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武豊の4000勝には遠く及ばない54回目の勝利が特別の意味を持つ理由

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
怪我で休養中はイギリスへ飛び、復帰を果たした武藤雅騎手

序盤の苦労を跳ね返したデビュー1年目

 7月も終わろうかという頃、私の電話が鳴った。

 かけてきたのは若手騎手の武藤雅。彼は当方にお願い事があると言った。

 それから約2カ月後。彼はJRA通算54回目の勝利を目指してレースに乗っていた。JRA通算4000勝が注目を集める武豊とは比べ物にならない僅かな数字ではあるが、武藤にとっては特別の意味をもった勝利なのだった。

 1998年1月10日、父・善則、母・美奈子の下、茨城県で生まれ、1歳上の姉と育てられた。

 父は元騎手であり現在は調教師。ただ、幼少時の雅は競馬には興味を示さず、鹿島アントラーズのセレクションを受けるほど真剣にサッカーに打ち込んだ。しかし、これに落ちると中学1年から乗馬を始めた。

 「初めて乗った時から怖いとは感じませんでした。高さには驚いたけど、気持ちよく感じ、すぐに夢中になりました」

 毎週末、欠かさず乗り続けた。そうするうち自然とジョッキーに憧れた。そこで中学卒業時に競馬学校を受験。しかし、不合格となり、高校へ通った。

 それでも騎手の道を諦めたわけではなかった。高校に通いながら美浦トレセンの乗馬苑で乗り続けた後、再度、競馬学校を受験。1年遅れで合格した。

 2017年には無事、競馬学校を卒業。美浦・水野貴広厩舎から騎手デビューを果たした。

 「武藤先生からは『厩舎育ちだからといって環境に甘えるな』と言われました」

 自らの父を“先生”と呼び、そう語る。

2017年、デビュー当初。新人を意味する黄色帽をかぶっていた当時の武藤雅騎手
2017年、デビュー当初。新人を意味する黄色帽をかぶっていた当時の武藤雅騎手

 デビュー戦は水野厩舎のラインアストロ。16頭立ての5番人気とノーチャンスの馬ではなかった。しかし……。

 「模擬レースとはスピードが違いました。何も出来ないまま、8着に終わりました」

 その後もなかなか勝てなかった。3週目には落馬も経験した。同期が続々と勝ち上がる様を目の当たりにして、悔しさがつのった。

 待ちに待った初勝利はデビュー後、2カ月になろうとしている頃だった。4月23日の福島競馬場だった。

 「師匠の水野先生の馬でした。先行して欲しいという注文通りに乗れて、最後は馬が狭いところを割って出てくれて勝つ事が出来ました」

 1つ殻を破ると、その後はコンスタントに勝てるようになった。若さ故の騎乗停止処分となる事もあったが、1日に3勝したり、重賞初騎乗を果たしたり、1年目が終わる頃には24もの勝ち鞍を挙げる事が出来た。

思わぬアクシデントも自らピンチをチャンスに変えた行動

 2018年、早々に二十歳となった彼は更なる飛躍を誓い「50勝を目標」にした。

 初日にはいきなり第7、第8レースを連勝。その後も毎週のように勝ち星を挙げ、1月は5勝、2月は6勝と順風満帆なスタートを切った。その後、5月は2勝止まりに終わるなど苦戦もしたが、6月には再び6勝して息を吹き返した。

 6月を終えて25勝。目標の50勝に届くペースで7月も順調に勝ち星を増やした。

 しかし、“好事魔多し”である。

 7月26日の美浦トレセン。武藤は自転車で転倒し、左手首を骨折してしまった。

 冒頭に紹介した彼から私に電話が入ったのは、この後の事だった。彼は言った。

 「海外の競馬を観たいので、取材について行かせていただけませんか?」

 当時、私は8月11日のイギリス・アスコット競馬場で行われるシャーガーC並びに翌12日のフランス・ドーヴィル競馬場で開催されるジャックルマロワ賞の取材のため、ヨーロッパへ渡航する予定でいた。そこで一緒にフランス→イギリス→フランスというスケジュールで良ければ案内できる旨を伝えると、二つ返事で「お願いします」と言って来た。

イギリス、ニューマーケットの調教場では間近で調教を見学した
イギリス、ニューマーケットの調教場では間近で調教を見学した

 早速、各種手続きをするためパスポートの写真をメールで送ってもらったところ、一点、問題点がある事に私は気付いた。有効期限がこの10月の頭までしかなかったのだ。

 有効期限の迫ったパスポートでは、国によっては入国を拒否される。そう伝えると、武藤はすぐに自分で調べた。その結果、フランスには行けない事が分かった。

 この時点で私は彼が今回の遠征そのものを断念すると思った。しかし、それは当方の勝手な早合点だった。

 「イギリスだけでも良いから行きたいです」

 そう言った彼は、実際にイギリスに飛んできた。

 ニューベリー近郊の厩舎や競馬場、ニューマーケットの厩舎や調教場、競馬場、更にはアスコット競馬場のシャーガーCなどを見て回り、武豊騎手とも食事を共にさせていただいた。当方がジャックルマロワ賞のためにフランスへ渡った後も、1人、イギリスに残り今度は電車で再びニューマーケットへ足を運んだと言う。

シャーガーC当日のアスコット競馬場。武豊騎手やJ・モレイラ騎手と話す機会もあった
シャーガーC当日のアスコット競馬場。武豊騎手やJ・モレイラ騎手と話す機会もあった

 怪我をしたばかりの左手首にはギプスがつけられ痛々しかったが、心は折れていなかった。転んでもただでは起きないという“やる気”を十二分に感じる事が出来た。

★まず目指すは54勝目!!

 帰国した武藤は怪我が癒えるとリハビリした後、9月15日についにターフに戻ってきた。復帰週は計12レースに騎乗。勝ち星を挙げる事は出来なかったが、10番人気のジュンパッションを2着に好走させると、2番人気のマーガレットスカイでもしっかりと2着を確保するなど、随所に光る騎乗を披露した。

 しかし残念ながら復帰2週目を終えてもまだ復帰後初勝利、すなわち54勝目を挙げる事は出来なかった。

復帰後、2週。残念ながらまだ勝てていない。まずは54勝目へ向け、精進するのみだ
復帰後、2週。残念ながらまだ勝てていない。まずは54勝目へ向け、精進するのみだ

 「自分の不注意による怪我で多くの人に迷惑をかけてしまいました。でも、休んでいる間の経験を生かして、これから少しずつ恩返しをしていきたいです!!」

 怪我で休養をしている間に残りの開催日程は少なくなり、目標だった年間50勝を挙げるのは容易でなくなった。しかし、だからと言って諦めているわけではない。そのためにもまずは次の1勝の持つ意味は大きい。武藤雅の54回目の勝利を心待ちにしよう。

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(文中敬称略、写真提供=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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