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2023年以降、価値ある食体験はどう変わるのか。

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト

変わり続けてきた食体験の価値

人の羨むような食体験、価値ある食体験は時代によって変わり続けてきました。

終戦後の1940年代~1960年頃まではお腹いっぱい食べること、つまり「量」こそが価値でした。

「外食元年」と言われる1970年以降は「外で食べること」が価値になりました。家庭のレシピも現代ほどの充実は見られなかった時代に、家では食べられないような食事を飲食店に求める潮流が大きくなっていきます。ファミリーレストランやファストフード店、百貨店の食堂街で家族が団らんする価値となりました。

1980年代のバブル期以降は「流行食」を食べることに価値が見出されました。いわゆる「イタ飯」が典型例で、呼称としてのスパゲッティのパスタ化が進み、ティラミスが爆発的な人気を獲得します。スタイルや高級感など、料理や食事に「おいしい」以外の付加価値が加わり、バブルが膨張するとともに必要以上に「贅」を尽くすような食へと展開されていきます。

1990年代に入るとバブル崩壊の影響や道交法改正で酒気帯び運転が厳しく身近で廉価なスイーツに注目が集まります。ティラミスに続く勢いでパンナコッタ、ナタデココなど人気スイーツのすそ野が一気に広がりました。

2000年代には食中毒事件やBSE、食品偽装に口蹄疫など、食材レベルで信頼を失うような事件が続き、外食も含めて食に対する逆風が強くなった時期でもありました。

その後、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災、2019年の新型コロナという景気が打撃を受ける時期には食も停滞期を迎えますが、見かけ上の売上が伸びない停滞期に生き残った飲食店は必ず強靭になっています。獲得した強靭性は、世情が好転すれば「質」の向上へとつながります。

2000年代からはフランスやイタリアなどに修業に出たシェフが帰国しては、長く現地で愛されたコシの強い食を持ち込みます。それこそが昨年流行語大賞にノミネートされたガチ中華に象徴される辺境料理の隆盛の礎となりました。移動ままらなないこの数年でしたが、何千、何万キロ離れていたとしても、その距離を一瞬で縮めることができるのが、食の素晴らしさでもあります。

コロナ禍で移動が制限されたことで、辺境食のニーズは加速しました。現在では世界中で移動制限が解除される傾向にあるものの、ウクライナやロシアは戦争状態、フランスも年金問題における大規模なデモが起きていて、観光に赴けるほどのんきな状況ではない国や地域も散見されます。距離を飛び越える食はこの3年間でまたも強靭性を獲得したはずです。

「量から質」への転換の先にあるもの

この数十年で食に起きたトレンドとしては「量から質へ」「ブームの繰り返しによる定着・定番化」が挙げられます。

戦後は「とにかくお腹いっぱいに」がごちそうでした。その後、高度経済成長とともにボリューム感と味わいが両立されるようになり、バブルの頃は「現地のメニュー」に「贅」という付加価値がつきました。近年は現地系辺境店のレベルが異様に上がっています。現地を訪れたことのない人さえも、郷愁感を覚えるほど完成度が高くなりました。気づけば、東京にはイタリアのほぼ全州の専門店があるほどですし、この数年で東南・中央アジアの超本格的な味を出す店もずいぶんと増えました。

さて、本題です。では今後「価値ある食体験」はどうなっていくのでしょうか。

まず「量」は「大盛り」「ドカ食い」「チャレンジメニュー」などが万人にとっての価値ある食体験になることはありません。2021年に厚生労働省が発表した「日本人の栄養と健康の変遷」などを見るまでもなくよほどの天変地異でもない限り、飢餓状態とセットとなるチャレンジメニューの価値復活は考えられません。

もっとも一般客向け用のチャレンジメニューの意味はすでに失われているものの、爆食YouTuber向けの宣伝ツールとして、エンターテインメントコンテンツの素材になるよう残す価値はあるはずではありますが。

1970年代の「外食」はもはや50年前とはまったく違う位置づけの日常食になりましたし、1980年代の以降の「流行食」的な切り口も短期的にはブームが繰り返し起きるでしょうが、そのほとんどが短期間で消費されるはず。一部、消費と再生産を繰り返す地肩の強い流行食も登場するにしても、それすらいつまで残るか疑問符がつくほど現代日本の飲食店、食産業は強靭です。

