なぜ強い? バドミントン日本女子ダブルス その1
なにしろ、だ。各国から一線級が集う、BWFワールドツアー・スーパー500以上(昨年までのスーパーシリーズに該当)の大会で、永原和可那/松本麻佑(ナガマツ)が世界選手権を制したのをはじめ、日本勢は高橋礼華/松友美佐紀、福島由紀/廣田彩花、櫻本絢子/高畑祐紀子(サクタカ)ら、タカマツの3勝をはじめのべ7組が優勝。女子国別団体戦のユーバー杯も、なんと37年ぶりに奪回した。世界ランキングをながめれば、トップのフクヒロを筆頭にタカマツ、米元小春/田中志穂の3組がベスト5に並び、ナガマツとサクタカを加えて5組がベスト10に入っているのだ。
14年前のアテネ五輪は未勝利の女子ダブルス
ただ……振り返れば、わずか14年前。2004年のアテネ五輪では、出場2組とも初戦敗退を喫しているのだ。08年の北京五輪では、末綱聡子/前田美順がオリンピック史上初めてベスト4に進んでいるが、出場権を獲得した時点での世界ランキングは8位、ともに出場した小椋久美子/潮田玲子が7位にすぎなかった。だが、12年のロンドン五輪では藤井瑞希/垣岩令佳が初めて銀メダルを、16年リオ五輪ではタカマツが金メダルを獲得するなど、世界的には十両だった日本が、いまや急激に番付を上げ、横綱の実力を備えるまでになった。
北京から10年。男子単複、女子単も同じように力を伸ばしてきた日本のバドミントンだが、とりわけ女子ダブルスはそれが顕著だ。なぜ、ここまで強くなったのか。強くなれたのか。真っ先にあげられるのが、惨敗に終わったアテネ五輪後の04年11月、ナショナルチームに朴柱奉ヘッドコーチ(HC)を招いたことだ。バルセロナ五輪の男子複金メダル、世界選手権でも混合含む5回の優勝を誇り、母国・韓国では「ダブルスの神様」と呼ばれた名プレーヤーである。初の外国人として就任した朴HCは、就任会見でこう語っている。
「これまでの代表合宿では、期間が短い。何倍かの日数を、集中的に行っていきたい。また、小さい大会でポイントを取るよりも、5ツ星や4ツ星クラス(現在でいうスーパー500以上)の国際大会でベスト4〜8に入ることを目的に、ナショナルチームを運営します。そのために技術、戦術を含め、クオリティーの高い強化プログラムを実施していく」
『チリ積も』方式では強くならない
アテネをまたぎシドニー、北京と、3大会に出場した舛田圭太・現ナショナルチームコーチはこう語っていたものだ。
「そこまで、日本の五輪レース(当該年4月までの1年間で獲得したポイントによって世界ランキングを決め、それをもとに各国に出場枠が割り振られる)の戦略は、いわば"チリも積もれば"方式でした。グレードが下の大会で好成績を積み重ね、出場権を得る。ただそこには、一線級は出てこない。すると、たまたまうまく五輪に出られたとしても、大舞台で初めてトップ級と対戦することになります。それでは、勝てるわけがありません」
なるほど。そこまで十両相手に戦っていたのが、オリンピックでいきなり関脇、大関とぶつかったとしたら勝ち目は薄い。それが、日本勢の五輪不振の一因だった。
また、日本代表としての合宿の機会も、それまでは極端に少なかった。たとえばアテネ前年、03年のスケジュールを見ると、代表合宿は年間わずか4回にすぎない。国内の大会やリーグに力を入れたい各所属チームに配慮し、長い期間選手を拘束することを避けたせいであるだろう。たとえば、アテネ五輪に女子ダブルスで出場したある選手によると、
「当時の代表合宿は、海外遠征の直前に集合し、2、3日やるのがせいぜいでした。所属が別の選手同士で組んだら、合宿以外の練習といえば、お互いの企業間を行き来するしかないわけです」
確かにそれでは、なかなか強くなれない。だが朴体制になり、すぐに長期合宿を敢行すると、05年3月の全英オープンで女子単の廣瀬栄理子が日本勢18年ぶりに3位、男子単の佐藤翔治が30年ぶりの8強入り。そして4月のヨネックスオープンジャパンで3位に入ったオグシオは、10月には5ツ星(現在のスーパー750)のデンマークOPでも、日本勢初優勝を飾ることになる。
そう、現在の日本女子ダブルスの隆盛を語るとき、オグシオ前とオグシオ後というのが、ひとつのキーワードになる。(続く)