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変わったものと変わらないもの、挑戦者・五郎丸歩の夢「自分への期待はまだまだある」

浅野祐介ウォーカープラス編集長
撮影=薮内努(TAKIBI)

 2015年のラグビーワールドカップで、初の1大会3勝を挙げ、過去最高の成績を収めたラグビー日本代表。1次リーグ初戦でワールドカップ優勝2度の実績を誇る南アフリカから勝利を挙げるなど、日本で大きな話題を呼んだことは、まだ記憶に新しい。

 

 あれから約2年半。同大会で中心選手として活躍した五郎丸歩選手に話を聞く機会があった。サッカー少年でもあった幼少期のこと、「正直、出たくないと思っていました」と振り返る代表デビュー戦のこと、2015年ワールドカップのこと、海外挑戦で手に入れたもの、2019年に同ワールドカップ、2020年にオリンピックを控える日本のスポーツ界のこと、そして、これからの夢を語ってもらった。

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とにかくやんちゃで、負けず嫌いだった少年時代

――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。

五郎丸「強制です(笑)。3歳から始めたので自分の意志ではありませんでした。近くにラグビーチームがあって、親がラグビー好きだったので、ある意味、強制ですね(笑)。兄が二人いて、その二人と一緒にラグビーをしていました」

――ラグビーを始めたころの記憶はありますか?

五郎丸「ラグビーの格好はしていましたが、横の草むらでバッタを追いかけていましたね。小さいころからとにかく負けず嫌いだったのと、体全部を使ってプレーするところが自分には合っていたのかなと思います。兄たちに鍛えられて運動神経は磨かれていました。1歳年上の兄とはしょっちゅうケンカばかりでした。同い年の友達と遊ぶより兄たちと遊ぶのがほとんどでしたね」

――当時から身体は大きかったんですか?

五郎丸「小さいころから身長は高かったです。背の順はだいたい一番後ろか、後ろから二番目ぐらいでした」

――小学校4年生からサッカーを始めましたが、身体も大きいし、周りから期待もされたのではないですか?

五郎丸「いやー、期待はどうですかね。ラグビーをやっていたこともあって、人にあたりにいくのが全然怖くないというので、監督からはなぜかGKのポジションを与えられましたね」

――サッカーを始めたきっかけは?

五郎丸「Jリーグに流されました(笑)。通っていた小学校にはラグビーチームがなくて、土日だけクラブチームに通っていたんですね。当時はJリーグ開幕で盛り上がっていたので、平日は仲の良かったメンバーとグラウンドでサッカーをしたり、Jリーグチップスを買いにいったり。そういう流れでサッカーに引かれましたね。サッカーを始めるときは、家族みんな反対だったんですが、じいちゃんだけが賛成してくれたんですよね。じいちゃんはいろいろなスポーツが好きで、いろいろなスポーツをよく見ていて、五郎丸家はみんなラグビーしかしていなかったから『違うスポーツをやってみてもいいんじゃないか』という考えがあったんだと思います」

――ラグビーの経験が生きたところは?

五郎丸「対人はやっぱり強かったですね。ただ、器用じゃないので、根性じゃどうにもならないもどかしさはありましたけどね(笑)」

――当時からキックの片りんは?

五郎丸「キックだけは飛びましたね。後ろのポジションは結構やりました。ただ、器用じゃないんで、中盤は少なかったです(笑)」

――小さいころはどういうキックの練習をしていたんですか?

五郎丸「小学校の校舎が4階建てだったんですけど、誰が最初にボールを(校舎の)上に乗せられるかを、ずっとやってましたね」

――先生に怒られるやつですね(笑)。

五郎丸「怒られましたね(笑)。とにかくやんちゃでした」

――子どもの頃に憧れていた選手は?

五郎丸「カズさんでしょ、やっぱり。わかりやすいというか、プレーもそうですし、点を決めた後のカズダンス、みんなやってましたよね。僕もずっとやってました」

「結果は出る」と思っていた2015年のワールドカップ

――日本代表のデビュー戦は2005年のウルグアイ戦ですが、そのときのことは覚えていますか?

五郎丸「よく覚えています。緊張というより、もうわけがわからないという感じで。U19のセレクション合宿で南アフリカにいたんですが、『南アフリカから一人でフランスに来い』っていうんですよ。いやいや自分19歳ですよって(苦笑)。結局、一人で南アフリカで国内線を乗り換えて、パリまで行きましたよ。そのときロストバゲージでカバンがアメリカに行っちゃって、そのまま。もう一生、出てこないでしょうね(笑)」

――代表デビュー戦、メンタル的にはどんな状態だったんですか?

