え、必死の覚悟で臨んだことが知られている。それほどに團十郎の名前は重いのだ。
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さて、やや長くなってしまったが歌舞伎の襲名についてお話しさせていただいた。いかがだろうか。襲名が単なるイベントではなく、また、棚ぼた的に得られる「遺産」などではないことがお分かりいただけたのではないだろうか。
チケットの確保はなかなか大変だろうと予想されるが、ぜひご自身の目で世紀の晴れ舞台をご覧いただきたいと思う。
補足)
本文中では親しみある日常語の「名前」としたが、歌舞伎の世界では「名跡(みょうせき)」という呼称が一般的である。