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新卒一括採用の慣習は廃止すべきだ

前屋毅フリージャーナリスト

就職する年の春に学部を卒業する学生や大学院修了生を対象とする「新卒採用」が日本の企業社会では慣習化し、それが採用の主体となっている。そのため、新卒採用ができなければ就職活動が不利になるという状況が生まれている。結論から言えば、そんな慣習は止めてしまったほうがいい。

今年になって経済同友会が、大学生の就職活動で「新卒・既卒ワンプール制」を提言し、導入・定着を企業などに呼びかけているという。これまで卒業から1年以上が経てば「新卒」としては認められず、新卒採用の枠からはずされてしまっていた。

これを、学部卒業後5年以内の既卒者も新卒として認めようというのが経済同友会の提言である。新卒採用で失敗して浪人していても、新卒で就職しながら2年や3年で辞めてしまっての再チャレンジも、新卒として認められることになる。

一見、就職希望者に優しい制度のようにおもえるが、よくよく考えてみれば、「名ばかりの制度」になる可能性が高いことに気づく。

卒業後5年以内も新卒と見なすといっても、選抜段階で「ほんものの新卒」かどうか、簡単にわかってしまう。そうすると、「なぜ新卒で就職できなかったの?」とか「なんで2年で辞めることになったの?」と余計な勘ぐりをいれられかねない。

かつて出身大学による差別撤廃を掲げ、エントリーシートへ出身大学の記入を求めない企業が登場して注目されたことがある。しかし実態は、面接などの課程で出身大学が明らかにされ、それが試験結果に多少なりとも反映されていた。出身大学を問わない施策は、マスコミなどに注目されて知名度を上げることには役だったかもしれないが、採用の質には影響がなかった。

ワンプール制も、これと同じようなことになるだろう。話題になるかもしれないが、採用に質を変えることにはならない。

そもそも企業が新卒採用にこだわる理由は、「人材の囲い込み」にある。「可能性の高い人材」を、できるだけ多く囲い込むために、卒業したばかりの人間を競って採用しようとするのだ。

ただし、そこには前提がある。せっかく「可能性の高い人材」を囲い込んでも、手をかけて能力を引き出していかなければ、ただの宝の持ち腐れになる。そのため、企業では社員教育、特に新人教育には力をいれたものだ。

しかし、現在の企業には、そんな余力がない。もっといえば、人材教育の力に乏しい。それを隠す言い逃れが、「即戦力」だったりする。そんな企業に嫌気がさして、すぐに辞めていく新人も後を絶たない。宝の持ち腐れになっているのだ。だから、新卒採用しても意味がない。

教育する力、新卒、既卒にかかわらず有能な社員を育てられる。そんな企業は、中途採用も積極的に行っている。わざわざ卒業から5年経った人間を「新卒」と見なさなくても、中途採用すればいいだけのことなのだ。

新卒という慣習にしばられている企業は、人材を見抜く力も育てる力もないことを宣言しているようなものだ。そんな企業に就職しても、ロクなことにはならない。「いい就職」をしたいのなら、新卒採用にこだわらず「ほんものの採用制度」をとっている企業を選んだほうがいい。

ワンプール制を提言した経済同友会も、実は、新卒一括採用から通年採用への移行を唱えているという。プール制は、それに向けた中間的な提言なのだそうだ。

それならば、一気に新卒一括採用廃止を提言したほうがいい。プール制などと中途半端な提言は、混乱を招くだけだ。なにより、そんなまわりくどいことをやっていては、無駄な時間を費やすだけで、育つべき人材を育てる機会がどんどん失われることになる。プール制などより、どうやったら「人を育てられる企業」になる方法でも提言したほうが有意義ではないだろうか。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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