歌舞伎の掛け声「成田屋!音羽屋!」にルールはある? 〜大向う(おおむこう)の基礎知識
こんにちは、堀越です。
歌舞伎の舞台で役者に掛かる「成駒屋!天王寺屋!」などの掛け声や、それをする常連客のことを大向う(おおむこう)といいます。私が大向うを始めて25年余り。その体験を活かして、より気楽に歌舞伎を楽しんでいただけるために魅力や歴史、周辺情報などをお伝えしていきたいと思います。
そんな私が最も情熱を傾けてきた「大向う」の基礎知識についてお話ししていきます。
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◆大向うは「寿司のわさび」である
大向うは形式的には舞台での演技に合わせて屋号などの声を掛けて役者に声援を送るという、とてもシンプルな行為だ。しかし、シンプルなだけに奥が深い世界でもある。
私は大向うは「寿司のわさび」のようなものだと考えている。寿司を食べて「マグロが良かった」「いや自分は鯛が今日のベストだ」という会話はあっても「わさびが最高」という人はまずいない。しかしわさびが入っていなければ「あれ?」と物足りなく感じることはあるだろう。
大向うも全く同じで、不在時に初めて「そういえば今日は大向うが聞こえなかったな」と気づかれるのが「理想の存在感」だと言える。
芝居の中に大きな声で割り込んでいくのだから過不足なく、役者と物語に寄り添った最適な声を掛けることが大切だ。
そのためには「心から芝居を楽しむ自分」と「芝居の全体像と役者の輝く瞬間を見極める冷静な自分」が必要だと、私は考えている。
◆コロナ禍では沈黙を守る
さて、2019年末にコロナ禍が始まり、2020年3月から7月いっぱいまで歌舞伎は全ての劇場で自粛に入った。
その後、2020年8月から客席を半分以下に抑えるなどの工夫をして歌舞伎座が再開。そしていよいよ本年11月の「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」からは久しぶりに昼夜二部制かつ100%の入場となる予定だ。
これは劇場の努力と、新しい観劇マナーに協力してきた客席あってこその成果だ。もちろん大向うも例外ではなく、約3年間にわたり沈黙を守り続けてきた。
「録音でできないか」「公認大向うだけを別エリアで」といった議論もあったが、それが呼び水となって客席から声があがる可能性を排除できないとして現在は全面禁止の措置が取られている。
大向うは客席の文化であり、「For the TEAM(フォア・ザ・チーム)」の精神が根底にあるものだ。その点からも、いまの環境での掛け声はむしろ役者や観客の不安を増幅させてしまうことになる。
現時点では、沈黙こそが「最良の大向う」なのだと私は考えている。
◆「大向う」の語源は?
語源は諸説あるが、入場料の安い後方の大衆席を“舞台から見て一番遠く”という意味で「大向う」としたことに始まるという説を取りたい。
大向う席は代金が安く、常連客が通ってくるには好都合だ。毎日のように通い、贔屓の役者に声を掛けるようになった。これが客席文化として定着していくに従い、掛け声や声を掛ける人たちを「大向う」と呼ぶようになったという。
なお、他説には小山観翁氏の「大(おお)」は敬意を表するもので「大舞台(おおぶたい)」「大相撲(おおずもう)」などに付くのと同様の意味があるとする説が有名だ。
この理屈だと自らを「私は大向うです」と名乗るのは自分に敬称を付けているようなもので、ちょっと恥ずかしいことになってしまう。
◆大向うの基本は「屋号」
歌舞伎役者には各々の屋号がある。その由来は家ごとに異なっている。たとえば市川團十郎の成田屋は初代以来の成田山不動尊との関わりによる。他にはその役者が妻に営ませていた店の屋号であったり、出身地によったり、両親が営んでいた商売によるなど様々だ。
これらの屋号を用いて声を掛けるのが基本である。直接「鴈治郎はん」などと名前を掛けるケースもあるが、例外だと思っておいていいだろう。
