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サンウルブズ司令塔のトゥシ・ピシ。ジャパンに封じられたあの日を振り返る【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
サンウルブズの歴史的初得点は、ピシの先制ペナルティーゴールだった。(写真:ロイター/アフロ)

世界最高クラスの国際リーグであるスーパーラグビーに今季から初参戦する日本のサンウルブズは、同国代表チーム強化の下支えという使命を持っている。しかし司令塔であるスタンドオフのポジションは、大舞台で日本代表に苦しめられたトゥシ・ピシが務める。

身長183センチ、体重93キロの33歳。日本最高峰のトップリーグの強豪、サントリーで5年目、プレーしてきた。接点から出たパスを受け取れば、鋭いステップで守備網を切り裂く。開幕か約4週間前の2月に始動したサンウルブズにあっても、戦術略をチームに落とし込む「ストラテジーリーダー」の1人としてリーダーシップを発揮する。2月27日、東京・秩父宮ラグビー場でおこなわれたライオンズとの開幕節では、前半6分にペナルティーゴールでチーム史上初の得点を記録した。

しかし、サモア代表として出場した昨秋のラグビーワールドカップイングランド大会では、歴史的な3勝を挙げた日本代表を相手に沈黙する。10月3日、ミルトンキーンズのスタジアムmkで5―26と惜敗。サントリーのチームメイトを多く揃えるジャパンは、当時のピシのランニングコースを分析。ピシの真正面と左右にタックラーが並ぶよう、綿密に準備を施していた。ピシは持ち味を発揮できなかった。

今度のサンウルブズ入りを「まだ考えていない」とした11月24日、サントリーの本拠地である東京・府中市でワールドカップに関するインタビューに応じている。その言葉からは、サンウルブズの試合でピシが機能する条件を読み取ることができる。

以下、当時の一問一答の一部。

――まず、予選プールBの組み合わせについて。サモア代表、日本代表、南アフリカ代表、スコットランド代表、アメリカ代表の5チームでした。優勝経験があるチームは南アフリカ代表のみした。

「ほかのプールと見比べたら、もっとも平等な組だったと思います。一番強い南アフリカ代表がいて、それ以外はほぼ均等」

――現地入り後の準備は。

「現地では、メンタルを高め、フィジカルを少し整える程度です。全ての準備は来る前に終わっていたと思っています」

――周りの期待は大きかったサモア代表ですが、1勝3敗に終わりました。特に1勝1敗同士で臨んだ日本代表戦は、5―26で沈黙(10月3日、ミルトンキーンズ・スタジアムmkにて)。準々決勝に進むうえではマストウィンでしたが…。

「パフォーマンスは…だめだったかな、という感じはありました。特に日本代表は規律正しくプレーしてきた。その面では、我々は劣っていた」

――日本代表戦に向け、どんな準備をしていたのでしょうか。

「自分たちがどうプレーするかをイメージして、それをしようとしていました。ジャパンがずっとボールを持って、我々を走らせようとしている。それは、わかっていた。私たちはフィジカルの強いチーム。ジャパンのストラクチャーの分解を目指していました。ただ…実際にジャパンは凄かったです」

――相手が自分たちを丸裸にしていたような印象は。

「間違いないと思います。分析されていました。もちろん、エディー(ジョーンズ前ヘッドコーチ)がいたので。エディーのいるチームには、そういう体制ができていると思いました」

――どんなところで、やりづらさを感じたましたか。

「試合の早い時間帯で、自分たちの方向性でプレーできなかった。向こうのやることがハマっていて、こちらはアタックすることすらできなかった。最初の20~30分で2回くらいしか攻めるチャンスがなくて、それも、意図通りのものではなかった。守るばかりで、ボールを持つことができなかった」

――ボールを持った瞬間、上手く走れない感覚はありましたか。

「それはなかったですが…とにかく我々のミスが多かった」

――日本代表のタックルは、鋭かったですか。

「タックルというより、組織としてのディフェンス力が優れていました。戦略的にしっかりしていた」

――かたや、守っているサモア代表は反則を繰り返しました。

「相手にボールを持たせ、素早い攻めをさせてしまったのが原因だったと思います。相手の動きが速く…(立ち遅れた選手が反則を犯した)」

――試合後、サントリー所属の日本代表選手と話し合ったようですね。

「僕の知っている皆と。彼らがすごく頑張ったなと思ったので。試合が終われば、敵も味方もない」

――現地時間の10月10日。サモア代表がスコットランド代表に勝てば、日本代表の準々決勝進出が見えてくる状況でした。場所はニューカッスルのセントジェームズパーク。結局は33―36で敗れますが、前半は26―23でリードしていましたね。

「あの試合は、自分たちのベストパフォーマンスでした。自分たちがやりたいと思った試合展開ができた。あの日は、何より自分たちが勝ちたいと思っていました。ただ、勝てなかったことで、日本代表がそうしたステージへ行けなかったことも残念でした」

――国内最高峰のトップリーグでは持ち前のきれを披露。イングランドから帰国後、マインドチェンジはどうされたのでしょうか。

「すぐに気持ちを切り替えなければ、と思っていたのです。2011年を終えた後は、サントリーのラグビーへ戻るのに時間がかかった。ワールドカップは、自分の気持ちが高まって緊張をする。サントリーでは、居心地がいいこともあってすぐ切り替えができた」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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