「贅」を目指すには、現在日本が置かれている経済基盤は脆弱です。ごく少数の富裕層を奪い合い、海外から富裕層を誘致して、大多数の日本人を袖にする。そんないびつなピラミッドを形成しても食文化は深まっていきません。

良質の「質」の転換~「新鮮こそ最高」とは限らない

「質」はもちろん価値ある食体験の前提にはなりますが、ここで言う「良質」の定義が課題です。

原料の「新鮮」「安全」がイコール「良質」だった時代がありましたが、最近では見かけ上、新鮮な食材よりも遥かにおいしく同程度以上に安全な保存がなされた食材があります。「朝穫れ」などの新鮮さには一定の意味はあるものの、輸送コストや距離、消費エネルギーなどを考えると新鮮さがすべてにまさるわけではありません。むしろ熟成肉や神経締めなど、特定の技術を持った職人の技術を経た「いい状態」の方が重要です。

もうひとつ加わるのが、ガチ中華などに漂う懐かしさ「郷愁感」です。龍谷大の伏木亨先生が長く提唱されていますが、人が感じるおいしさにはいくつかの種類があると言われています(少し意訳します。最後のカッコ書きは個人的なメモ書きです)。

  1. 生理的おいしさ(身体が求めるもの、脱水状態のときに水をおいしく感じるようなメカニズム(成分))
  2. 薬物的おいしさ(糖や油、だしなど、自動的に脳から神経伝達物質を放出させる味(物質))
  3. 情報的おいしさ(行列、高額、希少などの情報で感じられる先入観の味(増幅))
  4. 文化的おいしさ(地域、民族、家庭などの単位で感じてきたおいしさ(経験、反復、獲得))
  5. 共食的おいしさ(気の合う仲間や家族などと食べると得られるおいしさ(共感、安心、リラックス状態))

この①~⑤は必ずしも分離しているとは限りません。①と②には近しかったり、重なる要素がある可能性もあります。また、④と⑤にも近しい相関関係はあるかもしれません。共食的おいしさ体験を繰り返した結果、刷り込まれ、獲得したのが④の文化的なおいしさという可能性もあるでしょう。

人は脳にインプットされた何かでおいしさを判断し、食べています。上記①と②は脳の機能的な話ですし、③も優越感や達成感などが④のような文化的おいしさの獲得に影響を与えている可能性はありますし、②のように脳の報酬系に対して作用している可能性もあります。

④も「おいしかった」という体験を積み重ねた結果、情報として得られた味と言えるかもしれません。⑤も強引に解釈すれば情報と言えなくもありませんが、特に⑤は「情報」よりもしっくり来る言葉があります。「情緒」です。情緒的おいしさ。味覚においては、あまり多くは言及されてきていない概念ですが、人は情緒を伴う味に強く惹きつけられるということがあります。実はそれこそが今後、人にとって価値ある食体験となっていくはずです。

お金に変えられない食体験の要件とは

先日、行ってきた北海道がまさに価値ある食体験そのものでした。ありがたいことに何十万円もかかったわけではありませんが、資産家なら「いくら積んでも」という類の食体験だと思いますし、他方でいくら積んだところでこの体験を買うことはできません。この情緒は、誰にでも得られるものではないからです。

北海道の日高地方の様似という地域に「ジビーフ」という食用牛がいます。食用牛とはいっても、ビールを飲ませたり、穀物をふんだんに与えたりという育て方はされていません。出荷や出産で頭数は常に変動していますが、およそ100ヘクタール(野球場のフィールド部分100×100メートルが1ヘクタールなので野球場が100面取れるくらい)の土地に、だいたい90頭くらいのアンガス牛を放牧しています。

詳しくは以下の料理王国の記事に譲りますが、夏は牧野に放ち、そこに生えた青草を食べたい放題。そして草が生えている季節に採草地で刈った牧草をロールベールサイレージにして冬場はそれを与えて育てる。出産も特にコントロールせず、自然のままの季節繁殖に近い。飼料自給率100%で人の手は限定的にしか入れていない肉用牛です(≒手をかけてないということではまったくありません。説明し始めると脇道が深いので今回は割愛しますが、誤解されませんよう)。

https://cuisine-kingdom.com/jibeef

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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