「ゴロフキンは化け物でした」元日本王者・淵上の挑戦が残した八王子中屋ジムの原点
史上最長タイの17連続KO防衛という驚異的な記録を持つ世界ミドル級の帝王、ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)。過去にWBA、WBC、IBFの世界ミドル級タイトルを手にし、38歳になった今でもIBF王座を保持するゴロフキンは、現代屈指のスーパースターとなった。
そんな最強王者に敢然と挑んだ日本人ボクサーがいる。2012年5月12日、元日本王者で、東洋太平洋ミドル級王者でもあった淵上誠(八王子中屋ジム)が当時WBA王者だったゴロフキンに挑戦。淵上は3回1分17秒で痛烈なTKO負けを喫し、カザフスタンの怪物の強さを思い知らされることになった。
“レジェンド”のKO記録の中に刻まれているこの試合は、八王子中屋ジムの現会長で、当時はプロモーターだった中屋一生氏の奔走によって実現した一戦だった。今回、ウクライナのキエフ州で開催されたタイトル戦に至った過程を、中屋氏に振り返ってもらった。その言葉からは、“生き物”と呼ばれるボクシングの交渉のリアルな姿が浮かび上がってくる。
前編 ゴロフキンが日本人と戦った試合はどう実現したのか。中屋一生氏が明かす交渉の舞台裏
歯をへし折るほどの強打
ーーついに世界戦挙行となったわけですが、2012年5月12日に開催されたタイトルマッチ前後、実際に顔を合わせたゴロフキンの印象は?
IN : 淵上本人も言ってましたが、まず人間として、素晴らしいパーソナリティを持ったジェントルマンでした。世界王者とはこうあって欲しい、と感心するような選手。物腰は柔らかく、本当に紳士的でした。ただ、公開練習でシャドーを見て、「やっぱり強い。淵上はどれだけやれるかな」とは思いました。リング上のゴロフキンからはオーラというより、圧を感じましたね。
ーー付け入る隙を見つけるのは難しいと思いましたか?
IN : 強さを感じた一方で、減量には苦労しているんじゃないかなとも思いました。ゴロフキンは「5回以内に終わらせる」とメディアには話していたんですが、僕たちは早く終わらせたいだけなんじゃないかと勝手に解釈してました。これは後でわかったことなんですけど、実際には淵上は「仮想セルヒオ・マルチネス」ではなく、この日に対戦する相手がなかなか見つからず、ぎりぎりになって選ばれた対戦者でした。決定から本番まで日がなかったので、ゴロフキンも調整不足なんじゃないかなと。一方、淵上は前の試合でほとんどノーダメージだったので、コンディションは上々。そんな背景もあって、「何かを起こせる」という期待感を持って臨んだんです。
ーーしかし、蓋を開けてみれば、2、3ラウンドにダウンを奪われ、TKOでの完敗でした。この試合を振り返って、どんなことを思い出しますか?
IN : 淵上の初回の入りは良かったと思います。パンチも多少は当たっていましたが、5回以降が勝負だと思っていたので、まずは当てるよりもしのぐのが目的でした。ただ、初回の残り10秒くらいでフックをもらい、淵上は眉を切ってしまった。淵上がカットしたのはあれが初めてで、出血は目に入るくらい深いものでした。
ーーあの出血以降、戦況は一気に悪い方向に進んで行きました。
IN : 淵上のボクシングの長所は、くねくねと動けるところ。おかげで相手はパンチを打っても手応えがなくて、本人が思っている以上に消耗させられるんです。ゴロフキンもそのパターンで焦らせられればと思っていたんですが、目を切ったことでプランは吹き飛びました。血が流れ、その後もガンガン攻めてこられたので、淵上はこれまでで一番というくらい距離が取れませんでした。その結果、身体がほぐれる前にパンチを芯でもらってしまい、3ラウンドに力尽きたという感じです。
ーーボクシング動画配信チャンネルの「A-SIGN BOXING」でも話してらっしゃいましたが、ゴロフキンのパワーはやはりすごく、試合後のリングに淵上選手の歯が落ちていたというのも象徴的なエピソードですね。
IN : あれも印象に残っています。ゴロフキンのパンチで歯が2、3本抜け落ちて、同行したうちのジムのマネージャーが拾ってくれたんです。
日本人ライバルは全員倒してから海外へ
ーー現場の人間として誤算があったとすれば、やはりカットでしょうか?
