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関ヶ原合戦。徳川家康率いる東軍が短時間で西軍に勝利し、終結したのか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
関ヶ原。(写真:イメージマート)

 昨今の戦争は長期化しているが、人々の苦しみが大きいので早期の終結を望むところである。関ヶ原合戦は開戦すると、短時間で徳川家康率いる東軍が西軍に勝利し終結したというが、この点を考えてみよう。

 慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原合戦が行われ、徳川家康が率いる東軍が西軍に勝利した。勝利の決め手は、西軍の主力だった毛利輝元、小早川秀秋を東軍に引き入れたこと、島津氏、宇喜多氏が家中騒動で弱体化していたことになろう。

 ところで、関ヶ原合戦には多くの謎がある。合戦時の諸将の配置を正確に再現するのは困難で、今も議論が行われている。合戦の時間がどれくらい掛かったのかも、非常に難しい問題である。

 合戦の時間を記した史料としては、慶長5年(1600)9月17日付石川康通・彦坂元正連署書状(松平家乗宛「堀家文書」)が知られている。以下、要点を列挙することにしよう。

①9月15日午前10時頃(午の刻)、家康は関ヶ原で西軍との一戦に臨んだ。

②島津義弘、小西行長、宇喜多秀家は、関ヶ原に布陣していた。

③井伊直政、福島正則が先陣となり、東軍の諸将がそれに続いた。

④小早川秀秋、脇坂安治ら4人が西軍を裏切り、西軍はすぐに敗北を喫した。

 すぐに西軍が敗れたというのは、吉川広家自筆書状案(「吉川家文書」)、近衛前久書状(「陽明文庫所蔵文書」)にも書かれている。広家書状には、「即座に乗り崩し」という表現が見られる。

 笠谷和比古氏は、「即座に乗り崩し」とは勝利を収めたときの常套表現であって、実際にすぐに勝利したのか定かでないと指摘する。つまり、諸史料に書かれている「すぐに西軍に勝利した」という表現は、大袈裟に書いたものと考えて差し支えないだろう。

 実際のところ、今残っている史料から関ヶ原合戦がいつ開戦をしたのか、確定するのは難しい。同時に、いつ戦いが終わったのかを確定するのも難しい。何をもって(どの時点をもって)開戦あるいは終結とみなすのかという問題もあろう。

主要参考文献

笠谷和比古『論争関ヶ原合戦』(新潮社、2022年)。

白峰旬『新解釈 関ヶ原合戦の真実』(宮帯出版社、2014年)。

水野伍貴『関ヶ原合戦を復元する』(星海社新書、2023年)。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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