Yahoo!ニュース

<朝ドラ「エール」と史実>「一歩引いて先生の邪魔をしないように」実在の“古関裕而の弟子”はどんな人?

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

ついに朝ドラ「エール」の放送が再開しました。NHKの発表によれば、10日(2週間)分カットされるらしく、どの部分がそうなるのか気になるところですが、まずは素直に再開を祝おうと思います。

さて今週は、弟子の田ノ上五郎が出てきました。公式サイトでは、「茨城出身。古山裕一の曲が大好きで、裕一に弟子入りしたいと願いでる。裕一と同じように小山田先生の作曲入門を読んで作曲を学んだ」とされています。

このままではないですが、大作曲家であった古関裕而にも、もちろん弟子はいました。

「これがあの“船頭可愛いや”の作曲家の書斎? うそ!?」

そのなかで、もっとも多くの証言を残しているのが、1968年より5年間、書生を務めた桜井健二です。桜井は、はじめ古関の書斎を見て、大いに驚いたといいます。そこには、流行歌ではなく、クラシックの楽譜が大量に積まれていたからです。

先生の書斎には無数のクラシックの関係の楽譜、書籍が積まれていた。私が最初に書斎に足を踏み入れた時、「これがあの“船頭可愛いや”の作曲家の書斎? うそ!?」と思ったほどだった。バッハ、モーツァルトからストラヴィンスキー、ウェーベルンまでなんでもあろうが、古関先生にとっては人を感動させるための基礎的な勉学に区別はなかった。

出典:桜井健二「もうひとりの古関裕而先生」『花も嵐も』1996年5月号

よく知られるように、古関は作曲のときに楽器を使いませんでした。頭のなかだけで作曲していたのです。ですから、その書斎は「1日じゅう静寂そのもの」。古関自身も寡黙でした。「めんどくさいからね」といって、過剰な会話を避けていたそうです。

「なんでも音楽を聴いてそれを楽譜に書けるようにも訓練しておかなきゃね」

桜井も、ドラマと違って、「いつも一歩引いて先生の邪魔をしないように」努める控えめな弟子でした。

もっとも、音楽の指導を受けていなかったわけではありません。あるとき、桜井が古関と一緒にタクシーに乗っていたときのこと。ラジオから軽音楽が流れてきました。桜井がラジオを消してもらおうかと悩んでいたところ、古関が突然口を開いたといいます。

「桜井君、今流れている音楽ね、このコード進行分かる? なんでも音楽を聴いてそれを楽譜に書けるようにも訓練しておかなきゃね……」

出典:上掲記事

古関自身も、福島商業学校時代に、目の前で流れるレコードの曲をすらすらと採譜して見せて、周囲を驚かせていますから、これは実践的なアドバイスだったのでしょう。

なお、桜井はのちに、東京交響楽団のライブラリアン、日本マーラー協会事務局長、日本演奏連盟事業課長、福島市古関裕而記念館顧問などを務めました。

田ノ上五郎は戦時下にも活躍する?

古関自身が言及している弟子には、土橋啓二がいます。太平洋戦争の末期には、土橋の母が、福島に疎開した古関家に代わって、その留守宅を守ってくれていたそうです。

留守宅は、弟子の土橋啓二君の母上が守ってくれた。土橋君も兵隊になっていたが、「そのうち兵役解除で戻るだろうから心淋しいだろうがお願いする」と土橋君の母上に、よく留守を頼んで福島へ戻った。10時間もかかった。

出典:古関裕而『鐘よ鳴り響け』

ドラマに登場した田ノ上五郎は、こうした弟子たちの人格を合成して作られたのではないかと思います。以上のようなエピソードがあることですから、戦時下にも活躍するかもしれません。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

辻田真佐憲の最近の記事