そして声を掛ける際には、ただ大声を出せば良いというものではない。役者の演じ方、芝居の世界観、場面の空気感、客席の雰囲気などを踏まえながら「声の大小、高低、長短、強弱など」を使い分ける。実はこれが本当に奥が深く、25年以上の経験で感じるのは「やればやるほどゴールは遠くなる…」ということだ。
例えば同じ演目でも演じる役者が違えば声を掛ける間(ま)も変わる。ある役者には盛大に声を掛けたが、こちらの役者の時は声を掛けない方が芝居が引き立つという判断もある。無闇矢鱈と声を掛けていれば芝居が安っぽくなってしまうこともある。これらは原則として大向う側に委ねられており、それだけに責任も重い。
◆姓は同じでも屋号は違う
よく誤解されるのだが、歌舞伎役者の屋号は家系で分かれているのが原則で、例えば同じ「中村」姓だとしても屋号は次のように多岐に渡る。
播磨屋(中村歌六ほか)、中村屋(中村勘九郎ほか)、成駒屋(中村福助ほか)、高砂屋(中村梅玉ほか)、萬屋(中村時蔵ほか)……これでも全部ではないのだから、初めて聞いた方は驚かれるかもしれない。
また、市川團十郎家は宗家は「成田屋」だが、同じ系統でも市川左團次は「高島屋」、市川猿之助は「澤瀉屋(おもだかや)」といった形で屋号が変わる場合もある。さらに左團次家では親子でも屋号が異なるなど、この辺りは相当複雑なので、ここで説明し切るのは難しい。
◆屋号以外の大向う
屋号以外にもいくつかバリエーションはある。しかし、これらも使い分けには経験が必要だ。
「〜代目」というのは誰にでも掛けられるが、原則として『先代が名優である』場合であると先輩から教わった。つまり単純に代数をカウントするのではなく「あなたも先代にも勝る名優です」と称賛したり、「あなたも先代に負けない名優になってくれると信じています」という期待を込めたエールとしての意味を持っているのだ。
「ご両人」は恋人同士の場面に掛けることが多いが、これも場面によりけりで、例えば役者同士の関係性(人気役者の久しぶりの共演など)に掛けるケースもある。
「待ってました」も有名だが、場面を選ぶし、「ここぞ」というところで掛けてこそのもので、一日のうちに何度も掛けてはかえって逆効果になる難しさがある。
これらは先に書いた「わさび」に対する「変わり薬味」である。必要以上に声が目立ってしまうなど、芝居にとっては毒にもなりうる劇薬のような側面があることは心得ておきたい。
◆大向うは誰でもできる
大向うは劇場公認の会員でないと掛けられないとの誤解もあるが、そんなことはない。芝居への愛と敬意(畏敬の念)があれば、誰が掛けても構わないものだ。
たとえば女性の掛け声には否定的な声もあるが、私は芝居に溶け込める声質でさえあるなら性別は関係ないと考えている。むしろ男性の声でも怒鳴り声や、チャリと呼ばれる悪ふざけのような掛け声は芝居を壊してしまうこともある。
要は見せ場や勘所を心得たうえで、役者と芝居を引き立てる「わさび」となれるかどうかがポイントなのだ。
20年以上前の話だが、ある芝居の見せ場で外国人女性が幕見席から「YES!」と叫んだことがあった。規格外にも程があるという大向うだが、驚くほど芝居に溶け込んで、客席の空気も壊れるどころか感動が深まったように感じられた。これはその人が心の底から感動を叫んだからで、これこそが大向うの原点なのだと教えてもらった大切な経験だ。
つまるところ、一番大切なのは「大好きな役者さんが輝く瞬間をお手伝いする」という思いと、「独りよがりになっていないか」と自問する理性の両立なのだと、私は考えている。
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おわりに
さて、基礎知識と言う割にはボリュームのある内容となってしまいましたが、お楽しみいただけたでしょうか。
いつか再び降るように大向うが掛かり、何の心配もなく芝居を楽しめる世界が戻ってきてくれることを信じて、私たち大向うは引き続き沈黙を守って参ります。
「ひょっとしたらこのまま……」という心配がないと言えば嘘になりますが、この客席文化をお客様も覚えていてくださるはずと願っています。