五郎丸「不安定です(笑)。試合は正直、出たくないと思っていました。体のサイズがまったく違うし、経験も全然違うので、チャレンジャーとかそんなかっこいいものじゃなかったです。『やってやる!』みたいな気持ちは本当に全然なくて(苦笑)、ベンチスタートだったんですけど、最後に交代で出るとなったときは『マジかよ!』って普通に思いました。『ボール来るなよ!』って感じで、かなりネガティブでしたね。当時は19歳ですし、自信がなかったんだと思います」

――2015年のワールドカップでは世界を驚かせて、日本中もラグビー一色になりました。今、振り返ってみてどう思いますか?

五郎丸「今までやったことない練習量をやったので、悔いは一つもなく、やりきった感はありました。世間が騒いでいるのが逆に不思議で、自分たちはやってきたという過程を全部わかっているから、これで結果は出るよねという感じだったので。日本に帰ってきて浦島太郎状態でした(笑)」

――あれだけの注目を集めた後、自分の中で変わったものはありましたか?

五郎丸「僕はラグビーに育てられたと思っているので、この注目が集まっているときにどれだけラグビーを伝えられるかというのはすごく考えました。あのときは本当にTwitterにものすごく反響があったので、これはTwitterを使うしかないなと。誤字脱字には気をつけていました。間違っていたりすると『こいつアホだな』って思われるでしょ(笑)」

――ラグビー界だけでなく、他のスポーツ界にも影響を与えるような内容だったと思います。

五郎丸「日本人は外国人に対してすごくコンプレックスがあると思うんです。どうしても日本人は体が小さいという認識があります。でも、体が小さいということから逃げていたら勝てない。逃げないで戦うということを形にできたのは良かったことだと思います。これからラグビーが日本人にどういうメッセージを出せるかは楽しみでもありますね」

2019年、2020年は通過点。その先のビジョンが大切

――2019年、2020年と日本で世界的なスポーツの祭典が開催されることについてはどう感じていますか?

五郎丸「2019年、2020年は通過点だと思っていて、そこにばかりフォーカスするだけでなく、その先で日本のスポーツ界がどうなっていたいのか、それが大切だと考えています。その先のビジョンを示してくれる人が出てきてくれればいいなと思っていますね。日本全体として、スポーツの捉え方を大きく変えられるチャンスですし、2019年と2020年は“手段”かなと思っています」

――五郎丸選手の考えは?

五郎丸「今は一般の方がスポーツしようとしても簡単にはできない環境じゃないですか。スポーツをするとしても自分の身体を鍛えるとか、健康を維持するとか、でも、スポーツの良さってそこだけじゃないと思うんですよ。人とのつながりだったり、人を思いやる気持ちだったり、そういうスポーツの魅力をたくさんの方が体験できるような、そういう環境を形にしていきたいなと思っています」

五郎丸「それから、子どもたちが海外のようにスポーツを選べる環境をつくれたらと考えています。海外ではシーズンによって、プレーするスポーツをわけたりするんですよね」

――そうなんですね。具体的にはどのようになっているんでしょうか。

五郎丸「暖かいうちはラグビーをやるけど、寒いときは他のスポーツをやるという選択ができるんです。海外にはいろいろな経験を積んでプロになる選手が多い。そういう子たちのほうが人生の捉え方も、大きく視野が広がるんじゃないかと思うんです。今の日本のスポーツ界って、例えば最初に野球チームに入ったら、ずっと野球だけやるという環境じゃないですか。そうじゃないとなかなか活躍もできないし、その先もないという。そういう環境は変えたいですね。海外では他のスポーツも一緒にできるし、選べるから一つのスポーツに対して飽きなくなるんですよね。シーズンが2つにわかれているので。いろいろな人との出会いがあるんですよ。僕もサッカーをやってなかったら、ラグビー選手としてここまで来ていなかったと思う。キックも蹴ってないし、あの変な構えもしていないだろうし(笑)。パフォーマンスだけじゃなくて、ラグビー選手からの視点とサッカー選手からの視点との2つを持つことができたので、それがすごく良かった。海外では2つやる人が本当に多いんです。日本もそういうふうになっていけばいいと思います」

撮影=薮内努(TAKIBI)
撮影=薮内努(TAKIBI)

“受け止められる力”は日本人にしかない

――ワールドカップ後は海外移籍も経験しました。海外でプレーしてみて日本との違いはどういうところに感じましたか?

