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2019年高校野球10大ニュース【3】7月/佐々木朗希、決勝登板回避が物議を

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 恥ずかしながら……日本高校球界史上初の163キロ投手・佐々木朗希を初めて見たのは8月26日、侍ジャパン高校日本代表の壮行試合だった。大学日本代表との対戦で先発した佐々木は、大学の猛者たちを三者凡退。「佐々木君が本気にさせてくれました」と大学代表の生田勉監督はいうが、それでも二、三番を連続三振に切って取った。全12球中、まっすぐはすべて150キロ超え。ある球団のスピードガンでは、最速は158キロだったという。

 右手中指にマメができ、予定より早い1回限りでの降板となったが、佐々木は「すごく楽しみながらの三者凡退はよかったです。対大学生なので、コースに投げきらないと持っていかれる、とコントロールを意識しました」。それでも、やっぱり速かった。となると……甲子園での投げるところを見たかった、というのが人情だ。

 騒動はそのおよそ1カ月前、7月25日に起きた。岩手県大会決勝。佐々木の大船渡は、花巻東に12対2で大敗した。ぎっしり埋まった岩手県営野球場は、どこか合点がいかない空気に包まれる。県立の大船渡が、甲子園常連の強豪に負けた結果はまだ、いい。ただ大船渡は、佐々木という怪物投手を登板させることなく敗れたのだ。

29回で51三振! 令和の怪物だ

 決勝までの佐々木は、噂に違わぬ投球だった。7月16日、遠野緑峰との初戦(2回戦)は先発して2回を無失点の小手調べ。18日、一戸戦では6回参考ながら13三振を奪うノーヒット・ノーラン。21日には、盛岡四と延長の接戦を演じ、12回を2失点、21三振で完投している。この試合では、あの大谷翔平に並ぶ高校最速の160キロをマークした。22日の準々決勝、佐々木は登板せず。そして24日、一関工との準決勝では9回を2安打、15三振で完封……。ここまで4試合、29回を投げた佐々木は、9安打自責2、防御率0.62。令和の怪物にふさわしいのは、51三振というべらぼうな数字である。

 だが、これに勝てば甲子園という決勝で、大船渡は佐々木をマウンドに送らずに敗れることになる。

 これが、日本中で論争を引き起こした。球界の宝ゆえ、故障回避のためにはやむなし……という声もあったが、大多数は「なぜ登板させないのか」「勝ちたくないのか」と大船渡サイドに疑問を呈するもの。もっともそのなかには、かつて安楽智大(済美)の投球過多が物議を醸したとき、「選手を壊すつもりか」と声高に叫んだ人もいる、と僕はにらんでいるけれど。

 ただ取材仲間の話を聞くと、「大船渡の国保陽平監督は、おそらく佐々木に連投はさせないだろう」という見方が大半だったらしい。佐々木は4月のU18日本代表候補の合宿で163キロをたたき出し、注目度が最高潮に達していた。なにしろ、将来はメジャーの記録をすべて塗り替えるかも、という専門家もいたほどなのだ。とはいえ、酷使して致命的な故障を誘発しては元も子もない。専門医のさまざまな検査によると、「佐々木はまだ大人の骨ではなく、筋肉、じん帯、関節も、160キロを超える投球では過度な負担がかかる」。かりに負担をかけた場合は、リカバリーの時間がとりわけ重要になってくる。だから、「佐々木は連投しない」のだ。

 なるほど、この夏の岩手県大会でも、21日の4回戦と翌日の準々決勝では、佐々木は連投を避けている。そして岩手県の場合、ベスト8を決める4回戦から決勝まで、勝ち進めば5日間で4試合という日程。徐々に過酷な日程の見直しが進むなか、多くの都府県では6日間(もしくは7日間)で4試合と多少は選手の負担が軽減しているが、岩手を含む8地区は「5日4試合」なのだ。

 もし、この夏の甲子園から導入されたように、準決勝と決勝の間に休養日が1日あったら……決勝に、佐々木朗希が登板していたかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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