IN : 第1ラウンドもあと10秒くらいだったと思います。そこで目を切ったパンチさえもらわなければ、初回さえ乗り切れていれば、としばらくずっと思っていました。あと、カットマンを現地に連れていかなかったことを後悔もしました。優秀なカットマンの先生がいたんですが、予算がギリギリだったこともあって、同行してもらえなかったんです。そういった後悔がずっとあったんですが、その後、ニューヨークでゴロフキンがガブリエル・ロサド(アメリカ)と戦った試合で、ロサドが血塗れになっているのを見て、「ああ、そういうことか」と気持ちがすっと落ち着きました。ロサド戦を見て、「あの切れるパンチは偶然ではなかったんだ」と思ったんです。
ーーもともと勝機のないミスマッチだったという批判について、言っておきたいことはありますか?
IN : 日本に戻った後、記者さんたちに囲まれた時にも「ミスマッチだったんじゃないか」という質問はされました。その時に、僕は「言い訳だと思われるかもしれませんが、みんなに覚えておいて欲しいんです。淵上が戦った相手は想像以上の化け物でした」と話したんです。初めての世界戦ではあったんですけど、戦ってみて、ゴロフキンは普通のチャンピオンではなかったという確信はありました。その時点で、パウンド・フォー・パウンドでも上位に入っていたセルヒオ・マルチネスよりも確実に強いと思いました。だから、その後にゴロフキンがアメリカで旋風を起こしても驚きはありませんでした。以降、僕たちの中の“世界の基準”もゴロフキンという高いレベルになったんです。
ーーあの試合後も、チャーリー太田選手、荒川仁人選手と、八王子中屋ジムの選手たちは海外での挑戦を続けましたね。
IN : もともとうちの海外進出のきっかけは、スーパーフライ級で新人王になった野崎雅光が2011年4月にカネロ・プロモーションズと共同契約を結んだことでした。海外の会社との共同プロモーションは、日本人選手では野崎が初めての例だったんじゃないかなと思います。その後、メキシコでの野崎のキャンプには荒川も連れて行き、カネロがアルフォンソ・ゴメス(メキシコ)と対戦する際にはチャーリーがスパーリングパートナーを務めたりもしました。野崎、荒川、チャーリー、淵上という4選手の道のりはすべてが結びついていたような気もします。
ーー世界王座には辿り着けませんでしたが、一連の挑戦の中で中屋ジムの選手たちは存在感は示していたと思います。
IN : ちょうど東日本大震災の後だったこともあって、誰かに言われたわけではないんですけど、僕たちが日本を代表する気持ちで海外に乗り込んでいました。日本を代表するわけですから、まず日本人の相手は全員倒してから海外に行こうというのが父と僕の間の決め事でした。それは実行できていたと思います。
ーー淵上選手の挑戦にも、八王子中屋ジムの思いが込められていたんですね。
IN : 淵上のボクシングを通じて、日本のボクシングを見せたいという気持ちもありました。淵上はアマチュアでは5勝7敗で、プロでもデビュー戦は負けて、以降も勝ったり負けたり。そんな選手がミドル級で世界挑戦まで漕ぎ着けるなんて、日本人しかできなかったと思います。この国のボクシングは、特別でなかったものが特別になれる可能性がある。そういった意味で、淵上には日本ボクシングの良さが詰まっていると考えたんです。だからこそ、彼の良さをもっと見せたかったという思いもあります。残念ながら結果で示すことはできませんでしたが、そこでの悔しい気持ちは、以降の挑戦にも繋がっていると思っています。
中屋一生
●プロフィール
東京都生まれ。5年のNY生活、2年の世界旅行、プロモーターを経て、現在、八王子中屋ジム会長を務める。趣味はポスター、バナー制作。
中屋氏よりメッセージ
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