五郎丸「日本の場合はトップの人がやりたいことを選手が愚直にやり続ける。自分に求められたことをやり続けて、その個人のピースがはまっていって、ひとつのパズルが完成するというイメージ。それが日本のスタイルだと思うんです。でも海外の場合、自分がこうしたいとか、こういう選手になりたいんだという自分の意志が選手個々にすごくあって、トレーニングメニューひとつにしても『俺はこうしたいんだ』とディスカッションできる。そういう力は日本人には今はないかなと。海外では簡単にいうと自主性というか、どんどんアピールして、伝えていかないといけない。待っているだけじゃなにも来ない。自分からコーチたちにコンタクトしていかないと『この選手はやる気がない』と思われる。でも日本の場合監督に歩み寄っていくと媚を売っているというか、そういう感覚にもなるじゃないですか。そこの大きな違いはありますね。日本人的にはコーチに『逆に何してほしいの?』とか、『なんで理解しようとしないの?』ということになるじゃないですか。でも海外のヘッドコーチは選手がこうなりたいからサポートするという感じです。日本の選手は受け身ですよね」

――そのやり方は日本でも徐々に変わっていくのでしょうか?

五郎丸「僕の中でも、その答えは全然見つかっていないです。先日、今治に行って、岡田武史さんと会ってきたんです。日本人は言われたことをやれる選手が多い。それだけじゃダメだよねって話もあったのですが、でも僕はエディ(ジョーンズ)のときも経験しているので、日本人って“受け止められる力”がすごくあると思うんですよ。違う言い方だと“耐える力”というか。それは海外の選手には絶対にない。自分の意見のほうが強いから。“受け止められる力”というのは、日本人にしかないと思うし、だからそれは日本人の強みじゃないんですかっていう話を岡田さんとしました。結局そのときも答えは出ていないんですけどね。だから国内でやるときと海外でやるときの違いを理解して、どっちの力も持てるような選手が出てくればいいですよね。そこは比率だと思います。受け止める力と自分を発信する力の比率が違うというだけで、両方できれば素晴らしいですよね。でも、そんな選手いるのかなって思います(笑)」

――ラグビーの観戦スタイルについてはどうですか?

五郎丸「国によって雰囲気が全然違いますね。イングランドは試合中はすごく静かで、いいプレーがあったときに一斉に沸く、という感じです。玄人が集まっていて、紳士のスポーツでもあるので、キックするときも誰もブーイングしないような環境です。フランスはうるさいですね。ラッパを吹いたりとか。オーストラリアはラッパとかは鳴らさないけど、ブーイングはあります。国によって本当に違いますね」

――日本はいかがですか?

五郎丸「日本のラグビーの観戦スタイルはイングランドに寄せていこうとしているんですけど、それだと玄人は好むけど、若い人やライト層の方は好まないというか、入りづらいところもあるじゃないですか。日本独自の観戦スタイルが自然とできあがっていくのがいいなとは思っていますけどね」

――日本のラグビーファンを増やしていくには?

五郎丸「観戦マナーとしては、日本人はイングランド寄りにいくのがあっていると思います。でもそれだけだと、玄人はまだ割合として少ないので、アメリカのようなエンターテインメント要素も欲しいですよね。そのエンターテインメントをつくるのが試合の前後だったり、『来て良かったな』って満足度を高めて帰ってもらえるような演出をラグビー界としてやっていったら面白いんじゃないかなと思います」

撮影=薮内努(TAKIBI)
撮影=薮内努(TAKIBI)

五郎丸歩が抱く「これからの夢」

――五郎丸選手にとって、これまでの一番のチャレンジはなんですか?

五郎丸「やはり海外挑戦ですね。もともと海外に行きたいという思いは全然なかったんです。日本はご飯は美味しいし、芝生はキレイだし、生活するのに何も不自由しないじゃないですか。でも、2015年のワールドカップが終わったときに自分の中でなんか目標がなくなっちゃって、いろいろ考えていたんですが、そのときにレッズとRCトゥーロンからオファーが来て、『うーん、行くか!』ぐらいの感じだったんです。目標ないし、とりあえず行って感じてまた自分のなかで目標ができたらいいなと思って」

――オファーが来たときはうれしさとか、または自信になったりというのはなかったんですか?

