艱難辛苦に耐えたスターの言葉
セネガルのスターであり、アル・ナスルFCでクリスティアーノ・ロナウドの同僚としてプレーするサディオ・マネ(32)。
マネは1992年4月10日にギニア人の両親のもと、祖国のバンバリで誕生した。サッカー選手になるという夢に破れたマネの父は、息子がボールを蹴ることを禁じていた。7歳で父を失くしたマネは。15歳で故郷を飛び出し、ダカールに向かった。プロサッカー選手になるという夢を叶えるためだった。
2009年、セネガルのンブールに在籍していた頃、頭角を表し、2011年にフランスのFCメスでプロデビュー。その後、オーストリアのレッドブル・ザルツブルク、プレミアリーグのサウサンプトン、リヴァプール、ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンを経て、現在はアル・ナスルFCでナンバー10を背負う。
そのマネの年収は約1020万ドル。ある時、画面が割れたiPhoneを手に持つマネの姿を見たファンは、目の前の光景が信じられなかった。
が、マネの哲学は凡人には理解が及ばないものであった。セネガルの主力は語った。
「なぜフェラーリ10台だの、ダイヤモンドが散りばめられた時計20個だの、ジェット機2台が必要なのでしょう? それが世界に一体何をもたらすのでしょうか? 子どもの頃、私は飢えていました。汗水たらして畑仕事をしなければなりませんでした。靴も無く、裸足でストリートを走り回りました。学校にも通えませんでした。いや、行けなかったんです。
ですが今、私は他者を助けることができるようになりました。学校を建設し、教育を与え、貧しい人々に食べ物や衣服を届けたいと考えています。私は学校とスタジアムを建てました。私たちは極度の貧困にある人々に衣服、靴、食料を提供します。さらに、私はセネガルの非常に貧しい地域のすべての人々に、毎月 70 ユーロを寄付しています。
高級車、高級住宅、旅行、さらにはプライベートジェットなど、欲しいとも思いません。人生が私に与えてくれたものを、少しでも他者に分けていくことを望んでいます」
マネの言葉は胸に響く。今後、プレーで、あるいは生き方でサッカーファンの記憶に残る男なのだろう。フェラーリ10台、高級時計20個とは、チームメイトを揶揄しているようにも聞こえるが……。