<朝ドラ「エール」と史実>「一歩引いて先生の邪魔をしないように」実在の“古関裕而の弟子”はどんな人?
ついに朝ドラ「エール」の放送が再開しました。NHKの発表によれば、10日(2週間)分カットされるらしく、どの部分がそうなるのか気になるところですが、まずは素直に再開を祝おうと思います。
さて今週は、弟子の田ノ上五郎が出てきました。公式サイトでは、「茨城出身。古山裕一の曲が大好きで、裕一に弟子入りしたいと願いでる。裕一と同じように小山田先生の作曲入門を読んで作曲を学んだ」とされています。
このままではないですが、大作曲家であった古関裕而にも、もちろん弟子はいました。
「これがあの“船頭可愛いや”の作曲家の書斎? うそ!?」
そのなかで、もっとも多くの証言を残しているのが、1968年より5年間、書生を務めた桜井健二です。桜井は、はじめ古関の書斎を見て、大いに驚いたといいます。そこには、流行歌ではなく、クラシックの楽譜が大量に積まれていたからです。
よく知られるように、古関は作曲のときに楽器を使いませんでした。頭のなかだけで作曲していたのです。ですから、その書斎は「1日じゅう静寂そのもの」。古関自身も寡黙でした。「めんどくさいからね」といって、過剰な会話を避けていたそうです。
「なんでも音楽を聴いてそれを楽譜に書けるようにも訓練しておかなきゃね」
桜井も、ドラマと違って、「いつも一歩引いて先生の邪魔をしないように」努める控えめな弟子でした。
もっとも、音楽の指導を受けていなかったわけではありません。あるとき、桜井が古関と一緒にタクシーに乗っていたときのこと。ラジオから軽音楽が流れてきました。桜井がラジオを消してもらおうかと悩んでいたところ、古関が突然口を開いたといいます。
古関自身も、福島商業学校時代に、目の前で流れるレコードの曲をすらすらと採譜して見せて、周囲を驚かせていますから、これは実践的なアドバイスだったのでしょう。
なお、桜井はのちに、東京交響楽団のライブラリアン、日本マーラー協会事務局長、日本演奏連盟事業課長、福島市古関裕而記念館顧問などを務めました。
田ノ上五郎は戦時下にも活躍する?
古関自身が言及している弟子には、土橋啓二がいます。太平洋戦争の末期には、土橋の母が、福島に疎開した古関家に代わって、その留守宅を守ってくれていたそうです。
ドラマに登場した田ノ上五郎は、こうした弟子たちの人格を合成して作られたのではないかと思います。以上のようなエピソードがあることですから、戦時下にも活躍するかもしれません。