五郎丸「いやいや、全然そんなのはなかったですよ。うれしいなんて思いませんでした。『海外に行ってどう生活しようか?』みたいに考えることのほうが多かったです。小さいころから海外でプレーすることに憧れていたら喜んで行くんでしょうけど、海外ラグビーも全く見なかった人だから。でも海外に行っていい経験を積めたと思います」

――3月で32歳になりました。20代の頃と変わってきているところはありますか?

五郎丸「まだ自分の中では25歳くらいだと思っています。トレーニングの量も変わらないですし、身体への不安もない。自分自身への期待もまだまだあります。ただ、年齢を重ねてくると、精神論になってきますよね。自分をいかに律することができるか、とか、人にどういう影響を与えることができるか、とか。視野が広がったというか、求められるもの変わってくるし、僕は海外を経験して、とくにフランスのチームでは超一流の選手ばかりを間近で見てきたんですけど、彼らはみな人間力がすごく高い。自分が最終的にたどり着かなきゃいけないところはこういうところなんだろうな、という課題をもらいました」

五郎丸「海外から帰ってきて周りから『すごく変わったね』って言われます。チームメートともコミュニケーションを取る機会が増えました。あとは、以前は若い選手と大きい壁があったような感じだったんですが、それもなくなりました。でも、それは僕が自分で思っていることなので、若い選手からみたらどう思われているかはわかりませんけどね(笑)」

撮影=薮内努(TAKIBI)
撮影=薮内努(TAKIBI)

――五郎丸選手は、スポーツの本来の魅力はどんなところにあると思いますか。

五郎丸「裏表がないところでしょうね。『このために犠牲になってるからこうしてくれよ』というのがないというか。たとえば普段の生活では『自分がこれだけ仕事をしたからこれだけ対価をくれ』ということもあると思いますけど、そういうものがスポーツの中にはあまりないかなと思っています。純粋にものごとをやっているというか、人として純粋に立てているというか、その純粋さが魅力だと思います」

――将来トップアスリートを目指す子どもたちにメッセージをお願いします。

五郎丸「夢はでかく持ってほしいです。僕も海外でプレーしたいと思って小さいころからやっていれば、プレーしたときにもっと大きな感動があったと思いますし、絶対に手が届かないような目標を立てて、そこまで行こうとするプロセスと、目標がすごく下にある人との歩み方、プロセスは全然違うものになります。そのときに感じるものは全然違うと、今になってこそそう思います」

――一流の選手はチャレンジ精神を持っていると思います。チャレンジ精神が育つにはどうしたらよいのでしょうか

五郎丸「迷わずいくことですよね。とりあえずやっちゃう。子どもの頃ってあんまり迷わないじゃないですか。つまり、迷わないのが普通で、それが人間の本能なんですよ。でも歳を取れば取るほど言い訳をして、目標が下がったり、チャレンジする機会を逃したりしちゃう。だから、とりあえずやっちゃうこと。やれば失敗しても成功しても得るものはあります。考えすぎないで子どものときの心に戻ればいいんだと思います。凄くシンプルなことですよね」

――夢はでかく、ということですが、五郎丸選手の夢について教えてください。

五郎丸「僕はなんの取り柄もなかったんですけど、ラグビーという競技を続けていろいろなものを感じさせてもらったり、いろいろな経験をさせてもらいました。だからそういう経験ができる子どもたちを増やしていきたいという夢があります。仮にトップになれなくても、いろいろな競技に挑戦できる環境をつくれるようにしたいと思っています」

 夢はでかく持ってほしい。子どもたちへのメッセージを聞くと、その言葉にひときわ力がこもった。「人間力」という言葉で「自分が最終的にたどり着かなきゃいけないところ」を表現した五郎丸選手の、これからの歩みに注目したい。

ウォーカープラス編集長

編集者/KKベストセラーズで『Street JACK』などファッション誌の編集者として活動し、その後、株式会社フロムワンで雑誌『ワールドサッカーキング』、Webメディア『サッカーキング』 編集長を務めた。現在は株式会社KADOKAWAで『ウォーカープラス』編集長を担当。2022年3月にスタートした無料のプレスリリース配信サービス「PressWalker」では、メディアの観点から全プレスリリースに目を通し、編集記事化の監修も担当。

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